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雑草みたいに生きたい

最近、雑草に魅力を感じる。

人に種を植えてもらって、水をもらって、育ててもらう、そんな一輪のお花も愛にあふれていて美しいけれど。

勝手に地球に降り立って、勝手に自分らしく生きている雑草ってめちゃくちゃカワイイ。

コンクリートの地面と壁の間から生えてくる雑草も。

誰からもケアされていないのに、勝手に生えてきて、勝手に生きている。

しかも、良く見ると、意外と綺麗。

小さなお花を咲かせる雑草も、ただ緑だけの雑草も、みんな形や色がそれぞれ違って個性的。

ただその野草の美しさに、私たちが気づいていないだけ。

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雑草は、産まれたまんまのありのままの自分で、そこに堂々と生きている。

人間だってそれで良くない?

なぜみんな、自分らしさを失ってしまうのか。

自分を取り繕って、自分の本来の気持ちや感情を隠して、自分らしく生きれていない人ばかりなんじゃないか。

私もそう。

そんなの苦しいだけ。

なんで、自分を隠す必要があるのだろう。

なんで、自分に自信がなくなってしまったのだろう。

私は私として生まれてきたのに、なぜ私として生きる道を踏み外したのか。

そんなの自分じゃない。

だったら、雑草のように自分らしく在りたい。

本当はちゃんと名前があるのに、「雑草」と言われ、人からは見向きもされない野草たち。

でも、彼らはそんなことは気にしない。

ただただ、そこに生まれ咲き、堂々と、凛と、そこに咲いているだけ。

人目を気にせず、誰にも合わせず、自信をもって、自分を生きているだけ。

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私も雑草のように在りたい。

自分の意志で、自分を生きたい。

自分に自信を持ちたい。


自分の生きたいように生きる。

雑草のような生き方こそ、人間の本来の生き方なのでは?


なぜそれができないの。そんなの綺麗事だって言われるの?

なんでやりたくもない仕事して、苦しいこと我慢して、涙を流して、生きていかなきゃいけないの?

やりたいことだけやって生きていける人間なんか一握り。

生きづらい世の中だね。

人間を本来の生き方から突き放したのは、この生き辛い世の中のせいでしょう?

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だったらちょっとずつでもいいのかも。

自分の一瞬一瞬の気持ちや感情から目を逸らさず、それに忠実に生きたい。

自分の“今”の気持ちを大切に。

今、今、今、とりあえず“今”を生きていれば、雑草のように凛と自分を生きれるようになれる気がする。



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