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【2月読書報告】テーマ:持ち家で再読する池辺葵『プリンセスメゾン』

はじめに

2022年、毎月テーマを決めて読書をしてnoteでその報告をする、と決めたはいいけれど、2月の私にはそんな余裕はどこにもなかった。2月20日が引っ越しで、その前後2週間ほど、手持ちの本はすべて段ボール箱の中だったし、引っ越し準備や引っ越し後の段ボール開封作業にひたすら追われていた。

それでも、引っ越しが無事に完了して手持ちの本や漫画を本棚に無事に並べられたら、一番に池辺葵『プリンセスメゾン』①~⑥を再読しようと決めていた。
『プリンセスメゾン』は主人公・沼越幸をはじめ理想の家を求める女性たちと、持ち家で暮らす人たちが織りなす群像劇。私は、自分が中古マンションを買うことを検討し始めた去年の今頃にこの漫画を初めて読んで大好きになった。自分自身が買った家に住み始めてから再読したら、感じることが違うのではないかと思ったのだ。
引っ越しの一週間後、すべての段ボールを開封して本や漫画を本棚に無事に並べ切ることができた。がんばった。

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そこで、三回目のワクチン接種の後、家で休養しながら『プリンセスメゾン』を再読した。

①「手に入れてからが勝負」を痛感した

ねえさっちゃん、欲しいものってさ、手に入れてからが勝負だね。
(池辺葵『プリンセスメゾン』3巻P.85~86)

新居の売買契約とリノベーション工事を終えてから引っ越すまで(つまり、買った家が住める状態になってから実際に住み始めるまで)、諸事情で約半年の時間があった。
半年間、その物件が自分の家という実感が持てずにいた。たしかに自分が買ったのだけれど、遠くにありて思うものというか、「広くて職場から近い自分好みの家」という概念的な存在で、その家で暮らしを営んでいくという実感が湧いていなかった。
あっという間に半年が経ち、引っ越しが完了したその日に、私は『プリンセスメゾン』のこの言葉を思い出すことになった。欲しいものは、手に入れてからが勝負なのだった。

住み始めるまでの半年間、二週に一度は新居を訪れて、換気したり掃除をしたり、寸法を測って家具の配置を考えたり、新生活に向けての準備を自分なりにやっていたつもりだった。けれど、それは全く行き届いていなかった。
厳選して持参したはずの家具や収納用品も、計測がいい加減だったせいで置くつもりだった場所に置けなかったりした。壁に作り付けの本棚や網戸には半年分の埃がしっかり積もっていたし、台所のシンクにはカルキ分の多い水道水の跡が水玉の染みを作っていた。内見のときには気にならなかった、壁の汚れやクロスの糊の跡が気になったりもした。
家って、手入れしなければどんどん傷んでいくんだ。そして、この家の手入れの全責任は、私にゆだねられているんだ。
実家や賃貸の物件に住んでいた頃には思いも寄らなかった、そんな当たり前のことに気づいた。手に入れただけで満足していたらだめだった。

新居は前の家より広く、どこかをきれいに掃除してもすぐにどこかが汚れる。最初の数週間はとにかく焦って、家にいる間中、片づけや掃除をしているか、そうでない時間は掃除方法や無印やニトリの収納用品についてひたすら調べていた。
せっかく持ってきた家具や収納用品を、迷わず粗大ごみに出した。新しい収納用品を次々買って運び込んで、ようやくものの落ち着き場所が決まっていった。何かを買ったら何かを捨てることにした。そして、風呂やシンクは使ったらすぐ、水滴を残さずに乾いた布で拭き上げる癖がついた。

②「飽きずにいられるか」問題

『プリンセスメゾン』に出てくる派遣社員の阿久津さんが、高価なジュエリーをウィンドウショッピングしていた際にこんなことを言っていた。

私に合ったものはちゃんと石が呼んでくれます。「これは私の」ってきっとその時はビビッとくるんです。そしたらえいやと買うんです!!
(同3巻P.75)


