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教員を辞めます

夢やぶれて

「将来の夢は英語の教員です。」

小学生の頃はプロ野球選手になりたい
と本気で思っていたが、
そんなの無理だと気づき始めた中学生の頃、
社会的地位が安定しているし、
得意の英語力を活かせると考え、
漠然と教員を目指すようになった。

国際系の高校で英語の技能を鍛え、
大学では英語教育を専攻した。
新卒の年は塾講師として働きながら浪人した。
コロナ禍真っ只中だった。

公立校

晴れて夢の中学校教員になった。

授業、事務作業、部活…

日々忙殺されていたが、
「子どもたちのために」という熱意が
自分を突き動かした。

しかしながら、
モンスターペアレントの対応がとどめとなり、
少し心が折れてしまった。

おわりのはじまり

適応障害

まさか自分が…とは思ったが、
「子どもたちのために」という熱意が
まだ消えてはいなかった。

初めてもった教え子を卒業させた。

未だにその嬉しさを噛み締めるくらい
人生における最大の喜びのひとつだ。

次年度は新入生を担当した。

しかし、適応障害を患いながらも
生徒のことを想い
働き続けたツケが冬になって回ってきた。

うつ病

さすがに休職したが、
制度上年度末まで休めず、
2ヶ月で復帰した。

私立校

環境を変えたくて、転職活動をした。
私立校への採用が決まった。

慣れない仕事に悪戦苦闘しながらも
なんとか1学期を乗り越えた。

夏休み明け、
前年度に患ったうつ病が
ボディーブローのように効いてきた。

休職(2回目)

「今回の休職はしっかり休もう。」
という気持ちと
「早く働かなければ」
という焦りの両方を抱えながら
療養した。

薬の影響もあり、
朝起きれない日や夜眠れない日が続き、
体重も増えた。

行動に移すわけではなくとも
死にたいと感じた。

調子のいい日は
外出したり人と接したりすることができるので
仕事を休んでいるのに遊ぶなんて…
と罪悪感が募った。

ずっと夢見ていたはずの「学校の先生」。

自分は頑張ってもなれなかった。

その悔しさややるせなさ、
応援してくれる人たちを裏切った
申し訳なさに脳みそが支配された。

仕事の話を振られて
「今実は休職中で…」と切り出すのも
働いているフリをして
適当に相手に話を合わせるのも
どちらもエネルギーを使った。

燃え尽きた

元気に動ける日に
自分の胸に手を当てて考えてみた。

何度も何度も考えてみたが、
考えれば考えるほど、
教員としての自分が
「燃え尽きた」ことに気づく。

「子どもたちのために」
というかつて自分を突き動かしていた
あの熱意。

ゆらゆら揺れるろうそくの火が消えるように
ギリギリ燃えていた熱意が
完全に消えてしまった。

一度壊れた心は
継ぎ接ぎすることはできるけれど
元通りにはならない。

おわり

職場に退職の意向を告げた。
手が震えて動悸がした。

自分の将来に対する漠然とした不安。
期待を裏切った不甲斐なさと申し訳なさ。
人生の選択を間違えてしまうのではないか
という恐怖。

一方で、
それらのマイナスな感情によって
自分を傷つけることがなかったのは、
行きつけのお店があったり
趣味を共有して遊んでくれる友達がいたり
自分に愛情を注いでくれる家族がいたりする
恵まれた環境に身を置けているから。

自分を生かしてくれる
身の周りの人たちには感謝しかない。

この鬱屈した文章を読んでくださった
そこのあなたにも、そこの君にも。

おかげさまで
今までとは違うカタチで
英語教育に携わっていく
踏ん切りがついた。

今の自分の気持ちを忘れたくなくて
この文章をしたためている。

先生、さようなら。

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