パートナーの数ほどパートナーのカタチがあって、人間の数ほど愛のカタチがある
もうすでに今更過ぎる話題だけれど、りゅうちぇるぺこちゃんの離婚騒動を目にして思ったことがある。
私も昨年離婚をしているので思うことがたくさんあって言葉にしなければ気が済まなかった。
離婚経験者のひとりだからかもしれない。
りゅうちぇるぺこちゃんとは同年代だということもあって、彼らの離婚報告を見て突然書きたくなってしまった。
この件が話題になってからしばらく経ったけど、やっぱり賛否両論ある。
気になった私は世間の意見もある程度追ってみたけど、批判の声の方が圧倒的に多いのが、私の中では少し驚きだった。
率直に言うと、私はこの報道をとても肯定的に捉えた。
彼自身自分の影響力の強さはわかっているはずだし、世間からは色々な意見が寄せられることは覚悟の上だったと思う。
この決断をするまで本当にしんどかったろうし、決断した今もまだきっと、これでよかったんだろうかと不安になるときもあれば、スッキリするまで時間もかかると思う。
「離婚をしたい」という本音が頭によぎってからその決断をするまでに軽く2年かかった私はその気持ちが痛いほどにわかる。
自分の本心に真っ直ぐに従う選択をしたりゅうちぇるは、良い意味で世間に大きな影響をこれから与えてくれるはずだ。
私はそう信じたい。
彼の決断が、良い方向へと響く世界であってほしい。
さて。
私も離婚すると周囲に溢した時、とても驚かれた。
元夫とは16歳の時に出会い10年近く一緒にいたし、これからも永遠と続くものだと私自身も信じていた。
当時は本気でこの人と一緒のお墓に入りたいって思ってた。
ずっと彼を好きでいれたらそれはそれでとても幸せだったんだと思う。
けど、それ以上に、私の中で大きなもの、大切な存在、やりたいことがたくさん芽生えてしまって、前に進みたくなってしまった。
これまでとは違う人生を、歩んでみたくなってしまった。
自分勝手かもしれないけど、明らかに本心ではそう感じている自分から、ずっと目を背けてしばらく生きていた。
これまで愛してくれた元夫に申し訳ない気持ち。
結婚を祝福してくれた周囲の人への申し訳ない気持ち。
一生の愛を約束したはずの、神への罪悪感。
この年齢で離婚をして可哀想だと思われたくない。
元夫優先で生きてきた、一人より二人が当たり前だった世界を捨てるのが怖い。
これからの人生、一人で生きていける自信がない。
とにかく、自分の本心に気付くこと。それに従った行動をすること。それが恐怖でしかなかった。
もしかしたら元夫とも幸せになれる世界線を信じたい自分もいた。
半年別居して、何度も話し合って、何度もぶつかったけど、何度傷つけあってもお互いにお互いを理解する事ができなかったし、最終的には寄り添うこともできなくなってしまった。
お互いの望む生き方にすれ違いが生じてしまったから。
私は互いに自立したうえでの愛を求めたかったし、元夫には、私のことより、自分を優先して自分を大切に生きてほしいと思ってた。
けど、彼は私を自分のことより大切にして生きようとしてくれた。
自分を犠牲にしてまで私を大切にしようとしてくれたこと。
こんなに幸せなことはないのかもしれない。
それは、私への本当の愛ではなく、自分を愛せない、自分を愛してほしい、元夫のエゴであることに気づくことも怖かった。
そして、私はその荷が正直重かったし、自分を犠牲にできなかった。
私を対等に見て欲しかった。
きっと彼は出会った頃の16歳のままの私を愛していたのだろう。
それと同時に、私も過去の彼を愛していた。
お互い尊重尊敬できる関係性でいたかった。
お互いの人生を、お互いの在り方を、認め合いたかった。
その価値観の違いは結婚してから気付いた、というより、時を共に過ごしてお互いに成長し変わっていく中で、どんどん大きくなっていってしまったのだと思う。
仕方ないのだと思う、人は成長して変わっていく生き物だから、過去の考え方だって変化していくもの、それが悪いことだとも限らない。
変わらないであってほしいもの
不変なもの
永遠と続くもの
そういうのって憧れるよね。
中には変わらないものだってある、と信じたいけど、なかなか難しいものね。
最近生きててとにかく思うことは、“今その時の一瞬の気持ちに誠実に生きること”が人間としての幸せなのではないかなと思う。
自分の本音に嘘をつく生き方は一番苦しい。
自分の本音に蓋をして見て見ぬふりをするのが一番しんどい。
側から見たら幸せそうに見えてもどの家庭にも色々あるよね。
人間悩みは尽きないし、人間は成長していく生き物だから、どこかしらでみんな辛い経験は常にしているものだと思う。
“夫婦だからこうしなきゃいけない”
そんなもんはただの世間一般の常識なだけであって、それを自分の心や本音に背いてまで守る必要なんてない、と思う。
“〇〇だからこうするべき”
“〇〇だからこうしなきゃいけない”
そんな自分へのレッテルや制限の裏には「本当はこうしたいのに」が絶対に隠れているから、そこに気付いてあげたいよね、自分のためにもね。
夫婦の数だけ、夫婦の形があるし、
パートナーの数だけ、パートナーの形があるし、
人間の数だけ、人間の形があって、
その数だけ自由な生き方があっても良いもんだと思うし、
その数だけ、愛のカタチがあるのだと信じたい。
“我慢は美徳”の時代はもう終わったよ。
とは言え人は一人じゃ生きられないから、大切な人とはちゃんと寄り添って、向き合って、お互い納得のいく形で共に生きていけたらいいよね、と思う。
離婚して一年経った今でも、そんなことを考える。