購入する物件を選定するにあたって、「これは私の」と私が思ったのは、最初に内見した部屋だった。二回に分けていくつもの物件を見て回った後に、やっぱりこれしかない、と思って購入申し込みをした。「ビビッと」きた、欲しいものを手に入れた後の人生を今の私は生きている。

前述の阿久津さんはその後にこう続ける。

でも問題はそこからですねー。飽きずにいられるかっていう…それはもう私の性格の問題ですね―。
(同上)

私がこの先、この家に、飽きずにいられるかはまだわからない。けれど、毎日台所シンクを乾いた布巾で拭きあげているうちに、その作業が決して億劫ではないことに気づいた。自分は掃除や型付け全般が苦手で嫌いなのだと思っていたけれど、そうではなかった。私は家でコーヒーを飲むとき、豆をミルで手挽きしてハンドドリップするのだが、それと同じように、その手間や時間そのものを楽しんでいる自分がいた。
先のことはわからないけれど、家を手に入れたことで新しい自分の一面に気づけたのはとても嬉しいことだった。毎日シンクを拭きあげているうちに、いつの間にか最初にこびりついていたカルキのしみはとれていた。

③「自分の人生を自分で面倒みる」こと

初めて『プリンセスメゾン』を読んだときに一番印象に残ったのは、結婚などでライフスタイルが変わる可能性を考えないのかと問われた沼越幸(沼ちゃん)が次のように答えるシーンだった。

まずは自分の人生をちゃんと自分で面倒みて、誰かと生きるのはそのあとです。
(同2巻P.112)

今だからとても共感するけれど、自分が二十代のときにはそんな風には考えられなかったなあと思う。むしろ自分の人生の責任を自分一人で背負うのがこわくて、その重さの幾分かを誰かに持ってほしくて仕方なかった。

この漫画には、持ち家で一人暮らしする様々な人々が出てくる。そのうちの一人に、38歳のときに長く付き合った恋人と別れて、45歳でマンション購入を決意した本田薫がいる。彼女のことを、彼女の実父は「かわいそーだわ」と言うが、それに対して彼女の弟嫁は、

自分でつかめる幸せ探して、自分で自分の人生面倒みて住宅ローンも自分名義で借りようとしている、天晴れじゃないですか。どこがかわいそうなんです?
(同3巻P.175)

と反論する。一人で家を買うことはかわいそうでもなんでもなく、幸せをつかむこと、自分を自由にしてくれること。そう思えたから、私も自分の家を手に入れることにしたのだった。

③他者とともに生きる

「自分で自分の人生の面倒を見る」ことを大事にする沼ちゃんに惹かれ、一人で自由に生きたいと思う気持ちは今も変わらない。けれど、実際に家を手に入れてからこの漫画を再読したときに印象に残ったのは、次のようなセリフたちだった。

一人暮らしや言うても一人で生きてるわけでもねえし。
(同4巻P.187)
マンションに限らずそもそも家というのは個の隔離された空間ではなく 共同空間の中で与えられたスペースをおのおのが互いの存在を許容しながら生きるものであり…
(同5巻P.128)

1巻に登場する、ファミリー向け物件で長く一人暮らしする漫画家の女性は、静かで暖かい室内から、わざわざ冷えた夜のベランダに出てコーヒーを飲む。そして、他の部屋から漏れ聞こえてくる様々な家族の会話に微笑みを浮かべる。

すごくよくわかる。私も引っ越してから、よく窓の外を眺めたり、聞こえてくる音に耳を澄ませるようになった。同じ階の別の部屋から流れてくる夕飯のにおいを、胸いっぱいに吸い込むようになった。エレベーターで乗り合わせたマンションの住人と短く言葉を交わしたり、行きつけになった近所のタイ料理屋の前を通りかかって店員さんと目が合ったら手を振ったりもして、その度、ほんのりあたたかい気持ちになる。一人で家を買って一人で暮らしているからといって、一人で生きているわけではない。本当にその通りだった。

