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高度急性期を脱出。救命病棟を出る日【大学病院ER24日目】
大晦日。流れている紅白歌合戦で父は現実の世界に戻ってきたらしいが、長女さんはお笑い番組で1年の全てを笑い飛ばそうとしていた。そして笑っているうちに年を越して新しい1年がスタートした。
年末にお酒を飲まなかったのは何年ぶりだろう。たぶん20代の頃に年越し風邪を引いた以来だからもう年数2ケタは経ってるな。父の状態はずいぶん落ち着いてきて、ここ2日ほどは野菜ジュースを口にするまで回復してはいたけど、それでもなお「いつ呼ばれるか」という呪縛から解き放たれることはなかった。毎晩飲んでいたお酒も1ヶ月以上口にしていない。
お酒の力を借りなくても、年末はハッピーだった。闘病を頑張ってきた父への感謝はもちろん、支えてくれた人たちへのありがたい気持ちが溢れてきてものすごく心があったかい夜だった。お笑いを観て隣で笑っているオットにも感謝を伝えながら年を越せるなんて幸せじゃないか。お酒がなくても…(しつこい笑)
元旦の朝。ニューイヤー駅伝を流しながら雑煮を作り、お昼にオットと一緒に食べて、午後には父の面会に行こうと思っていたその時、病院から着信が。
(え?…元旦早々まさかの呼び出し?)
『転床が決まったので今後のお話を…』
応答すると電話の主はスター先生だった。心臓がバクバクしていた。
『長女さんですか?今お時間よろしいですか?午後、一般病棟に移ることが決まりました。血液内科のベッドが空くまでの間、別の科のベッドにはなるんですが』
(良かった……やった…)
口から飛び出そうな鼓動が一気に治まって、安堵のため息に変わった。
『それで、血液内科に転科後の治療方針を決めるにあたって、まだまだ先のことにはなるんですけど退院後のお話をしたくてご連絡しました。お父さんはこれからTAFROの治療とリハビリをやっていき、最終的には外来での治療に向けて進んでいくことになるんですが、おそらく別の病院に転院していただいて、ということになっていくと思います。転院先の病院等を検討するにあたり、お父さんはこちらが地元ではないということもあってご希望をお伺いしたかったんです』
大学病院は高度急性期や急性期の患者を受け入れるところだ。回復期や慢性期になれば地域の別の病院に移って治療を進める、というのは事前に調べてわかっていた。
(それにしても、救命を出ると決まったばかりの今「まだまだ先のこと」なんて考えられないよ…父の症状がどうなっていくのかも全然わからないのに)
とは思ったけど、先生には現時点での希望を伝えなきゃいけない。『今後、変わることもあるかと思いますが』と前置きした上で、こう話した。
『おそらく父は地元に帰りたいと思っていると思います。父の体の状態、父の希望が最優先なのでこれから相談が必要だと思いますが、今の時点ではできることなら地元で転院や治療ができたら、と思っています』
「わかりました、その方向で検討してみます」とスター先生はおっしゃった。このあと14時にベッドごと移動する予定だと教えてくれて、電話を終えた。
(そうか、これからお父さんといろいろ話さなきゃいけないな)
救命病棟を出るという喜ばしい出来事に浮かれてばかりもいられないんだな、と思った。
が、そこは長女さん。やっぱり浮かれまくってオットと妹に即報告。だって嬉しいんだもん。『おおお!幸先のいい1年だ』と妹も一緒になって喜んでくれた。
いきなりの大部屋、ホントに大丈夫?
