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自己の生命の表現として働くのだ?
いやいやする労働は
かえって人を老衰に導くが、
自己の生命の表現として
自主的にする労働は、
その生命を健康にする。
与謝野晶子の言葉です。
生命の表現としての自主的な労働。
こんなこと考えたことありますか?
与謝野晶子は明治11年に生まれて
昭和17年に亡くなられました。
近代化がよちよち歩きだった頃から
ようやく地に足を付けた頃と言ってよいでしょうか。
その時代の「働くとは?」が
現代社会でそのまま通じるとは思いませんが、
この時代だからこその息吹のようなものは感じますね。
現代社会を生きる私たちは
もっと「働くとは?」を深く考えるべきだと思いますし、
仕事論、労働観、職業観のようなものを
個々それぞれが確立していくべきではないかとも考えます。
与えられた環境の良し悪しよりも、
自分自身がどんな思いで働いているのか?
確かにこの志向性によって
すでに私たちの心身への影響は異なりそうですし、
「生命の表現」という言葉には
働くことの本質がありそうにも感じますね。
働くとは浅いものではありません。
なぜ?どうして?と追求し、
自らを世の中に役立てたいものです。
間違っても損得勘定で
自分だけいい思いをしようなどと考えたら
こすっからいチンケな人生になってしまいそうです。
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