起業家を目指す人はどの学部に進学するべきか:「経営学部が最適」説を斬る
「起業家になりたい」「会社を起業して社長になりたい」と考える大学受験生は少なくないようです。そうした受験生の多くは、「経営者になるのだから経営学部や商学部に進学すればよい」という固定観念にとらわれています。しかし、この記事ではそうした安直な進路決定を否定してみます。この記事を最後まで読んで進路をもう一度よく考えてみてもらえたらと思います。
学生起業の実態
どの大学の学生がベンチャー企業を創業しているのでしょうか。これを知るために、経済産業省の「大学発ベンチャーデータベース」を使って、「学生ベンチャー」(現役の学生が関係する(した)ケースに限定したもの)の状況を確認しましょう。データベースは定期的にアップデートされますが、ここでは執筆時点で最新の「2024年6月4日更新」データを用いました。
【8件】
慶應義塾大学、筑波大学、名古屋大学
【7件】
近畿大学
【6件】
九州工業大学、東京大学
【4件】
会津大学、光産業創成大学院大学、立命館大学
【3件】
京都大学、情報経営イノベーション専門職大学(iU情報経営イノベーション専門職大学)、東京工業大学、早稲田大学
【2件】
小樽商科大学、大阪公立大学、学習院大学、静岡大学、電気通信大学、名古屋工業大学、奈良先端科学技術大学院大学、北海道大学
【1件】
愛知工業大学、大阪大学、大阪大学大学院、岡山大学、岡山県立大学、開志専門職大学、香川高等専門学校&東京大学、金沢工業大学、関西学院大学、北九州市立大学、慶應義塾大学&関西学院大学、公立はこだて未来大学、佐賀大学、昭和女子大学、信州大学、千葉大学、デジタルハリウッド大学、東京医科大学、東京大学&一橋大学&東京工業大学、東京大学&早稲田大学、東京大学大学院、東京大学大学院&東京都立大学大学院,、東京電機大学、東京都立大学、東京農業大学、東京理科大学、長岡技術科学大学、東北大学、新潟大学、広島大学、福知山公立大学、文星芸術大学、北陸先端科学技術大学院大学、三重大学、龍谷大学
(注)「&」は関係者が複数の大学にまたがる場合。
学生ベンチャーを創業しているのは、高学力大学を中心としたごく一部の大学・大学院の出身者であるということがわかります。例外的なのは情報経営イノベーション専門職大学(iU情報経営イノベーション専門職大学)・開志専門職大学のような起業を見据えた専門職大学や、文星芸術大学・デジタルハリウッド大学といった芸術分野やデジタルコンテンツ分野の大学です。
ここから言えそうなことは、一芸に秀でるといったことでもない限り、起業と学力は相関するということです。起業は人並み以上の努力と才能(遺伝的性質や生まれ育った環境も含む)が必要です。甘く見積もると後悔するでしょう。
では、どのような分野を専攻している学生起業家が多いのでしょうか。関連学部までわかる74件(学部を推定できるものまで含めると76件)のうち、実に6割以上が理工学・情報工学系の学部(または研究科)です。それ以外では以下のような学部があります。一覧を見ると経営学部・商学部・経済学部出身者に関連する起業は全体の1割にも満たず、経営に関する専門学部であるはずの経営学部・商学部のみに限ると数%しかないことがわかります。
(複数の関連大学が分かるケースの場合、第1大学に限定してカウント)
【3件】
慶應義塾大学 経済学部
【2件】
情報経営イノベーション専門職大学 情報経営イノベーション学部
(注:同大学の残りの1件は学部未記載だが、同大学には1学部しかないのでこれを組み入れると慶應義塾大学経済学部と同じく3件)
【1件】
愛知工業大学 経営学部・経営学科
岡山大学 社会文化科学研究科
小樽商科大学 商学部商学科
開志専門職大学 事業創造学部
学習院大学 文学部教育学科
千葉大学 看護学研究科
千葉大学 人文公共学府
筑波大学 社会工学
筑波大学 ビジネス科学研究科企業法学専攻
デジタルハリウッド大学 デジタルコミュニケーション学部デジタルコンテンツ学科
東京大学 総合文化研究科
新潟大学 教育学部
北海道大学 環境科学院
北海道大学 文学研究科
立命館大学 経営学部・経営学科
立命館大学 産業社会学部
早稲田大学 生命医科学科
(注:文星芸術大学は1件あるものの学部未記載。しかし美術学部美術学科のみの大学なのでこの中に含めてよい)
学生ベンチャーの件数の多い慶應義塾大学、筑波大学、名古屋大学、近畿大学について、学部を詳しく見ると下記の通り。
<慶應義塾大学>
経済学部3件、環境情報学部2件、理工学部1件、不詳1件
<筑波大学>
ビジネス科学研究科企業法学専攻、工学システム、情報工学、産業連携部、社会工学が各1件、不詳2件
<名古屋大学>
大学院工学研究科結晶材料工学専攻、情報学研究科、情報学部、情報科学研究科が各1件、不詳2件
<近畿大学>
産業理工学部(福岡県)2件、理工学部1件、不詳4件
