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基山瑣末の短編小説

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短編小説をまとめたよ。
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#小説

【短編小説】水晶の池

【短編小説】水晶の池

ある少年の死  少年が急斜面の袂へ倒れていた。山中に似つかわしくない軽装であった。僕もまた軽装ではあったが、それは僕がこの付近の村に住んでいるからである。村民は全員が互いに顔を見知っている程に少なく、倒れている少年に見覚えのないのは決して忘れているからではない。
  近寄ってみると、頭から流血しているのが見えた。さらに近寄ると、目を見開いたまま倒れているのに気付いた。年の頃は10代前半くらいに思え

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【短編小説】自殺と桜

【短編小説】自殺と桜

 あなたが亡くなってからもう十年が過ぎました。この十年は、私にとって何も意味のない期間でした。振り返れば十年過ぎていた、ただそれだけです。これは、私が惰性でここまで生きてきたことの証左であるように思います。
 私がこれから書く文章もまた、同様に意味のないものです。生きている私にとってそうなのですから、死んだあなたにとっても無意味であることは自明でしょう。これは、惰性の集大成なのです。
 あなたがあ

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【短編小説】臨淵

【短編小説】臨淵

 

1.

 大家が兄の遺品を引き取ってほしいというので、私はこのアパートに来ていた。
 兄は突然自ら命を絶った。一枚の絵を描き上げたあとに。遺品というのはその絵、即ち兄の遺作である。
 大家から鍵を受け取り、私は兄の部屋へ向かった。
 扉を開けた途端、私は思わず後ずさった。部屋の真ん中に、歪んだ蜘蛛のような黒い影が根を下ろしていた。全く実体を持つ影であった。キャンバスがイーゼルに立て掛けられて

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【短編小説】混迷

【短編小説】混迷

 友人の死は私の下へ1番に知らされた。彼には身寄りがなかったのである。
 遺品整理を頼まれた私は彼の借りていたアパートへ来た。寂れた2階建てであった。彼は売れない物書きだった。
 外観に違わず、部屋の中も辛気臭かった。どことなくじめじめしていて、黴の臭いが満ちていた。何も面白味のない簡素な部屋だったが、ただ1つ、異様な存在感を放つものがあった。
 机上の花瓶に、枯れた花が1輪挿されていた。花瓶の形

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【短編小説】贖罪

【短編小説】贖罪

1. 私と富士津西燭の出会いは30年前にまで遡る。
 私の実家に彼の描いた絵が飾られていたのである。
 その絵は、富士津が美大在学中に描いた作品だ。何のことはない、ただのシロツメクサの絵である。しかし、在学時から既に稀代の天才と囃されていた彼の筆力を以てすれば、8才の少年に画家を志させるに足る尤物となる。
 富士津の絵は写実的である。だが、見た物をそのまま写すのならカメラの方が余程上手くやる。彼の

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【短編小説】或る1日

【短編小説】或る1日

 何も浮かばないまま徒らに時が過ぎていく。いくら時間という概念は元来あるものではなく、人間の便利のために生み出されたのだと言ってみたって、机上の時計は針を進めるし、締切は3日後である。私1人が拗ねたところで暖簾に腕押し、糠に釘。望むべくは人類皆が時間へボイコット。
 白紙、白紙である。偏に私の性分が悪い。まず紙に書く所から始めねばならぬ。いきなりキーボードへ手を置いてみた所で、口も目も半開きでスペ

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【短編小説】蜃気楼を恋う

【短編小説】蜃気楼を恋う

 ああ、どうも、こんにちは。あなたが……あ、注文ですか?あなたが飲まれているそれは?では、私も同じものをお願いします。
 しかし、随分と物好きですね、あなた。記者でいらっしゃるとか。意外です。いえ、悪口ではなく、というかあなたの外見や振る舞いに対して言ったわけでもないんです。記者よりはもっとこう、作家の方が好みそうな話ですから。ああ、変わった事件を取り上げていらっしゃる、成程。
 当然ながら、私の

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【短編小説】龍の影に酔う

【短編小説】龍の影に酔う

「起きなって」
 目を覚ますと、サエが顔を覗き込んでいた。幸汰は目を擦りながら上体を起こした。
「あと1時間で店開けるんだから急ぎなよ」
 サエはそう言って部屋を出た。タッタッ……と階段を下りる足音がよく響いた。サエを見送り、幸汰は枕元へ目を遣った。乱雑に破かれた封筒から便箋が覗いていた。
 幸汰は昨日会った兄の香輔を思い出した。唯一連絡先を知っている肉親であった。実家を出てからロクなやり取りもな

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【短編小説】なんかの華、柑橘の香り

【短編小説】なんかの華、柑橘の香り

 私は芸術が嫌いである。
 机上の林檎を、これは知恵の実で、しかもそれが腐っているということは我々の知性の低下を暗に皮肉っている、とか言う。それに対し、林檎が知恵の実だというのは俗説で、旧約聖書にそんな記述はない、と口を挟む。林檎が林檎であることそのものを超えられはしないというのに。
 何かが何かの象徴であるとか隠喩であるとか暗示であるとか、そういったものは全て、空へ浮かぶ雲が何の形に見えるかを議

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【短編小説】黒狼の話

【短編小説】黒狼の話

 全てへ納得する最善の方法は、今もまだ白昼夢か何かの中であると思い込むことである。
 もぬけの殻になった部屋を見ても、私は驚かなかった。予想していたことがとうとう起きたのだ、それだけである。その内李緒は出て行くだろうなと分かっていた。端から噛み合っていないことなど明白であった。出会いからして恋愛とは呼べない代物であった。バーで飲んでいた所へ、恋人と喧嘩した李緒が半ばヤケクソ、酩酊も甚だしい状態で声

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【短編小説】泥濘に落ちる

【短編小説】泥濘に落ちる

 目覚めるととうに昼を過ぎていた。そういえば私は弥奈のアラームで共に起きていたのであったと気付いた。
 カーテンを開けると、強い日差しが目に染みた。顔をしかめて狭まった視界に、飛び上がっていく鳥が霞んで見えた。
 軽やかに羽ばたきながら空を泳ぐ彼等は楽そうに見えた。増えぬ金、売れぬ本、反比例して堆く積み上がる駄文、恋愛、友人への劣等感、自責、自己嫌悪、その他諸々のシガラミ……私を縛り苛む全てをかな

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【短編小説】なげうった友

【短編小説】なげうった友

1.  慌てて跳ね起き、時間を確認した辺りで、私は昨晩の自らの行動を思い出した。アラームを切っておいたのは他でもない私であった。しかし、自身の愚かさを恨む必要は生じなかった。これまでの生活のお陰で(あるいはせいで)、いつもアラームを設定していた時間の5分前に目覚めたから──ではない。私は今日、ハナから遅刻する気でいたのだ。
  逐一時間が目に入っては気が急いてしまうので、私はスマホの電源を切った。

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