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ような
「今日も明日も何も変わりのない日々の繰り返しだな」って思っていたが、それは自分の思い込みであり幸せなことなんだと気付いた。
スーパーで買い物を終え、音楽でも聴きながら帰ろうとイヤホンを探したが家に置いてきてしまったようで、久しぶりにイヤホンをせず家まで帰ることになった。
「へ~こんなお店あったんだ。」
よく歩いている道ではあるが、ちゃんと見回したことはなかったため新鮮でキョロキョロしながら歩いていた。関係ないけどキョロキョロって可愛い擬態語だよね。
前から色とりどりのランドセルを背負った小学女子3人組(たぶん高学年)が歩いてきた。私の地元では女子はランドセルの色が強制的に赤であったため、ランドセルの色を考えたことはなかったが、もし自由に選ぶことができたら何色にしただろうか。
大学生の私で考えると服のことや飽きを考慮して無難に茶色とか深緑が候補に挙がるが、小学生の私だったら後先考えずにピンクや黄色など自分の好きな色を選んでいたのかな
なんて考えていたらあっという間に家に着いた。
冷蔵庫に買った食品を詰めていたら
人生には「同じような日」はよくあるが、「同じ日」ってないんだな
って当たり前なことではあるが、なぜかその時ふと思った。
そして「ような」って言葉がこの世から消えたら、「同じ↔異なる」しか選択肢のない世界になるのかな
私は「同じような日」を自分で作り出せる今この時が好きだ。
同じ日は再現できないが、歩いて移動するときはイヤホンから聴こえる音楽に集中して同じプレイリストを再生し、同じようなものを作って食べて、お風呂に入って、いつもと同じパジャマを着て布団に潜り、目を閉じる。
これをつまらないと捉えるか、幸せと捉えるか人それぞれであり、自分自身もその時々の気分で捉え方が変わると思うが、とりあえず今日も同じような日を過ごせることができて幸せだ。おやすみ。