noteを始めてからの1ヶ月を振り返ると見せかけて、わりと惚気話
noteを開設して1ヶ月が経った。
この1ヶ月で9つの記事を書いて、これが10 本目。
1つにつき1000文字程度で書いているので、およそ一万文字。
文章化したからこそ整理できた気持ちがあったと思うし、
ツイートで短文を投稿するのとは違った喜びや達成感があった。
思い返してみると、こうして自分が書いた文章をまとめて公開するのは高校生の頃以来だ(厳密には、Twitterの創作企画みたいなものに思いついたごく短いものを投稿したことはある)。
高校生の頃は、部活でブログをやっていたので(時代だ!)、何を書いていたやら忘れたが、せっせとなにか書いたりコメントしたりしていた。二次創作もやっていたし、大型掲示板にも書き込んでいたし、個人ブログ、読書記録…。
読書記録は、今年は #読了で読書の感想を呟くように心がけているが、140字だと語り尽くせない!と歯痒くなることも多々なので、noteを活用していきたい。
わたしは基本的に「頭の中」がずっとおしゃべりなタイプで、常に考えていることを出力する先を求めているのだが、「おしゃべり」として変換して出力するのはいまいち得意ではない。
変換する際に解像度が変わる感じがするし、言葉以外にも出力するものが多くて(表情とか言葉遣いとか、相手のリアクションを読み取りつつ次に選ぶ言葉を変えるとか)、思った通り伝えられた!ということはなかなかない。
例外は、夫だ。
夫相手だと頭と口が直結して「早口なオタクしゃべり」をしてしまう(長年の友人と話すときもその気配はあるが、夫と話しているときのわたしとの比ではない)。
わたしが創作をしなくなったのは、夫と付き合い始めた時期とピッタリ一致する。
文字通り、夫のことで「頭がいっぱい」になったのだ。
現実が忙しくて楽しくて、創作に頭を割く余裕はなくなったし、話したいことは全部夫が聞いてくれたから、改めて文字に起こそうという気持ちはあまり起こらなくなった。
夫と付き合い始めたときは高校3年生の夏だったから、大学受験勉強にも時間を取られていた。
大学生になってからも時間はいっぱいあったけれど、「リア充」らしく過ごしていたらあっという間にモラトリアムは終了。
結婚してさらに面白おかしく過ごして、妊娠コロナ禍出産育児仕事とバタバタ過ごしているが、夫といると楽しくて、自分が自分としてのびのびしているのは今も変わっていない。
では、なぜ「書きたい」「誰かに読んでほしい」と思うようになったのだろうか。
「頭がいっぱい」だった夫への愛が冷めたわけでも、夫がわたしのおしゃべりに付き合ってくれなくなったわけでもない。
やりたいことと仕事と育児との板挟みで身体は割といつもクタクタなのに。
ひとつは、わたし自身の「頭の中」のキャパが大きくなったように思う。
最近、日常生活のなかでちょこっと妄想するくらいの余力がある。
社会の中の自分にも、家庭の中の自分にも丁度よく慣れたのかもしれない。
「頭の中」で考えられることが増えたのなら、出力先を確保せねば溢れてしまう。
文章化したい、形にしたい、と思わずにいられないくらい、どうもわたしは「頭の中」を文字にすることが好きなようだ。
こうしてnoteを開設して、思いつくままに綴ったものをみられるのは恥ずかしい気持ちも大きいが、わたしが書いたものを「戸棚の中にそっとしまっておくような魔法」みたいだと友人がいってくれた喜びを糧にして、ちょっとずつでも書いていきたいと思う。
楽しむぞ、秋の夜長。
まずは寝落ちないようにしないと。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?