自分の家に人を招いたことがなく、ずっと家と職場を往復するだけの生活を送っていた沼ちゃんも、理想の家探しを通じて、持井不動産受付の要さんという友人を得た。持井不動産の人々とも親しく付き合うようになった。沼ちゃんは、マンションの内見のときには、その家のリビングに人々が集まっている様子を想像する。自分が購入した家に初めて足を踏み入れるときにも、要さんを誘う。同じマンションの住人と親しくなってお裾分けをもらったりもする。家を買うことは、自分の人生を自分で面倒みることであると同時に、その土地に根を生やし、他者とともに生きることでもあるのだなと、その二つは決して相反するものではないのだなと、今回この漫画を再読して改めて思った。

④見守ってもらっているような気がする

一人で家を買ったけれど、一人で生きているわけではない。マンションの共用部にいるときや窓の外を眺めたときだけでなく、家の中でも、私は自分以外のいろんな人の気配を感じている。

狭い1Kの賃貸物件に暮らしていたときは、収納スペースにはいつもめいっぱいにいろんなものを詰め込んで、大事にしたいものの置き場所が定まらなかった。特に、祖母や大叔母や母から譲り受けた着物をクローゼットの上段に積み上げたりプラスチックの衣装ケースに詰めたりしていてきちんと管理できていないことは、ずっと気がかりだった。引っ越してすぐ、桐の衣装箱を注文して、そこに着物たちをていねいにしまったら心底ほっとした。
それから、大叔母の手編みのレースはソファの上に、母が私の誕生日に贈ってくれたクロスステッチは玄関棚に飾った。大叔母の形見のパールネックレスはガラスのショーケースの中、祖母が譲ってくれた天然石リングはコスメ棚の最上段に、それぞれ場所を得た。
本棚は一つずつの棚に「食」「詩歌」などのコンセプトを決めて本を並べていったのだが、山本文緒の本だけを並べた棚と雨宮まみの本だけを並べた棚も作った。追悼の意味を込めて、大好きな著作をイーゼルで立てて飾った。

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自分を愛してくれた人たちの形見や手作りの品、そしてつらいときに自分を支えてくれた作家の作品、それぞれがこの家の中で居場所を持って息づいている。その一つ一つが私を見守ってくれているようで、私はこの家に一人ぼっちでいる気がしないのだ。

そして、悩みに悩んで文献やインターネットで調べて、観葉植物専門店や花屋を回って、先日ついに、フランスゴムの木の大きな鉢を家に迎えた。この木はすっかり家になじんで、私が仕事で家にいない日も、一番日当たりのいい窓辺で、私の代わりに日光を浴びている。

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これまで私はサボテンやハイドロカルチャーをたくさん枯らしてきたし、かつての夫が同居開始時に連れてきたハリネズミには最初しか見向きもしなくて、それなのにそのハリネズミが死んだときは涙を流して、夫だった人にひどく呆れられた。
そんな私には他者と暮らすことはもう無理だとずっと思っていたけれど、今はこの子と長く一緒に暮らせたらいいなと思っている。

おわりに

『プリンセスメゾン』再読の感想というより、『プリンセスメゾン』の名台詞を借りた自分語り(自分の家語り)になってしまった……!

今は、私の家と、そこでの生活のすべてがいとおしい。掃除する時間を楽しめたり、いそいそと観葉植物の世話をしたり、そんな新しい自分を発見できたこともすごく嬉しい。好きな家で自由に暮らせて、今とても幸せだ。

物件を決めて購入をした沼ちゃんは、持井不動産の伊達さんにこう語る。

後悔は全くないです。…でもふと…身の丈に合わないものを欲しがって手に入れてしまったのかもしれないと思ったりするんです。
でもお家を見るとすごく幸せな気持ちになるから…これからもっと金銭的には大変なこともあるかもしれないけど、そんな時は思い出そうと思うんです。この幸せな瞬間をありがとうって…こんな嬉しい気持ちをありがとうって、そういう気持ちを。

(同4巻P.136~138)

沼ちゃんの言う通り、私もこの先大変なことがあっても、今のこの幸せな気持ちを思い出したいなと思う。そういう思いでこの文章を書き残しておく。

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早乙女ぐりこ
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