お正月の挨拶を兼ねて、この日はもともとオットと一緒に面会に行く予定だった。オットが入院した父と会うのはこれが初めてで、多少緊張もしていたっぽい。
病院に着いたのは14時半近く。引っ越しが終わっていると予測して、スター先生が教えてくださった病棟に向かい、受付で事情を話すと「まだいらっしゃっていないんです」と返答が。あらら、予想外の「お出迎え」ができそうね。
じゃあ救命センターに向かって父を迎えに行こうかな、と思ったその時、看護師さんが「あ、今いらっしゃいましたね(笑)」と。タイミングの良いことにちょうど父がエレベーターを降りてきたところだった。父が横たわるベッドには荷物がどっさり積まれていて、もはやベッドなのか台車なのかわからない状態になっていた。
『お疲れさま。やったね、お父さん』と声をかけると笑って頷く。すぐ、隣にいるオットに気づき『おお』と短い挨拶を交わす。
『これから病室で準備をしますね。お声がけしますので食堂で少しお待ちください』と案内され、お正月の面会で賑わう面会スペースでオットと2人待つことになった。
見渡すとマスクをしていない人が多かった。私はすっかり「面会時はマスク必須」と習慣づいていて多少の不安を覚えた。風邪やインフルも流行っている時期なのに…と心の中で毒づきながら、救命とは違う世界に足を踏み入れる父を案じていた。
20分ほど待っただろうか、看護師さんが呼びに来てくれた。連れられた病室は4人部屋。父はなんと大部屋に移ってきたのだ。救命を出たのは嬉しいけど、嬉しいけど、ほんとにここで大丈夫?
「荷物を置く場所」父と娘の攻防
『あけましておめでとう。元旦に救命を出れるなんてね』『そうだね。オットくんもきてくれてありがとうね』『いえいえ、ご無沙汰しています』
いやぁ…3人でこんな会話ができるなんて、ついこの前まで想像もつかなかったよ。
4人部屋はすべてのベッドにカーテンがひかれ、開いているところはひとつもなかった。今までよりだいぶ狭くなった空間にテレビの棚と荷物棚。父のいる廊下側は窓がないからちょっと暗い。
気を遣いやすいタイプの父。他の患者さんに迷惑にならないか…父はしきりにそればかりを気にしていた。
◇
移動の際、台車代わり?のベッドの上にあった父の荷物は、看護師さんによってすべて棚の中にしまわれキレイになくなっていた。ところが父はどうもその「置き場所」が気に入らないらしい。父の指示のもと、一緒に整理し直すことになった。
今までとは勝手が違う病室。ベッドに寝たまま観られるようTVの位置を調節し、すぐに使う水呑み、歯ブラシ、ニベアプレミアム、タオル、ティッシュ…それらひとつひとつの置き場所を「右側か左側か」に至るまでこだわりを発揮する父。
『これは棚の中でいいよね?』
『いや、これはこっち』
『じゃあコレは…ここかしらね』
『違う違う、それはそこじゃダメだろ』
父と娘のやりとりを、オットは「ケンカしてるんじゃないか」とひやひやしながら見ていたらしい。ま、でも親子ってこんなもんよねぇ?
新しい年、新しい生活
救命でもなければ、TAFRO症候群を診てくれる血液内科でもない病棟。お正月休みで人手も少ない時期、病棟看護師さん間の引き継ぎはものすごく大変だったと思う。多少の塩対応は致し方ない。
これまでとは違う病棟で、違う対応にも出会い、モヤモヤすることもあるのだろう。
それでも、前の週まで水分もほとんど取らなかっだ父とはうってかわり、「たまには味のついた飲み物も欲しいかな」など前向きな発言もあるし、膝上は難しくとも足先や身軽になった腕などは積極的に動かそうとしている。
とにもかくにも、1つ目の目標をクリアした今。やるべきことはお祝いだ(笑)前向きに考え、目標達成を祝わなくちゃ。
ということでこの日は父の了承の元でお酒を解禁し、オットとともにささやかなお祝いをした。「何かあったらすぐに来れるように」救命医にかけられた呪縛を40日ぶりに解いたというわけだ。
新しい1年がはじまる。父にとっては新しい生活がはじまる。
TAFRO症候群の治療と、そして、廃用症候群との闘いが幕を開けた。