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経営はアートかサイエンスか?
今日は経営はアートなのか、サイエンスなのかについて僕の想いを書いていきたいと思います。
立志伝の創業物語
経営はアートなのか、サイエンスなのかという議論がよくされます。
結論からいうと両方必要だと思います。
理由は結論が出ていないからです。結論が出ないということは、経営にはアートの部分と、サイエンスの部分があるということを証明しているのであって、今後もこの結論は変わらないのだろうと思っています。
ビジネスは不確実な状況や場面で意思決定をしなければならないことが沢山あります。沢山あるというよりも、そういう場面しかないとも言えます。その不確実性の高い中で事を成してきた経営者には畏敬の念しかありません。そのような経営者のストーリーは面白く魅力的なため多くの書物になり広く多くの人達に読まれています。
そのような書物の特徴は、何もないところから徒手空拳で立ち回ってきた創業者の武勇伝や苦労話で一杯です。物語としては面白く心に刺さる内容なのですが「再現性」という観点において疑義が沸いてくるのです。あくまでもその物語は個人のものであり、特殊なものだという認識が必要だと僕は考えています。
なので、僕はいわゆる「社長本」といわれるものについては小説だと思って読んでいます。ある種のフィクションも含んだ実話だとの認識です。僕が「社長本」読む時は大抵自分に気合を入れたい時だったりします。
経営学?あんなものは使えない
話しを戻すと、この様に経営にはアートの部分が沢山です。ゆえに「経営はアートだ」と言ってはばからない人達が大勢いるのです。しかし、「経営はアートだ」と言い切ってしまうと、その経営者の個の能力に依存し過ぎてしまいます。再現性がないということは継続性が怪しいということなので、会社にとって大きなリスクとなります。
僕はアートの部分が多いからこそ、サイエンスの部分に拘りたいと思っています。経営はやってみないと分からないことが多く、トライ&エラーを繰り返しながら前に進むほかないのですが、その意思決定の根拠が「何となく」だとエラーの後の巻き返しができないと思うのです。
ここでいうサイエンスとは経営学のことを指していて、戦略論でいえばマイケル・ポーターや、ジェイB・バーニー等が有名です。経営学といっても様々な分野があり、多くの研究者がビジネスについて仮説を立て、調べ、検証しています。その成果が理論となり、書物として発行されています。
「経営はアートだ!」派からは、「経営学なんて意味ない、あんなものは使えない」という意見があります。僕もその気持ちは分かります。経営学を学んで経営ができたら経営者の価値はありません。よくビジネススクールとかに通って頭でっかちで正論振りかざす人がいますが、現場ではほとんど役に立ちません。理由は、現場で必要なのは「最適解」だからです。理論は知りつつも、その場の状況に合わせて最適な答えを導きだす必要があるのです。
また、現実には意思決定の先はアクションがあります。意思決定したのはその時の「最適解」なのです。「最適解」から「正解」までもっていくには、方針を定め、戦略を伝え、組織を作り直し、新しい仕事を割り振り、進捗を確認しながら、組織内で起こるコンフリクトの微調整を永遠に続けていく作業が待っています。(笑)
「鈍」と「根」に尽くす
この過程では、しばしば理屈通りに進まない瞬間があります。(というか、ほとんどそう!!)
その瞬間を捉えて「経営学なんて意味ない、あんなのものは使えない」という考え方になってしまうのです。気持ちはすっごいよく分かるのです。(うんうん。そうだ!そうだ!)
僕は松浦静六のこの言葉が好きです。
勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし。
人は負けた時や失敗した時に「運がなかった」「ついてなかった」と詭弁で逃げて自らと対峙しないことがあります。しかし、負けやミスには必ず原因があるはずです。負けやミスを謙虚に認め、原因を探ることによって同じ負けやミスを防ぐことができるのです。当時プロ野球でヤクルトの野村監督が話したことで有名になりました。
松浦静六はこうも言っています。
失敗しないためには「運」が味方するようにふだんから努力を続け、「鈍」(当たり前のことや、やるべきことを行うこと)と「根」(最後まで手を抜かずやりきること)に全力を尽くすのみである。
アートの部分で勝つことはあります。しかし、それが「不思議の勝ち」だとしたら継続は難しくなります。根拠や再現性が乏しいのに一時の成功に浮かれ、「鈍」と「根」に尽くせない組織は衰退して行くほかありません。
なので、僕は「負けに不思議の負けなし」に拘りたいと思っています。
定石から外れた経営をすれば負ける確率が高くなるのです。僕のアートな部分と、ビジネスを研究してきた学者の理論とではどう考えたって後者が優れているのです。僕は出来る限りサイエンスを学び、その知識を借りて現場の「最適解」を導きだそうと思っています。
「最適解」のその先の道程はもはや……アートです。(笑)
何があるか分かりませんが、それこそ「鈍」と「根」を尽くしていきたいと思います。
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![工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44742636/profile_ac6597efc63baba53b201120153989a8.jpg?width=600&crop=1:1,smart)