説得力のある言葉に出会う。

自分の行動を変える為に、最も必要なことは【説得力のある言葉に出会うこと】だと思います。
突然どうした?って感じなのですが、つい最近、自分の生活習慣を見直すキッカケになったお話をさせて頂ければと思います。

行い、と大袈裟に書きましたが、私の場合は変えることが出来たのは生活習慣です。
具体的に言えば食生活、運動などです。
ただ、タイトルにさせて頂いた言葉は、他の行動や考え方などにも当てはまるのではないかと思います。

人は、常に考え、正解を導きだそうとします。
その際の肥やしとなるのが、過去の経験だったり、あるいは本で得た知識だったり、また他者の言葉であったりします。
例えば、誰かの言葉が正しかったとします。
でもその方の説明が納得のいくものではなかったり、伝え方が足りなかったりすると、疑いを持ちませんか?
本当にこの人の言うとおりなのだろうか?
信じていいのだろうか?
病院でも、そうです。
例え腕のいい、正確な診断をするお医者様だとしても、伝え方がぶっきらぼうであったり、受け手側に配慮のない言い方だとすると、患者側は治療方針に不安を抱きます。
そうなると正しい治療をしていても、どこか心がもやもや、薬も効いてこない気がします。
私が正にそうでした。
2年前から漢方で本態性振戦の治療を始め、今日に至ります。
その過程で漢方の先生に色々と質問をしたり、また、色々な生活のアドバイスを頂くのですが、その先生の伝え方、表現の仕方が分かりにづらく、どんな質問をしても「うーん…」と頭を捻りたくなるなる答えばかりでした。

そんなやり取りを2年続けて、いい加減もやもやふわふわしたまま治療を続ける事に嫌気がさし、治ってないけどもう治療をおしまいにしてしまおうと思いました。
先生に余り善くなってはいないけど、減薬し、そろそろ漢方を終わらせたいと伝えると大層不快そうな顔をし、
「患者の判断で減薬を決められるものではない。私から見たらまだ減薬するには早い。」言われました。
私は話が違う!と思いました。
何故なら以前先生に
「私から薬を止めるタイミングは指示しない。減薬したくなったら言ってくださいね。」
と言われた事があったので、とても驚きました。
東洋医学の世界は曖昧で、その曖昧さが良いほうに作用しているのが漢方だと思うので、その時の先生の見立てや判断によって発言が変わるのかもしれませんが、私としては納得いきませんでした。
その旨を伝えると、ああ、と言った感じで自分の発言すら忘れているような雰囲気でした。
その月の薬は今までと同量で処方してもらいましたが、次回は絶対やめてやる!
何がなんでもやめてやる!
と強く誓いました。

…でもそれから数日。
よくよく冷静になって考えてみました。
2年間、ここで治療を続け、確かに調子が良い日も出てきた。
けれどまたぶり返したり、かと思ったらまた調子が良くなったりと、延々と同じような症状の繰り返しで、うんざりしていました。
正直ここまで治療を頑張ってきて、完治していないのに止めるのに不安も感じていました。
勿体なさも感じます。
なのでせっかく高いお金払ってきたんだから!と今まで先生に言われた生活習慣のアドバイスをノートに書き起こしてみました。

焼きあごが体質に合うと言われたこと。
筋肉がつきにくいので、運動は定期的にしたほうが良い。
甘いものはなるべく控え、多くても週1~2回にとどめること、等。

それと同時に、別の道を検討し始めました。
別の漢方薬局を探すことにしたのです。
もしも良さそうなところを見つけたら、変えてしまうのも手だな、と考え、あれやこれやと検索していると、ある他県の漢方薬局が目につきました。
距離が遠い為、通うのは断念しましたが、そちらの先生が書かれたブログがどれも丁寧な説明がなされたもので、ここで初めて腹落ちしました。
病を治す上で、食生活を正すことが大切な理由。
自律神経系の病が漢方で治っていく過程やぶりかえす理由など。
どれも納得がいくもので、ああ、これは生活習慣を正さなければいけないと強く思いました。
背筋がしゃんと伸びた気分です。
その先生のブログのお陰で、今現在も規則正しい生活を心掛けることが出来ています。

どんなに正しい言葉でも。
それが自分を思って言ってくれた言葉でも。
響かなければ意味がない。
行動に移せない。
改めて【言葉】というものの重要性を感じたエピソードでした。


いいなと思ったら応援しよう!