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パン職人の修造 153 江川と修造シリーズ 赤い髪のストーカー


麻弥に残されたのは自分も一刻も早く修造の跡を追ってコンデイトライの試験に合格して日本に帰る事だった。

生活は相変わらずだったが、麻弥には目標が出来た。

勉強を怠らず真剣に打ち込んだその道の先に修造が光り輝いていた。

麻弥の心にはありもしない妄想を繰り返したり、実際に会ったらまたバッサリと振られてしまうと言う恐れが交互にやって来た。

麻弥はやっとゲセレの試験に合格した。
もうこれで日本に帰っても良いが、父親の顔を思い出してゲンナリし、何がなんでも修造と同じマイスターの試験を受けようと密かに考えた。

麻弥は休みの日になると修造の通っている学校の近くで待ち伏せした。
就業時間になると修造が校舎から出て来てあっという間に自転車に乗って遠ざかって行く。

一瞬しか見る事は出来ない。

何故かというと麻弥が自転車で追いかけても追いつくなんて事は一度も無かったし、もし声をかけたところで聞こえないフリをされたかも知れない。

それでもそれが麻弥の唯一の楽しみだった。

大人しく、自己表現に乏しい個性のない麻弥だったが髪の色は明るく染め続けた。

修造はある時を境に学校から姿を消した。麻弥は日本に修造が帰った事をそれで知ったのだ。

ノアに修造はマイスターになったのか聞いたら「そうだよ、忍者は日本に帰ってパン屋をするって言ってたよ」と聞かされた。

何年か後、麻弥もヘフリンガーを去り、修造のいた学校に通う様になって、この山場を越えたら修造のいる日本に帰れるんだわと、勉強にも打ち込む事が出来た。

そんな頃、麻弥がSNSで日本に帰った修造の写真を探していると、NNテレビ「パン王座決定戦」に出ていた時の画像を見つけた。

パンロンド田所チームの動画を何度も何度も見た。見ている瞬間は麻弥の脳内に温かい幸せが少し芽生えた。

私の方を見て欲しい。

麻弥の願いはそれだけだった。

今のところは。

ーーーー

努力の甲斐あって麻弥はマイスターの試験に合格した。


その後お洒落なコンディトライで働き、自分が店を持った時の為に色んな事を教わった。

『日本に帰ったらお店を持つわ。そしてお洒落で素敵な自分を修造に見てもらいたい』そう思うと頑張れる。

麻弥は両親への返済をとうとう完了させた。

日本に帰る前に実家に電話して、もう2度と戻らないと告げた。驚く母親の後ろで、誰のおかげでとか言う父親の声が聞こえたので電話を切った。


その後、日本で生活を始めた麻弥は、まず銀座の一等地にあるケーキ屋で働き始めた。店主はケーキ作りをしたいと言う麻弥の容姿を見て「まだ見習いだから店で働くように」と言う。

麻弥は化粧映えして、子供の頃とは違いスタイルが抜群に成長していた。

豪華な店構えのケーキ屋で働いている店員としてとても見栄えのする麻弥に、リッチな男性が何人も言い寄って来た。
どうしても付き合って欲しいと言う男性が現れて毎日毎日待ち伏せされて断りきれずに少しだけ付き合った。言いなり人形の様な自分がまた出てしまい、言われるがままに振る舞ったが好きにはなれず、自分が言いなりになってるにも関わらずそれが当たり前になってぞんざいな振る舞いをする様になって来た彼の中に大嫌いな父親の姿をみつけ、段々嫌になり逃げる様に去った。

店も辞め、住んでいるマンションも引っ越した。

横浜の職場でも同じ事が起こった。ケーキ工房で働き始めたが、同僚の青年が麻弥に夢中になり、麻弥もまた相手の言いなりになった。言いなりになりながら相手の中に嫌悪する父親像を見つけたが、憧れの修造の姿は見つけられなかった。
そしてまたプロポーズされたのをきっかけにお別れを言いその店から去った。

