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TAFRO症候群最重症の父、第一目標「救命を出る」ための条件【大学病院ER20日目】
24時間持続透析から短時間、週3回の透析に変えて3日経った。看護師さんからは『少し体の怠さなどが出るかもしれません』と言われていたけど、父に聞く限り大丈夫そうだった。ベッドに寝たきりとは言え体が怠くなるのはしんどいはず。耐えられないほどじゃないということなのかもしれない。
意地悪オバさん事件でリスケになった先生とのお話。転院からちょうど20日目のこの日、通常の面会時間前にアポを取った私を、受付さん、看護師さん、そしてスター先生までもが「丁寧に」迎えてくれた。
『昨日はお待たせしてしまったみたいで…申し訳ありませんでした』
『いえこちらこそ、先生にはお待ちいただいたようで…』
穏やかに、滞りなく病室に入った長女さん。前日の怒りの炎はいったいどこへ行ったのだろう。心の闇ってこわー、気の迷いって怖いねー(苦笑)
父からの申し出で実現したのだけど、結果この日は病状と治療方針についてスター先生からご説明いただく時間の方が多くなった。それは「救命を出る」父のひとつ目の目標を達成するための条件も含んだ重要な話だった。
3回のアクテムラが著効
ここ数日、父はわりと大きな回復を見せていた。
・無尿(100cc未満/1日)状態から乏尿(400cc/1日)状態へ
・24時間透析から短時間/間隔の透析へ
・顔や腕の浮腫が減り、自分で歯磨きができるように
・とにかくよく喋る(これはステロイドの影響かも?)
これまで、3回のアクテムラ投与と1クールのステロイドパルス(プラス、量を減らし継続投与)を治療として実施してきたのだけど、スター先生は父のこうした回復について「アクテムラが効いてきたようだ」と話しておられた。
血小板減少(輸血により1〜4万)、不眠や下痢(腸が腫れている)などはまだ続いているものの概ね経過は良好。さらに先生の次の言葉で私は一気にパッと明るい気持ちになれた。
『このまま短時間の透析で済むようになれば、救命病棟からICUもしくは血液内科病棟に移ることができると思います』
転院20日目。3回のアクテムラが奏功し尿量400ml/日・顔や腕の浮腫減・間隔透析など治療は順調に進んでいると言える。この週末乗り切って週3透析に移行できれば救命病棟からICUor血液内科の一般病棟へ移れそうだと先生から。あぁ父ちゃん「救命を出る」一つ目の目標叶えそうだね。#TAFRO症候群
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) December 28, 2019
思わず父と見つめあった。
(やったね、お父さん)無言で、しかもマスク越しにではあるけど、自然に出た笑顔を向けると父もウンウン頷いてくれた。
私はてっきりステロイド治療が劇的な効果を発揮したのだと思っていた。時期的に1週間前に実施したパルス後の父の状態が日に日に良くなってきているのを実感していたから。TAFROの症状は急速に悪化したけれど、良くなり出すのも急激だったように感じた。
転院当初からスター先生の治療方針は一貫していた。最大の課題は「透析から離脱できるかどうか」つまり腎機能が回復するかどうか、なのだ。救命病棟を出るための条件はやはり透析からの離脱だった。そして幸い順調に間隔透析へ移行中。
この日はちょうど世の中の年末年始休暇初日だった。救急科は時期的に「嬉しくない繁忙期」になるらしい。酔っ払い、車の事故などによる救急搬送も増え、さらに他の病院はお正月休み。父の転床は『ベッドを空けるという目的もありまして…』と先生が正直に教えてくださった。
話を総合するともしかしたら、父の状態によってはお正月休みの間にも救命を出られるかもしれない。
目標クリアは目前に迫っていた。
病名告知と新たな病気の可能性
『少し、気になることもあります』とスター先生。
一つ目は数日前に下肢の神経伝導検査を実施した際、太腿あたりの数値が多少乱れ神経障害の可能性があること。二つ目は最近の血液検査の結果、Mタンパクが陽性と出たこと。これによりもう一つの新たな可能性が浮上してきた、とのことだった。
(神経障害?え…どうしよう、何のことだかさっぱり…)
TAFRO症候群の症例は穴が開くほど見てきたのだけど、神経障害やMタンパクといった用語は一度も目にしたことがない。『どういうことでしょうか?』先生に問いかけてみる。
『お父さんの病気はTAFRO症候群です。カタカナでタ・フ・ロ。それぞれの症状を英語にした頭文字を取った名前です。前からお話ししている通り非常に珍しい病気で、この病院では少なくともここ3年ほど症例がありません。100万人に1人が発症すると言われる稀な病気なんです』
おっと、ここでまさかの病名告知。
父はこの時はじめて、自分の病気がTAFRO症候群という名前であることを知ることになった。予想外の展開に思わず父の顔を見る。表情が変わることはない。真剣なまなざしでスター先生を見つめ、食い気味で聞いているように感じた。
『もともとTAFROは「キャッスルマン病」の一部か別疾患かということで研究されている病気です。症候群というのはいろいろな症状が複合的に発症するということなんですが、お父さんの場合も全身浮腫、無尿状態、これは腎機能の低下ですね、血小板の減少などが起こっていますよね。そして神経障害とMタンパクの結果を見るともしかすると「POEMS症候群」という別の病気”寄り”のTAFRO症候群かもしれないという可能性が出てきた、ということなんです』
(ぽ、ポエムス?)
