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ふいつふにまちまち

7/11
レコード屋さんに行く。最近刺激を求めてワールドコーナー(世界の音楽)を掘っている。パンチのあるジャケットが多いが、書いてある文字がほとんど読めないので、視覚的に判断するしかない。※時々熱心な人がyoutubeにあげている場合もある。
今日は、1970年代に発売されたであろう『Chôro Novo / Disco 2』を買った。表面はひよこのジャケットがポップなのだが、裏面は渋き陽をかもしだすおっさんの顔写真が卒業アルバムのように並んでいる謎多きレコードに惹かれた。
ブラジルの即興音楽『ショーロ』のフェスティバルの音源らしいが、どんぴしゃりな情報はみつからなかった。
ショーロはポルトガル語で「泣く」という意味らしく、日本でいう演歌っぽいかなーと勝手に思った。弦楽器だけどこぶしが効いていた。フェスらしく曲のはじまりとおわりは拍手で湧くのもたのしい。


7/12
近くの写真屋へフィルムの現像しにいったが機械が故障していたため、別の店舗に行く。小一時間でデータを受け取れるとのことで、ちかくのちいさな喫茶店で涼むことにした。数時間前にブックオフで安くで手に入れた『数学の贈り物/森田真生』をぱらぱらめくってながめように読む。

「Aというのには言い過ぎだが、Aでないというのも間違いである」そういう事態を指して仏教では「不一不二」というのだと、岡潔は晩年に(中略)学生たちに語りかけている。「生きる意味」だってそう。意味がないと言えば言い過ぎだけれども、あると言い切るのも間違いという気がする。

(言い切るまでは確信は持てないけど、ないことにするのも違うよなあ)とさまざまな局面で、最近特に、感じることがあったので、不一不二の領域があることにすこし救われた気がした。そして、ふいつふに という語感が実に愛らしく、摩訶不思議度がふりきっている。


7/13
洒落たライブハウスのお手洗いに行ったら、イソップのハンドウォッシュでこころも洗われた。


7/14
本屋さんに行くと『東東京区区』という漫画をたまたま見つけて、びびびとくるものがあり購入する。ひがしとうきょうまちまち のタイトルも語感や漢字の並びもいい。読んでみると、さらにおもしろかった。
東東京の1つである墨田区に長年住んでいるが、まちの路地ひとつはいるとちいさな商いをやっていたりと、知らないことが多い。そのくらしの風景を歴史とともに探索していき、うつろいを知ると、まちが生きている感覚がして、もっと自分の目で見たいと思えた。
もともと買う予定だった『キッチン・セラピー/宇野碧』もあって、これもまたいい読感で、すぐ読み切ってしまいそう。


7/15
朝早く起きたが、活動する気にもならなかったので、『キッチン・セラピー』を読み進める。朝早く起きる展開が本で出てきておっとなる。こちらは五時十六分です。
そのあと2年ぐらい着ているTシャツのタグにまだ、プラスチックのあれが付いていたことに気づいたが、活動する気にならなかったので、また寝る。

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