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パン職人の修造 147 江川と修造シリーズ flowers in my heart


作業中

杉本は350gに生地を分割をしていた。
側から見てもモヤモヤと物思いに耽ってるように見える。分割だけを続けていたので台の上にいっぱいになってきた。

見かねた由梨が生地を丸めて箱に入れるのを手伝いながら杉本に話かけて来た。

「あの、忙しいのに2人で抜ける事になってすみません」

「俺どうしたらいいか分かんなくなって、でも藤岡さんには世話になったし幸せになって欲しいと思ってる」

「はい、私も幸せになって欲しいです。だから精一杯手伝おうと思って。凄く大変そうな所も見てしまったし」

「ああ、あれ」2人とも捕まったり走ったり投げ飛ばしたりしている藤岡を思い出した。

「はい、なので絶対にこれからもそばに居ようと思っています」

由梨の瞳からは決心の様なものが漲っていた。

「強いんだなあ」由梨の事を藤岡のひっつき虫と思っていたがそれは間違いだった。

「それに引き換え俺は急に足元がぐらぐらしてる気分」

なんだかいつもと違う杉本を見て風花は心配になってきた。

最近は一緒に帰らずに先に帰ってしまう。

「いつもなら待っててくれるのに」


仕事帰り

風花は杉本の家を訪ねた。

「あら、風花ちゃん!いらっしゃい」風花が来たので恵美子は大喜びで迎え入れた。

「龍樹いますか」

「ええ、2階にいてるわよ。ねえ、最近あの子様子がおかしいけど職場ではどうなの」

「はい、元気ないです。だから様子を見に来たんです。家ではどうしてるんですか」

「帰ったらずっと部屋に篭ってスマホ見てるのよ、風花ちゃん、ちょっと様子見てくれる?」

「わかりました、お邪魔します」

風花は2階に上がり暗い部屋で何を観てるのかスマホを取り上げて見た。

「パンの動画見てたの」風花も知ってるような有名シェフが懇切丁寧にパン作りの手順を解説している。

「そう、返して」

「ごめん」

「俺1人じゃ結局なんも分かんないから」

「そんなことないよ。試験だって受かったじゃない。どうしたの急に。藤岡さんが辞めちゃうのがそんなに負担なの?」

「俺は俺の馬鹿さ加減に気が付いたんだ。今までのいい加減な俺を思い出すと腹が立つようになったんだ。それだけだよ」


だから毎日先輩の動きを脳内で蘇らせたり、配合表を書き直したりパンの動画を観たりして自分の中に蓄えを作ってたんだ。



ある時 それは脳内で完成した。


「おっ」

親方は杉本の動きが今までとまるで違う事に気がついた。

今までは藤岡の指示通りにしてて1人でやらせると急に失速したりしてたのに「生まれ変わった?」と思わせる程何かが違う。


こいつとうとう自分で考えて出来る様になってきたんだな。今まで人任せでいい加減だったのに。

そして向こうから杉本を見ている藤岡と目があって

2人して頷きながらニヤリと笑った。


親方と藤岡が見ていたもの。


それは開眼した者だけが掴む『星の煌めき』と修造が呼んでいた事象の事だ。

ある日突然悟ったことがあってメキメキと上達したりする。

本人も気が付かないうちに今までの事が全て自分の物になり、技術と実力となって現れる。

親方はあの時酔っ払っていたので修造の言った事は覚えていないし、修造はこの事を知らないし、勿論杉本も知る由も無い。



が、ここに1人のパン職人が誕生した。

ーーーー


土曜日


修造一家は早朝の新幹線はくたかに乗り長野県を目指した。

駅からはレンタカーを借りて計画通りファミリーランドに行く。

森の遊園地エリアで乗り物に乗った後、ウサギのふれあいコーナーに行くと大地がウサギを珍しがって追いかけ回した。大地を捕まえて「優しく撫でて」と説得して2人でなでなでしたり、アスレチックを楽しんだりと子供達の楽しそうな顔を見て自分も満足していた。

そうしながらもリーブロでの忙しい最中にいた自分と、このレジャーランドでの自分の違いに戸惑う。パン作りには計画を立て様々な生地の発酵と焼成を組み立てて進めていかなければならない。いつも自分はその事に夢中になって他の事が目に入らなくなる。

だが家族と楽しんでいる自分もまた本物の自分だ。

時々その考えが頭に浮かぶ。

こんな時自分の中にある『違和感』と言う感覚がしっくりくる。


昼にバーベキューを食べた後、スワンボートに乗る。
緑と2人でペダルを踏んでいると水のバシャバシャいう音がボートの中に響く。


キラキラした水辺とその周りの木々が煌めいて見える。
風に乗って木々の香りがスワンボートに届くと故郷の山の事を思い出す。
そう、自分はもうすぐこの様な山の自然の中で、自分のパン作りに集中すると決めている。
家族と自然と共に暮らし、自分だけの絶対的なパン作りを追求するのだ。
そんな事を考えながら修造は律子を見つめた。
律子も修造の視線に気付き微笑み返した。
健康な修造の白目はいつも青く光り、輝いている。
知り合った頃からよく修造の眼を覗き込んだものだ。
律子もまた、同じ所で修造が長い時間一緒に過ごす毎日が訪れるのを楽しみにしていた。

夕方
律子の父親の巌(いわお)と容子、妹のその子が待ち構えていた。
巌はその名の通り厳しい表情で修造一家が来るのを待っていたが、孫達の顔を見た途端デレデレと目尻を下げた「みっちゃん、だいちゃーん、いらっしゃい」
「おじいちゃんおばあちゃん、その子ちゃんこんばんは」緑はみんなに挨拶して走って行った。
「疲れたろう、さあお入り。みっちゃんの好きなご馳走も用意したよ」孫に取り入る事に全力を注ぎ過ぎて修造は目に入らない。
いつもの事なのでその子に挨拶して中に入る。

大地はドタドタと長い廊下を走って突き当たりの壁にドン!と飛び蹴りを喰らわせた。


つづく


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