スター先生は持参された紙を取り出し、何やら書き始めた。『ちょっと専門的になるので、誤解を恐れず簡単にご説明しますと』と呟きながら。
『血液の中には”形質細胞”という免疫に関わる細胞があります。これが悪い方に変化すると骨髄腫、つまり血液のがんになります、こっちはいわば細胞の「不良」みたいな感じです。そして、良性ではあるものの細胞が悪さをして全身に炎症をきたすのがキャッスルマン病やTAFRO症候群と言われています。これはまぁ「半グレ」みたいなものでしょうか』
細胞が「不良」になるか「半グレ」になるか、ね…なるほど。
『そこに重なり合うように絡んでいるのがPOEMS症候群という病気です。これもTAFROと同じように症状の頭文字を取っていて、Pがポリニューロパチー(神経障害)、MがMタンパクを表しています』
先生も図を書きながら話してくださったのだが…む、難しすぎる。でも、後になって一生懸命調べてみると少し理解できた。
#キャッスルマン病 患者会HPより引用させていただきましたが、この図を改めて見直すことで、今日の先生のお話がよく理解できた。先生は噛み砕いて教えて下さったけれど、そもそも構造が複雑すぎる(>_<) pic.twitter.com/jijmyU95UM
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) December 28, 2019
この図が患者会HPからの引用というのは実は間違いで、キャッスルマン病研究班からの引用ではあったのだが、真ん中のMCDというのがキャッスルマン病。多発性骨髄腫は細胞が「不良」になった状態。そしてTAFROやPOEMSだけでなく全身性エリテマトーデスなどの膠原病も広く「半グレ」のお仲間だということが分かりやすく図解されていた。
『ただ神経検査については、お父さんはまだ足にだいぶ浮腫が残っていて、この浮腫が電気の伝達を妨害している可能性もあり、検査結果そのものが未確定ではあるんです。「障害」というと不安に思うかもしれませんが、あくまで可能性のひとつとしてお話しさせていただきました』
そうね、立てない・歩けない・一生車椅子…正直ちょっと脳裏に浮かんだわ。でもまぁもう何を聞いてもあまり驚かなかったのは確か。寝たきり、車椅子、障害…もしそうなったとしても父は生きている。この時はそう思ったんだよね。
ひとまず可能性の一つとして経過を観察しながら、現在の救急科から専門の血液内科に転科してTAFRO症候群の治療を進めていきます、とのことだった。
スター先生は本当に素晴らしい先生だ。しれっと父に病名を告知してくれちゃうし、病気を「細胞の不良化、半グレ化」と表現して私たちがわかりやすいように専門用語を変換しちゃう。それはあまりにさりげなくてユーモアチックだったから、きっと父も自分の病気をすんなり受け止められたのではないだろうか。
少なくとも私は、この説明が好きだ。
今後、誰かに父の病気を説明するときは『血液の細胞が半グレになって悪さしてるらしい』と話すことにしよう。
主治医からの励ましと褒め言葉
説明の終わり際、スター先生は父の肩に手を置いてこう声をかけてくださった。
『ほんとうに良く治療についてきてくださいました』
???
父も私もきょとん顔。
『あのね、今だから言うんですけど、本当に《生きるか死ぬか》の状態だったんですよ(笑)来られたばかりの頃は重症で、しかも長期間こんなとこにいたら普通、点滴の管を抜こうとしてしまったり、ベッドから降りようとしたり、暴れてしまったり、周囲に暴言を吐いたりしてもおかしくないんです。でもお父さんはそういうこともなかった。まだ治療は続きます。リハビリも考えるとまだ数ヶ月、時間がかかると思います。ここを出られても僕ちょこちょこ行きますから、これからも頑張りましょうね』
いやぁ、滲みるね…骨の髄まで滲みる感じ。
お医者さんから褒められるってパワー出る。父の顔も心なしか嬉しそうだったもん。
そして私は「本当に頑張ってきたんだなぁ」と父のことがより誇らしくなった。同時に、以前の病院の主治医グレイ先生に続き、この病院でスター先生と出会えたことを心の底から感謝した。
やっぱりウチの先生はスターだ。
父も娘も、スター先生を信頼している。転院前のグレイ先生のこともそう。「医者を信頼する」このことが治療に、経過に、大きな良い影響を与えている、と私は思う。
現実は、誰もが信頼できる医者に診てもらえるとは限らない。そう考えると父の2人の主治医との出会いは《 感謝=「有り」+「難い」=奇跡 》なんだと思う。感謝の気持ちを表す「ありがとう」って言葉は本来、こんな風に「まるで奇跡のような出来事だ」と表現したかったのかもしれないね。
◇
最初の救急搬送から5週間。うち、TAFRO症候群の診断確定から3週間。不安が消えたわけじゃないし新たな難関もあるけど、「救命を出る」父の第一目標クリアはもう目の前。
(ほんとうに、よくここまで頑張ってきたね、お父さん)
父とスター先生のおかげで、この日は前日とは打って変わり、温かく、誇らしい気持ちで病室を後にした。