【要約①】男性危機ーメンズクライシス?国際社会の男性政策に学ぶ(著:伊藤公雄 他)
今日は、男性危機(メンズクライシス)?より、第1章「『男性主導社会の終わり』を前に」です。
2022年11月30日に出版された本です!(主に伊藤公雄先生の論文が多く引用されている章でした。)
メンズクライシス(男性危機)の時代
コロナ禍での男性リーダーたちの混乱ぶり
コロナ禍で各国のトップのジェンダーと感染抑制の関係がニュースになった。ニュージーランド・北欧各国・台湾に見られる女性のリーダーは他者への「ケアの精神」が上手く働き、感染抑制に力を発揮できた一方で、アメリカやブラジル等のリーダーは混乱ぶりが見られた。
理由不明の「凶悪事件」
またここ数十年では、世界で大量殺人事件が頻繁に起きており(例:秋葉原通り魔事件、津久井やまゆり事件等)、それらは全て男性による事件である。男性たちによる理由の不明な凶悪事件について、「Toxic Masculinity(自他に有害な男性性へのこだわり)」という用語で呼ばれる。「伝統的男性性イデオロギー」として、①感情の抑制あるいは苦悩の隠ぺい、②表面的なたくましさの維持、③力の指標としての暴力がある。凶悪事件は、不安定な状態に陥った男性が自らの強さを示すために暴力行為に走っていると解釈できる。
メンズクライシス
こうした「Toxic Masculinity(自他に有害な男性性)」の顕在化の背景にあるものは、現代社会における男性性の揺らぎの問題がある。本書ではそれをメンズクライシスと呼ぶ。なお、本書における男性とは、シスジェンダーにおいて男性の人を指す。(※シスジェンダー=生物学上の性と性自認が一致している人)
ジェンダーの歴史を振り返る
歴史の中の男女の役割
18世紀~20世紀後半までは世界中が性別役割分業に基づく男性主導社会であった。前近代社会においては、ほとんどの文化において性別に基づく男女の役割分担が存在し、多くの社会において男性優位であった。ただし、原子狩猟社会・農耕社会、いずれにおいても女性の労働力も必要とされていた。ワンセックスモデルからツーセックスモデルへ
男女の役割は時代や社会・文化に応じて多様である。例えばキリスト教・イスラム教では、男性がアダムから作られた規範的な存在とされ、女性は人間(男性)にまで成熟してきれていない未熟な存在として捉えられてきた。前近代において基本的に性は一つであり、「ワンセックスモデル」であった。近代社会では男女の生物学的差異が拡大解釈されるようになり、男女2つの性が存在する「ツーセックスモデル」へと変化した。日本の伝統文化の中のジェンダー
キリスト教・イスラム教などの一神教文化と比べて、自然崇拝とアニミズムの日本型多神教においては、男女は比較的対等である対の存在として描かれたきた。平安時代の女性著作の多さ、また戦国時代から明治時代にかけても、女性の識字率の高さや離婚の権利があること、男性が炊事を担当することなど、女性の社会的な参画において、西洋諸国文化よりは開かれていたことが分かる。(ただし、圧倒的な男性優位の社会ではあったことは事実)
イリイチのジェンダー論再考
イヴァン・イリイチはヴァナキュラーなジェンダーの回復を目指すような方向性が伺える点においてフェミニストから批判を受けたが、それまで地域的・歴史的多様性を持っていた男女の役割が近代産業社会により画一化されていったという捉え方は再考の余地がある。
変容するジェンダー概念
ジェンダー概念の登場
ジェンダーという単語は元々文法用語であったが、生物学的性差(セックス)とは異なる社会的・文化的に作られた性別として使われるようになる。ジェンダーの概念は、第二波フェミニズムにおいて有効だったように、男性主導のものの味方の転換を生んだ。学問分野においてもジェンダーの視点から学問の読み替えがなされる波が広がっていった。ジェンダーがセックスを規定する
ジェンダー概念は洗練されて議論されるようになる。ジョーン・スコットは、ジェンダーを肉体的差異に意味を付与する知と定義した。よりラディカルには、ジュディス・バトラーは、人間の身体的な差異を典型的な分類として人間が認識しているのであれば、その認識はジェンダーに基づくため、生物学的性差もまた人間が構築したものであると主張する。(ここは難しく、間違っているかもしれません。)一方で、自然科学の分野からは生物学的身体を無視することは出来ないと反論がなされる。生物学的差異(セックス)とジェンダー
人文・社会学系のジェンダー論はしばしば、生物学的決定論か社会環境決定論かという議論において、後者の傾向が強かった。一方で、ジェンダーの概念は新しい広がりを見せ、セックスとジェンダーの合わせた言葉として使われるようになってきた。例えば、医学や健康科学などで「性差医療(gender-based medicine)」が発達してきた。本書の目的であるジェンダー平等社会の実現においては、ジェンダーに敏感であることと同時に、生物学的領域への視座も必要である。ジェンダー平等の視点
ジェンダー平等とは「人間の多様な性・身体・生き方を男女という2種類に固定することで生じる差別や社会的排除を撤廃すること」と定義できる。
男たちからのジェンダー平等への動きを作り出すために
本書の目的は、ジェンダー平等へと向かう世界の中で、(戸惑い、時に反発している)男性たちを対象にしたジェンダー平等政策をいかに構築するかという点にある。昨今では、男性性研究がいずれも「男もつらいよ」という「男性被害者論」に組しているかのような議論をされることがあるが、事実ではないし、本書ではそのような立場を取らない。同時に、男性の加害者性のみに意識を向け男性を糾弾することでは目的は達成しないと執筆者陣は考える。差別糾弾は「気付き」につながる一方で「態度変容」へとつなげづらい。差別に敏感な人間へとその人を変容させるモメントが大切だ。
単なる「男性被害者論」を超えて、今や死滅しつつある古い男性性を「安楽死」させなければならない。
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