麻弥にとって最大の重要な事は修造を時々遠くから見つめる事だけだった。


自分に夢中になり追いかけてくる男性と、ドイツで冷たい態度できっぱりと自分をはねつけた修造を比べて、麻弥は修造にかなり冷たくされたと段々わかってきた。

なので近寄るのはリスクが多すぎた。

うろついてるのがバレるとストーカーとして警察に通報されるかも知れない。そうなると接近禁止命令が出て、2度と修造の姿を見る事はできなくなるのだ。

麻弥は慎重に修造の跡を追った。

そのうちに修造がパンの世界大会というパンの世界ではトップクラスのコンテストに出るのを知り、毎日の様にネットでの情報を探した。

基嶋機械のホームページの画面に映る修造の凛とした眼差しにうっとりと何時間も眺める事もあり、いつの間にか大粒の涙が麻弥の頬を濡らす。

そんな時、1人目の付き合っていた男が麻弥のマンションを探し出してドアをドンドンと叩き男は暫く大声で説得していた。

麻弥は男が諦めるまで息を潜め、「また来るよ」と大声で言って帰った後は心底ホっとした。

暗い部屋で一人、麻弥には友達もいなく、両親の元には帰る気持ちはなかった。
ヘフリンガーのモニカを思い出して電話をした。とにかくドイツに来るように言われて身支度をして男がいないうちに電車に乗って飛行場へ行った。

「私はいつもこうだわ」飛行機の中でため息を漏らす。

麻弥はへフリンガーに挨拶に訪れた。
「修造って今丁度フランスで世界大会に出てるよ、今から表彰式だから見よう」食堂に手を引かれて皆とネットで世界大会のライブ映像を見ながら優勝を祈る。
自分もフランスに行くか行かないのか迷ったが、今こうして応援出来るなんてそれはそれで嬉しい。
修造が優勝した。江川と言う助手の男の子が全身で喜びを表している。
じっと立ったままの修造を見て「忍者は渋い」とノアが誇らしげに言った。

麻弥もまるで自分の事の様に誇らしい気持ちになる。

ここで働いていた時、工房の奥に修造がいて、長い足でこちらに歩いてくるのを思い出した。
こんなに愛してる人がいるのに何故他の人と付き合ったりしたのかしら、麻弥はその時深く後悔した。

自分は修造だけを愛してるのだと思い、両の手を合わせて強く握りしめた。


ーーーー

日本に帰って来た。
だが職は失っていて引っ越しもこっそりしなければならない。

そしてこれから修造が自分を見てくれるのか分からず途方に暮れる。




「これから私はどうすればいいのかしら」


飛行場から電話してアルバイトを探す。


そんな麻弥に転機が訪れた。


ケーキ屋の製造のアルバイトを掛け持ちしてなんとか生計を立てていた時、人づてに麻弥がコンディトライの資格を持っているのを知った実業家の常吉光宣(つねよしみつのぶ)が、自分の経営しているケーキ屋で麻弥に店長をやらないかと言ってきた。

麻弥は男性から逃げる生活に疲れて、常吉さんとは付き合わないし女性だけの従業員を雇って良いのならと条件をつけてOKした。

常吉は喜んで、お店をリッチなお菓子屋を真似て改装して、Glänzender Kuchen(光るケーキ)と自分の名前から一文字取って名付けた。

麻弥はドイツで習った規定の配合で作る本格的なお菓子を置き、コツコツと仕事を続けた。

お菓子を作っている時、自分はこの為に生まれて来たんだと言う気持ちになれた。

常吉の目論み通り店が段々繁盛して人手が足らなくなった時、麻弥の人生にとって重要な人物が現れた。


つづく


※ゲセレ(Geselle)🟰職人
 マイスター(Meister)🟰親方
 コンデイトライ(Konditorei)🟰洋菓子店
 ベッカライ(Backerei)🟰パン屋

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