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ヴィム・ヴェンダースに対する所感

2022年1月、京都シネマで『ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも』が公開された。ヴェンダースの作家性を見つめ直す良い機会だったので、ここで彼に対する所感を述べたいと思う。

自分の中でのヴェンダースに対する評価をいまだに決めきれずにいる。ショットが撮れるわけでも、編集が上手いわけでもなく、同じニュー・ジャーマン・シネマならヘルツォークやファスビンダーをもっと評価すべきではないか、などと思っている。かといって、彼の作品に心動かされることがないわけではない。こんなヴェンダースへの浮遊した態度に決着をつけることも小津と向き合うことに繋がるのではないかと思えば、ここに批評を書こうという気も起こるものである。

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『都会のアリス』(1974)

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まだそのキャリアが始まったばかりだからだろうか、初期のロードムービーを見る限りでは到底車の走らせ方を心得ているとは思えない。しかし、今作に限って言えば、『5時から7時までのクレオ』(1962) のように「街」を映す試みも見られたように感じた。ニュー・ジャーマン・シネマがヌーヴェル・ヴァーグにその端を発していることの証左である。


『アメリカの友人』 (1977)

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余計なショットの多さや階段の撮り方など指摘したいことは多いが、それでもこの作品は大いに気に入ったことを告白しておく。終盤、海へと走らせる車を映したショット。これは今でも鮮明に思い出せるが、車の向こうに太陽を見た時、ー本人は気づいていないだろうがー ヴェンダースが映画の側から愛されていることを知った。これは才能についての話ではなく、『工場の出口』(1895) が十分なまでに映画であったことと同じであり、ヴェンダースがそんな特権的な階級を有していることを意味する。『ベルリン・天使の詩』 (1987) で本当に「天使」に見守られているのは彼自身であると言ってみることと同じである。


『パリ、テキサス』(1984)

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ジョン・フォード風に撮った雲、そして、歩くハリー・ディーン・スタントンの赤い帽子を見れば、このフィルム的幸福が隅々まで漲っているショットに安堵と感動と様々な感情の共存を覚える。これまでアメリカの映画作家がカメラを向けてきた風景や人々の抒情は自分こそが撮れるとでも言わんばかりのヴェンダースの自信に、彼の視線の向く先は我々と同じであることを知る。これがヴェンダースか、と思わず呟いてしまう。


『東京画』 (1985)

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厚田雄春のインタビューの訳を蓮實重彦が手伝ったそうだ。なるほど、この『東京画』にはヴェンダース、小津、厚田、蓮實、ミルナーなど様々な国のシネアストが関わっていることに違いなく、この無国籍性こそがヴェンダースが評価されている理由なのだと思い至った。

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