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ステロイドの効果と誕生日【大学病院ER14日目】
救急搬送からちょうど4週間経過したこの日は私の誕生日だった。妹は今回、この日に照準を合わせ狙い撃ちでこちらに来てくれていた。自分の誕生日に家族3人が一緒にいるなんて、いったい何十年ぶりだろうか。
だからと言って特別何かが変わるわけではない。いつもと変わらず面会に行き、看護師さんに呼ばれるまで待合で過ごす。ステロイドパルス初日が明けて父の様子はどうなっているのか、不安と期待が入り混じった待ち時間だった。
ステロイドの効果
病室に入るとなんだかちょっと眠そうな父。一瞬、また意識が混濁してきたのか?とも思ったけど、『体の調子はどう?』と尋ねると『それが昨日は全然眠れなかったんだよ』と。
ステロイドの副作用に不眠の傾向があることは知っていた。高い濃度のステロイドをパルスで入れているし、その影響で眠れなくなっていることも考えられる。
だけど父は、救急搬送されてからずっと「夜眠れない」と訴えている。さらに言えば普段家で過ごしている時も夜中に目が覚めてから明け方まで寝付けないこともあった。
この不眠が、ステロイドの影響なのかどうかはわからない感じだ。
ただ、救命病棟で夜眠れないのはしんどいだろうなぁと思う。夜中だろうが搬送患者や急変患者がいれば慌ただしい。スタッフステーションには煌々と明かりが点いたまま(父の病室は転院以来ずっとスタッフステーションの目の前だった)だし、テレビもスマホも本もラジオも一切使えない状況で、ただひたすら天井を見つめて時間をやり過ごすしかないのだから。
あまり看護師さんを呼ばない父ではあったけど、寝付けない辛さも限界だったらしい。これまでも眠剤をいただいて服用することも多かったそうなのだが、パルス初日は眠剤を飲んでも眠れなかったと話してくれた。
不眠以外にステロイドの影響と思われる症状は出ていないようだった。そもそもパルス療法は短期間で投与するため副作用も出にくいと言う意見もあったし、出てくるとしてもステロイドの減量期間中なんだろうなとは思っていた。
とはいえ、ひとりひとり症状は違う。薬の効き方や作用だって違うはず。医療スタッフはもちろん注意深く見てくれていると思ったが、私も気にしながら経過を見ていこうと決めていた。
良い影響の方はといえば、パルス3日目に熱が下がるという効果が見られていた。
転院14日目。#ステロイドパルス 1クール最終日。睡眠薬を飲んでも眠れず少し辛かったよう。日中は寝れちゃうらしい父に思わず『夜勤みたいだねぇ』。いやできれば夜中に寝てたいよね。他、熱が36.4℃まで下がって(6℃台は入院後初かも)口内炎が再発し痛みも。相も変わらず一進一退。 #TAFRO症候群
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) December 22, 2019
TAFRO症候群の「F」はfever、発熱のことだ。父もずっと38度台の発熱が続き、氷枕やアイスノンが手放せなかった。転院してから37度台に下がったこともあったけれど、平熱近くまで下がったのはこれが初めて。熱がなければ体もちょっとは楽になるはず。少しずつ治療の効果が出て来たのかもしれない。
枕の位置が悪いのも不眠の影響?
