喜色是人生
10月いっぱいで建て替えのため閉館する国立劇場でひさしぶりに落語を聴いた。
国立劇場といっても、“はなれ”のように敷地内にぽつんと建つ演芸場について言えば築年数は本館よりだいぶ浅い。なんだか壊してしまうのも惜しい気がするが、相変わらずのトイレの大渋滞を見るとやはりそろそろ改築のタイミングなのかもしれない。
ところで、国立演芸場というと舞台正面に掛けられた「喜色是人生」と書かれた額を思い出す。侍従として長く昭和天皇に仕えた入江相政(いりえすけまさ)氏の手になるものだという。
入江氏は「侍従とパイプ」「城の中」など数々の随想をのこしたエッセイストとしても有名だ。経歴だけ聞くとお堅い人物のように思われるが、洒脱なユーモアとあたたかい人柄がにじみ出たその文章はとても味わい深いものでときどき読み返したくなる。
この額がどういった経緯からここに掛けられることになったのかは知らないが、みずしらずの人たちといっしょになってワハハハと笑っていると、「喜色是人生」という言葉がすっと腑に落ちる。シンプルだけどよい言葉だと素直に思われる。
いまのところ、新劇場の竣工はまだまだ先の話らしい。そのため、しばらくは都内のさまざまな会場を借りて主催公演はおこなわれるという。
たとえ会場は変わっても、だが、そこにこの額が掛けられているかぎりぼくらは「国立演芸場」の空気を感じることができるだろう。
この日、ぼくが友人と国立劇場を訪れたのは「日本の寄席芸」と銘打たれた公演を楽しむためだった。閉館を前に企画された“さよなら興行”のうちの1日である。最後ということもあり、協会の垣根を超えた噺家や色物の芸人たちがかわるがわる登場して自慢の腕を披露した。
トリを勤めたのは、柳家さん喬師匠。国立劇場の前途を祝してということだろうか、さん喬師匠はおめでたい「八五郎出世」を口演した。「妾馬(めかんま)」という題でも知られる。
そのさん喬師匠の落語だが、いつもながら師匠の手にかかるとひとつひとつの情景が絵のように鮮明に立ち上がる。
がさつな八五郎の言動にはじめ眉をひそめていた殿様やお城の人びとが、その真っ直ぐな人柄と愛情の深さに感じ入ってゆくさまが手に取るように伝わるのだ。殿様にだけでなく、八五郎がそこにいる全員にむかって妹をよろしくと何度も頭を下げる場面など、そのやさしい気持ちがホールのすみずみにまでさざ波のように伝播するのを感じた。幸福な気分でお開き。
開演前には、これまたひさしぶりに国立劇場にもほど近い甘味処「おかめ」を訪ねた。
甘いものにも惹かれるが、昼食時ということできょうは茶飯とおでんのセットを注文。いつもながらおいしくいただく。さらに、最中もおみやげで。この最中、あんこの旨さは言うまでもなく見た目も愛らしいのだ。
心にビタミンならぬ“喜色”を補給した一日。