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夢は逃げない、逃げたのは誰だい -矢井田瞳-

「Harrods(ハロッズ)ってヤイコの曲で初めて知ったんだよね」

1週間前、中学からの友人と家でだらだらしていた際にふと言われた。
Harrodsとはイギリスの高級老舗百貨店で、オリジナルのテディベアがあしらわれたグッズが有名だ。
彼女はHarrodsのロゴも、テディベアも知っていたけれど、それらが全て同一の百貨店から発信されているものだと知らなかったという。

ヤイコこと矢井田瞳。
2000年メジャーデビュー、代表曲は「My Sweet Darlin' 」。
ダリダリ〜♪のメロディなら知っている人も多いのではないだろうか。

一方、友人が言う"Harrods"が歌詞に出てくる曲「ママとテディ」はアルバム曲。
2003年に発売されたAlbum「Air/Cook/Sky」の6曲目、決して有名な曲ではない。

なんでそんなにヤイコのファンでもない友人が、アルバム曲の1フレーズを覚えていてくれたんだろう。

青春暴走中学時代

友人とのCD・MDの貸し借りがメインだった中学時代。限られたお金でレンタルショップでCDを借りたりもしたけれど、友人のおすすめコメントと共に渡されたCDは格別だった。
そうして手に入れた音楽は本当によく聴いた。聴き込んだ。歌詞カードを握って全歌詞を追いながらアルバム1周はもちろん、そこに書いてあるクレジットでスタジオミュージシャンの名前も覚えた。
それはきっとわたしだけじゃなくて、友人も、わたしが貸したCDを同じように扱ってくれたのだと思う。
15年以上前のアルバムの1フレーズを引き出してくれたことで特別感が生まれる。
中学時代を過ごした友人とは、他で出会った友人との濃さがどことなく違うように思える。

「学生時代の友人は特別」と大人たちが口すっぱく言っていたのは、こういうところにあるんだろう。

尻軽乗換高校時代

My Sweet Darlin'の特徴的なフレーズで知名度を上げ1st Album「daiya-monde」はミリオンヒット。下積み経験なんて、ない。
シンデレラストーリーと騒がれる一方で、こぶしをきかせるような個性的な歌い方から「椎名林檎の真似」などのアンチコメントがついてまわるようになる。
タイトなリリーススケジュールに加えて大学との両立、世間の声...。
色々なものが絡まりあったからだろうか、デビューしてすぐ、大学卒業間近の2001年1月に彼女は倒れた。過労による一時入院をもってしても彼女のスピードは止まる事を許されず、すぐに次のシングルを引っ提げたツアーへ。その後も「Look Back Again」をふくむ2nd Album 「Candlize」と息をつく間もなくリリース。
当時の彼女のBIOGRAPHYの「好きなもの・嫌いなもの」コーナーには「嫌いなもの:私を変えようとしてくる人」と書いてあったのを覚えている。
いろんな大人の声にさらされて、いろんなことが見えなくなりそうな時だっただろう。
テレビこそあまり出演しなかったものの、シングルリリースの頻度が約3ヶ月に1枚と高かったので、いちファンのわたしは毎度ほくほくと楽しんでいた。

小学4年生の時にMステ(ミュージックステーション)で元気よく「My Sweet Darlin'」を歌うヤイコを見て、人生で初めて本気で有名人にのめり込んだ。
初めて自分から欲しいとねだり、クリスマスプレゼントに買ってもらったCDは1st Album「daiya-monde」だし、ヤイコが
「ギターを初めて持った時に"これは無敵だ"と思った」
と話せばギターに興味を持った。小学校高学年〜中学2年生あたりはヤイコ一色だった。
学校の友人にも勧めまくったし、クラスのコピバンをしている子にバンドスコアを見せられて「ここのフレーズどんなだったっけ?」と声をかけられたりする程度には"ヤイコ好き"としての認知を持っていたと思う。
CDを貸した子から「(アルバム曲)"この恋はもうしまってしまおう"が泣ける!」と言われれば、お互いたいした恋愛経験がなくとも少女漫画で培った妄想力でバリバリに語り合った。

