小泉進次郎氏の気候変動問題「sexyであるべき」発言と「自らの言葉」について
"Big scale issue like climate change, it gonna be fun, it gonna be cool, it gonna be sexy too."
9月22日、国連の環境会議における小泉進次郎環境大臣の演説に先立って行われたインタビューの一部「セクシー」という言葉が浮いてしまったというか、一人歩きしてしまった模様。
英語で話しているその様子を見て、日本語に訳された表現よりも正直なところ普通に聞くことができた。しかし、面白おかしく言おうとしたり、足を引っ張ろうとしているメディアの切り取り方とは別に、筆者的にも気になる部分はあったので、考察を備忘録的に。
どうやら、隣にいらしたクリスティアーナ・フィゲレスさんが直前の会合で「気候変動との戦いはセクシーであるべき」と述べたのを引用したわけだ。その証拠に「Sexy」という際に彼女の方を向きながら言っている。
また、以下リンクのクリスティアーナさんのスピーチでわかるように、彼女は自分の表現の一つとして「sexy」という言葉を持っているわけだ。
国連での演説やインタビューで「セクシー」という表現を使うのはどうか?という議論もあるだろうが、それはとりあえず置いておき、「セクシー」という表現を使う人は結構いらっしゃる。このクリスティアーナさん然り。
ただ、その場合、その言葉が彼/彼女の話す内容において自然で具体性があり、かつその人特有の表現で、その言葉を使う人のキャラクターとリンクしていれば、気になるようなことでも、揚げ足をとられるようなことでもない。
また、このインタビューの場で「セクシー」という言葉を小泉氏が使ったのは、その特有の言葉/表現を引用することで、その表現をしていた人へのリスペクト(尊重・尊敬)を示し、その言葉が使われている状況をすでに知る人々との共通項を作り、人を巻き込むという手法をとった(つもりだった)のではないかと想像する。
しかし残念ながら彼のもくろんだ結果とならなかったのは、小泉氏自身の中にここでいう「Sexy」が存在していなかったからだろう。そして、何がどうセクシーなのかが不明だったから。日本語で訳された報道だけでなく、ロイターの英語での報道でもその部分を切り取られてしまっていたのがそれを示しているように思えてならない。
これは英語が話せるとか話せないとかそういう話ではない。その人の中に流れる血のようなものであり、日常。学んでわかるようになったり、できるようになったりすることとは違う。言葉とはツールだからこそ、使う人によって大きく変わってしまい、当然伝わり方も大きく変わる。特にインパクトの強い言葉は諸刃の剣。使い手の能力とセンス次第では毒にもなる。
そういう場合、不要なリスクはとらない判断が必要。特に大臣になり、初めての外交で演説及びインタビューなのであればなおさら。自分の内から出てきた言葉か、どなたかからの引用かの如何を問わず、そのような場でこの言葉を使わない(言わない)という判断をするのも重要なこと。非常に残念。
それにしてもいつも思うことが一つ。小泉氏がこの場でもしている、ダークスーツに白シャツ(ボタンダウンですね)、ネクタイ無しのスタイルを見るにつけ感じるのは、「どうして清潔感を欠いて見えるのだろう?」ということ。いつもそう思ってしまう。泥臭さともちょっと違う、「何かが変」というか「不思議」な感じ。ネクタイをしている時は、それなりに見えるのだが、首元が緩み、肌が少し多く出た途端に、それが漂いだすのだ。“変わっている匂い”とでも言おうか。きっと今はまだ年齢的に「ちゃんとしておいた方が」という姿勢で通常は普通にしているけれど、一度ネクタイを外して少し素(肌)が出ると、止めていたものがモワッと顔を出すのか? 元総理大臣の小泉純一郎氏も、お若い時の写真を見ると割と普通だったし。
でも今回のことも踏まえ、そろそろもっと「変わり者感」を素直に出してしまった方がいいのかもしれないと思ったりもする。律することは時に大事だが、一番強いのは素の自分で、その自分の言葉で発信し、対応すること。そうしたら、どんなにいじられようが叩かれようが、揺らぐことなどないのだから。
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