葉桜のころ
日曜日。東京駅からぶらぶらと、日本橋方面を散歩してすごした。
常盤橋を渡って、街路にソメイヨシノの植わった日本銀行の脇道へ。
初夏の陽気。桜はもうすっかり葉桜だ。
葉桜、か。
あまりかんがえたことがなかったけれど、あらためて「葉桜」とはよく言ったものだなあ。
辞書的に言えば、さしずめ花が散って若葉が出始める頃といったところだろうが、それとはべつに、花が散ってなおそこに満開の桜の残像を見ているような、名残惜しむかのような情趣がある。
花よりだいぶ葉のほうが目立ってきても、思わず立ち止まって見上げてしまうのはそれが桜だから、にちがいない。
咲いても散っても、桜はやはりひとの心をかき乱す何かをもっているらしい。
葉桜を見るとき、ひとはそこに満開の桜を重ね見ている。
とするならば、ひとはまたそこに移ろう時間を見ているということにならないか。
風にそよぐ草木が風の存在を見せてくれるように、葉桜は時間の存在を見せてくれる。
葉桜といえば、その季語が「初夏」であることを今回はじめて知った。俳句の世界にうとすぎる。
では、桜は? というと、それは「晩春」であるらしい。
なるほど。潔い桜の散りようには、たしかに春に引導を渡すといったところがある。
カチッとたしかに音をたてて、季節はひとつ先に進んだのだ。