そんなヤイコ大好き期が陰り始めたのは中学3年生の頃。
ヤイコのインタビュー記事では波にのせるようなノリノリさはなく「いつもMy Sweet darlin'のような曲を、と求められるのが嫌で反抗したくなる」などのネガティブコメントが載る。そもそもメディアでヤイコの名前を目にする頻度が減った。
やきもきしている間にメジャーからインディーズに戻ってしまった。

大阪城ホール・日本武道館でのワンマンライブは開催されていたから充分すごいと思いつつも、ヤイコ好きを公言した時の周りの反応がどんどん薄れていくのを感じていた。

それと時を同じくして、わたしはELLEGARDENをはじめとするいわゆる「ロキノン系」パンクロックに出会う。
乗り換えるのはあっという間だった。あの蜜月が嘘だったかのようにヤイコのCDは聴かなくなり、新しいバンドサウンドに飲み込まれて、毎月ロキノンに掲載されるアーティストをどんどん吸収していった。元々持っていた没頭スキルが最大限に発揮された結果、1年も経たずに立派なロキノンオタに変貌した。
ヤイコの新譜が発売されたら絶対に買う。でも、それを友人に貸すような交流はなくなった。寂しいというより、そもそものヤイコの活動を思えば仕方がないと受け入れた。

先日発売されたyaiko名義でのAlbum「Beginning」に同封されていたインタビューでは、ちょうどこの頃を振り返って「デビューから5年くらい経った時に、自分の限界を感じちゃった。すごい人がいっぱいいて...」と語っている。
そうであろうことは、いちファンであるわたしでもぐいぐい伝わってきていたよ。

リリースも減り、タイアップはつくものの話題にのぼらなくなり、やっと出たアルバム「IT'S A NEW DAY」のジャケットもなんだか暗くてかわいくない。
ヤイコのことは心配だけどファンクラブがあるわけでもないし、できることはないし...と蓋をしていたところに、彼女の29歳の誕生日に入籍したとの知らせが!
嬉しかったし、なんなら「私もできれば29歳の誕生日に結婚したい!」と心の中でひっそり目標にした。
一方で、このまま音楽活動をフェードアウトしていくのかと心配になった。それくらい、活動は細々と頼りなかった。
(※余談ですが、10年以上経って、わたしは28歳の自分の誕生日に入籍しました。自分の誕生日にした理由はもちろんヤイコに寄せたかったから。)

洋服やメイクよりも音楽に費やした高校時代。インディーズでまだ売れてないバンドも一通りわかる、立派なロキノンオタのまま高校を卒業した。

ファンを続ける決意をした大学時代

アーティストとしては瀕死の状態に見えたヤイコが結婚してから2年ほど、妊娠・出産も相まって新譜のリリースやライブがほとんどなかった。
もうヤイコは活動を終えてしまうのかと覚悟をしつつ、大学では新たに洋楽にハマっていった。そんな数年が過ぎようかという頃、約3年ぶりのワンマンライブの知らせが!!!
嬉しかった。
振り返れば、人生で初めて半年ほどヤイコの曲を聴いていなかった。そうやって離れていても、こんなに好きな自分にも驚いた。
ライブの日程は大学の定期試験が終わった直後!これは行くしかない!!!
もちろんチケットを取り、当日を迎えた。
あの夜のことは忘れられない。

1曲目は「B'coz I Love You」。

♪い〜つま〜で〜も〜〜

出だしをヤイコが歌い出した瞬間、号泣した。開始1秒で泣いたのは初めてだった。
ヤイコはヤイコのままだった。
当たり前かもしれないけど、それはわたしにとって大切なことだった。
わたしはこの声で生かされて来た。ちょっとやさぐれた気持ちになっても、ヤイコの曲を聴くために生きる!と奮い立った日もあったんだ。
ちっぽけだけど、わたしにとって大切なことを思い出して、やっぱりヤイコが誰よりも大好きだって事を自分の中に焼き直した。