アイスノンといえば、父はどうもベッドの高さ(頭の部分の角度)と氷枕やアイスノンを包んだ枕がわりの代物がしっくりこなくて、いつも気にしていた。傍目で見ても枕が高くなってしまい、首が詰まって苦しそうに見えることが度々あった。
首には透析用の中心静脈カテーテルが付けられている。ヘタに動かすと痛んだり外れたりするのではないかとビクビクしていたので、いつも看護師さんを呼んで調整してもらっていた。
救命病棟のベッドはものすごく高機能だ。上半身が起こせるだけじゃない。足の高さを変えられ、頭部分だけの高さが変えられる。しかも、体の重みを感知して自動的に頭の部分にエアが入り、枕がなくても大丈夫なようになっているからすごい。
ただ父の場合、このエアによって一層頭が高くなってしまい、アイスノンの高さも加わって首が詰まってしまうようだった。
対策として、アイスノンを小さなものに変えてもらい首の後ろ部分にあてがってもらうとうまくいく。ところが看護師さんが変わると通常の大きなアイスノンを持って来てくれちゃうんだね。毎回毎回「小さいのがほしい」と伝えるのがめんどくさい(遠慮しちゃう)父は、首が詰まりながらも我慢している様子だった。
あまり看護師さんを呼ぼうとしない父を見かねて、私は都度「遠慮しなくて良い」「看護師さんの仕事を奪っちゃダメよ(笑)」などと伝えながら父にコールを促し続けていた。私があまりにも催促するもんだから、以前には「もう我慢するのやめた」と宣言してくれたこともあった。
父が昨日言った一言「もう我慢するのやめた」看護師さんや先生に何かを訴えるのは、いろいろ躊躇したり遠慮したりしてしまうものなんだよなぁ、きっと。父の勇気も先生方との信頼に変わるはず。#TAFRO症候群 #キャッスルマン病
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) December 17, 2019
https://t.co/P0wqnhSVaJ
だけどやっぱり「呼んでもどうせ忙しくて来てくれない」「用事を忘れられてしまう」「何度も呼ぶのはさすがに」などと思ってしまうみたい。
枕の位置って健康な人でも大事だよね。ぐっすり眠るためにはまず寝具から、ってよく言うじゃない。自分に合った枕の高さを諦めて欲しくないんだけどなぁ…と、これはICUを出るまでずっと思い続けた願いだった。
遠慮がち、だけど神経質。
父の素晴らしいところでもあり、弱点でもあるのかもしれない。
(ちなみに父のこういう繊細さをほぼほぼ受け継がなかった娘…苦笑)
誕生日のお祝い「寿司リベンジ」
夜眠れていない父は、パルス療法期間中ずっと眠そうにしていた。せっかく遠方から妹が来てくれていたのだけど「寝かせてあげたほうがよさそう」と判断し、面会を早々に切り上げることにした。
『姉の誕生日をお祝いしようと思って』と妹が話すと父も嬉しそうに『そうか、楽しんでおいでよ』と頷いてくれる。じんわりと温かい気持ちになる。
妹は義弟(妹の夫)からのお祝いまで預かってくれていた。「出してもらえるから一緒に好きなものを食べにいこう!」とのありがたい申し出に、私は速攻「じゃあお寿司♪」と答える。
お寿司といえば、父がまだ地元の総合病院に入院していた頃に妹が連れて行ってくれたことがある。父の病状を悲観していた私を元気付けるためだ。その時はほんとうに食欲がなく、大好きなはずの寿司をほんのちょっとしか食べられない異常事態にまで悪化してたっけね。
でもこの日はたらふくお寿司をいただいた。寿司リベンジだ。奢っていただくお寿司は格別に旨い、そういう正常な感覚を持てるようになった。「姉もだいぶ回復できたと言うことだね」と妹はめっちゃ喜んでくれた(お金出してくれてるのに)
この1ヶ月、怒涛のような非日常が私たち家族を襲って来た。救急搬送、ICU、輸血に透析、ヘリで転院、希少難病、生きるか死ぬか…現実として受け止めるにはあまりにも急激で、レアケースで、重症で。
非日常と言っても、難病を抱えながら前向きに苦しみと闘っている人の数は、今まで感じていたよりもずっと多いことも知った。きっと今後は父も私も「病気が日常」になっていくのだと思う。これはもう時間がかかっても受け止めていくしかない。
とはいえこの頃は急性期、ひとりだったら絶対にくじけてた。いや病気を抱えて闘っている父本人の前でそんなことは言えないけど、でも私ひとりじゃ到底耐えられなかったよ。
妹がいつも支えてくれた。妹の夫も、叔母も、義理の両親も、そしてオットも会社のスタッフも。家族や親族、仲間がいてくれなかったら、情けないけど父より先に私がダウンしてたかもしれない。
まだまだ安心できる状態ではない、救命病棟を出るまでは。
その日を目指して、支えてくれる人たちのためにも父と一緒に頑張ろう。改めてそう思えた誕生日になった。
ほんと、ありがとう。