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論理で人は動かないよ、という話
人を動かす。
経営って難しいですね。(そりゃそうだ)
経営で一番難しいのは「人を動かす」ことだと感じていますが、課題の整理→優先順位付け→オプション出し→絞りこみ、のような戦略策定フェーズでは感じない、全く別の世界の難しさを感じます。
戦略は当然ですが実行されてなんぼなので、実行のレベルが低いといつまでたってもポジティブな変化は起きません。
そうです。
経営って実行が全てなんですよね。(こんな僕だって分かってるんです)
仮に秀逸な戦略があったとしても、実行されなければ宝の持ち腐れです。(←僕の戦略が秀逸ということではないです)
でも、僕は『経営は「実行」』の著者であり、数多くのグローバル企業の経営アドバイザーだったラム・チャランでもなければ、ましてや世界的名著『人を動かす』の著者、D・カーネーギーでもないわけです。(トホホ・・・)
僕は凡人なんです。
結果として、思い描いた通りに物事が進むことなんて無いので、とっとと初めて、その後に修正を繰り返しながら勝ち筋を見つけていった方が絶対にいいはずなのですが、スタッフ目線では違います。
「えー。何で変わるの?」
「コロコロ変わるよね~」
こんな感じで戦術の修正を繰り返す行為は、スタッフ目線では迷惑極まりないのです。
「もっと計画性をもって始めるべき」
「思いつきで始めるからダメなんだよ」
こんな声が聞こえてくることもチラホラです。
経営者が見ているものと、スタッフが見ているものは違います。そりゃそうです。同じだったら会社がヤバイです。
目の前の仕事に追われているスタッフにとって、中長期視点でオペレーションの修正を加えてくる経営者は完全なデストロイヤーです。(足四の字固めで力道山もギブアップです!)
スタッフにとって中長期視点なんてピンとこないので、今、自分の目の前にある仕事のオペレーションに変更が加えられることに納得ができないのです。こういう場合、丁寧に説明したところで腹落ちを期待することも無理筋です。(トホホ・・・)
そもそも、経営者の意思決定とは何でしょうか?
意思決定をシンプルに表現すると、AとBのどちらか1つに決めることです。
言い換えればAかBかのどちらか1つを捨てること、と表現するのが正しいかもしれません。
A案とB案にはそれぞれにメリットやデメリットがあり、組織やチームの中にはA派の人やB派の人がいるものです。
民主的なアプローチ(特に政治)では仮にA案9人、B案1人であれば少数派であるB案にもしっかりと耳を傾けつつもA案が選択されることになります。B案にもしっかりと耳を傾けるというアプローチは大切なのですが、この部分については民主的なコスト(時間やお金)がかかります。
会社では9名が反対だったとしても、社長1人の意向で押し切るということもありえます。(いささか極端ですが)いわゆるオーナー企業のワンマン社長の場合は、独断で意思決定ができるためにこのようなことも起こりえます。
どちらがいいかという話ではなく、事案の大きさや性質、将来に対して責任を負えるかどうかによって、意思決定のプロセスを使い分ける必要があるのだと思います。
民主的であろうと、独断的であろうと、結果として「人が動く」ことが大事です。実行されないのであれば、どちらのプロセスにも価値はありません。
では、どうしたら人は動いてくれるのでしょうか?
「人が動く」には理由があり、そのためには2つの動機付けがあります。
① 言っていることが正しい(論理的に理解できる)
② 言っている人が信頼に値する(感情として共感できる)
どちらのアプローチも実際にはとても難しいことですが諦めずにトライすることが必要です。何故ならば“全員が満足する意思決定”などあり得ないからです。
経営における意思決定は10割の情報に基づいてAかBかを決めるわけではありません。不確かで足りない情報の中でAかBかを決めるからこそ、意思決定を行う人の価値があります。
それ故か意思決定の方向に納得する人も、しない人もそれぞれ存在します。全員が納得できることは、そもそも経営者の意思決定の対象ではありません。だた、最終的には①の論理は②の共感に凌駕されると経験的に思っています。
要するに①の「論理的に正しい」には限界があるのです。「論理的に正しい」には2つの限界があると思っています。
❶「論理的に正しい」からこその限界
「論理的に正しい」ということを証明するには、その主張に対して骨太な根拠が必要となります。主張が根拠で支えられている状態を論理的というのであって、根拠なき主張は単なる意見に過ぎません。
「論理的に正しい」状態とは、ややもすると「正論」に近いニュアンスを帯びてきます。「正論」は取扱いが難しく、時に主張として強すぎることがあり、意図せず人を傷つけ反感を買う恐れもあります。
「正し過ぎる」が故に素直に共感できないという矛盾が起こり得るのです。
❷「将来の不確実性を論理で支えきれない」ことの限界
ビジネスの未来は必ずしも見通せるものではなく、不確実性のある中でPDCAを繰り返しながら進むほか方法がないのです。
未来をVISIONと読み替えて、そのVISIONをできるだけ論理的に伝えても、根拠は弱く、論理ジャンプの全てを無くすことはできません。
そして、最後にたどり着く結論は「やってみないと分からない」という何とも空虚で、頼りない現実だけが取り残されることはよくある話です。
その現実の中から未来を見通す唯一の光は、②の「言っている人が信頼できる」に他なりません。
「あの人が言っているから大丈夫だろう」
「あの人の話は共感できる」
ここでいう「あの人」こそが、「リーダー」と呼ぶに相応しいのだと思います。権限だけで人を動かすことは短期的にはできても、中長期的に長続きしないものです。
長々と書きましたが、「人に動いてもらう」ことはとても難しいことです。
改めて色々と考えさせられます。
自戒を込めて・・・・・・。
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![工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44742636/profile_ac6597efc63baba53b201120153989a8.jpg?width=600&crop=1:1,smart)