そのライブ以降は、もう迷わなかった。
好きなアーティストは絶対に"矢井田瞳"で即答。
それを聞いた人たちに何を言われてもめげない。
「まだ好きだったのか」
「まだ活動してるの?」
「love2000好きだったー!」「それ違う、hitomi」秒でツッコむことだって、いとわない。

洋楽・邦楽問わず新しいアーティスト情報はなるべく率先して取りに行くし、ライブも行く。だけど、ヤイコちゃんの情報だけは絶対に欠かさないし、ライブ日程が被ったらヤイコのライブをとるし、予算もヤイコ用の出費が最初にキープされる。
特別なことはしていないけれど、私の根っこはヤイコ。揺るぎない確信を持ってから、もっとずっとヤイコのことが好きになった。

サイキンノヤイコ

2019年はヤイコのデビュー19年。20周年を目前に控え「助走をつけるために」と、3年ぶりのアルバム『beginning』をyaiko名義で発売。
大ヒット曲・My Sweet Darlin' のセルフカバーを筆頭にカバー3曲、新曲「いつまでも続くブルー」の計4曲が含まれるこのアルバムはオリコンデイリーチャートで8位にまでランクインした。
8月14日(水)アルバム発売当日、タワーレコード渋谷店でインストアライブがあったのだけれど、その会場で「オリコンランキング入りましたぁーーーー!!!」と発表が。
その時、その日一番あったかい拍手が会場に巻き起こった。TOP10入りするなんて、いつぶりだろう。理由はどうあれ、とにかく嬉しかった。きっと会場にいたファンも同じ気持ちだった。そんなあたたかさを感じた時間だった。

オリコンチャート入りのおかげか、翌月にはミュージックステーションの2時間スペシャルでセルフカバーバージョンの「My Sweet Darlin'」を披露。
極端に曲を縮められることもなく、今作でがっつり組んでいる高高-takataka- と共にやり遂げたヤイコ。またMステで観れる日がくるなんて...!!と、階段で挨拶をするシーンを見ただけで号泣したわたしは、放映後にTwitter検索で見た人たちの好反応を見て自分のことのように喜んでた。
ヤイコが元気に活動できていればそれでいい。活動全てがビッグニュースにならなくたっていい。小さなニュースもありったけの想像力を総動員して自分がヤイコのようにリアルに感じて、ひとつひとつを心から喜べるようになった。

先回り諦めた そんな自分にもう戻らない
これはレースじゃないし そもそもゴールなんてない

「いつまでも続くブルー」 yaiko

来年、デビュー20周年のはじまりは2月のワンマンライブが発表されている。
これも嬉しいことに、1,000人程度のキャパのチケットは一般発売から数日でソールドアウト。東京・大阪での追加公演が発表された。快調で本当に嬉しい。

***

頭では説明のつかないようなものに魅力を感じる。
自分のことはたまに嫌いだけど人間が好きだ。人間は面白い。
何事においても別に美しくなくていいと思う。
醜い感情でも
もう一つ外側に自分を置いたらとても素敵に見える。
いつか死ぬんだし。
「人間くさい唄」を歌っていけたら、と思う。

矢井田瞳 official web site BIOGRAPHY  https://yaiko.jp/biography より

わたしはヤイコのことが大好きだけれど、ヤイコじゃない。
だから彼女が感じた手応えも絶望も、全部をわかるわけじゃない。
それでも、彼女が気持ちよく活動できる応援ができたらいいな、と思う。
そしていつか、多感な中学時代にヤイコを取り入れてくれた友人を「人間くさい唄」を歌うライブに連れていけたら上出来だな。


タイトルは「マワルソラ」の歌詞から引用しました。

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グルテンふり子
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