繰り返しになりますが、こうして上位の大学の内訳を見るだけでも、情報系学部や理工学系学部出身者の多さが目立ちます。慶應義塾大学SFC出身の起業家は世の中に少なくありませんが、ここでもSFCの環境情報学部が一定の貢献をしていることが分かります。慶大環境情報学部のように文理融合的な学部という意味では近畿大学産業理工学部も似たタイプとみることができるでしょう。また近大産業理工学部といえばキャンパスがあるのは関西ではなく福岡県飯塚市です。九州工業大学や近大産業理工学部などの福岡勢は他の有名大学もいる中で健闘しているといえるでしょう。ビジネスを行う上で、福岡というエネルギッシュな県の地の利というものもあるのかもしれません。
「起業したいから経営学部・商学部」は幼稚な発想
以上で見た通り、「経営学部・商学部の学生による起業は大変なレアケース」です。その理由はいくつか挙げることができます。
第1の理由は、通常の「経営学部」や「商学部」では、起業家育成という観点でカリキュラムを作っていないことです。もっと広い意味でのビジネスパーソン養成のための学部ですから。もっというと、「ビジネスや組織を科学的に分析する手法や分析仮説」を学ぶのがこうした学部の本来の在り方なのであって、それは「経営スキルを高めること」と同一ではないのです。つまり、「企業外部からの分析者」にはなれるが「プレーヤー」として通用するかはわからないということです。スポーツの世界で例えるなら、「評論家としての能力は身に付くが、その能力を使ってチームの監督やリーダーとして活躍できる保証はない」といったところでしょうか。もし経営学を究めると経営スキルも身に付くというのなら、世の中の経営学者はプロ経営者としてどんな企業からも引っ張りだこになっていなければおかしいでしょう。
このような学部の在り方論で考えるならば、企業の一員として働くためのビジネス能力育成という意識は、普通の大学よりも経営系の専門職大学の方が強い傾向があります(裏返せば、専門職大学の方は学問的な研究能力育成への意識は希薄です)。
そうしたわけで、「起業家育成のための学部」というのは日本にはほぼ皆無です。学部名に付けているのは武蔵野大学アントレプレナーシップ学部くらいでしょう。
起業に関連する学科やコースがあるのは以下。なかでも「社会的起業」に焦点を当てた関西学院大学人間福祉学部社会起業学科はユニーク。
学科専攻名から逆引きで大学探す|入力語【起業】の結果 (gakkou.net)
事業創造を標榜している学科は下記。
学科専攻名から逆引きで大学探す|入力語【ビジネスデザイン】の結果 (gakkou.net)
学科専攻名から逆引きで大学探す|入力語【事業構想】の結果 (gakkou.net)
学科専攻名から逆引きで大学探す|入力語【事業創造】の結果 (gakkou.net)
学科専攻名から逆引きで大学探す|入力語【事業プランニング】の結果 (gakkou.net)
とはいえ、上記のような学部学科でさえ、前述の学生ベンチャーでは名前が出てこないのです(例外は開志専門職大学のみ)。それは次の第2の理由とも関連します。
第2の理由は、経営学部や商学部で学んだ結果、仮に「起業に必要な経営的な知識」を獲得できたとしても、肝心の「商品・サービスを生み出すための専門知識」は得られないことです。商品やサービスをつくれなければ、そもそも商売はできません。どのような企業を興すかにもよりますが、必要になるのは工学やITの知識かもしれないし、医療やライフサイエンスの知識かもしれないし、農学や水産学や栄養学の知識かもしれないし、法律や福祉、芸術や文化やデザインの知識かもしれません。単純に語学力が必要かもしれません。 「起業するための知識」だけあっても、モノやサービスを生み出すための知識や能力がなければ、ビジネスは生まれないのです。
有能なビジネスパートナーを見つけて分業できるならば、開発・製造部門は相手に任せて自分は経営学・商学の領域で専業可能かもしれません(ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫のように)。しかし最初は自分独りで一から始めるケースが多いでしょう。 つまり「起業したいからアントレプレナーシップ学部・経営学部・商学部」というのは、非常に短絡的な発想なのです。
起業家を目指す人向けの学部とは
将来的に起業したいという人は、経営学部・商学部に固執することなく、自分が最も好んで学びたいと思える学問ができる学部、興味・関心が最も湧く学部を選ぶのが、まわりまわって最適解でしょう。そこで事業に結びつきそうな専門的な知識を身に付けましょう。これが私の結論です。
前述の通り、最近では情報工学系や理工学系の学部出身者の学生ベンチャーが多いことは事実ですから、特にこうした学部に強く関心を持っている場合は、あまり迷わずに進学してみてはいかがでしょうか(経営学部・商学部と迷う必要はないように思えます)。
ただ、興味関心が最も強い所が経営学部・商学部・アントレプレナーシップ学部であるなら、その気持ちを否定するつもりはありません。学びたいことを学ぶのが最良です。ただし、大学では経営学・商学以外のことにも少し視野を広げて学んでおくとよいでしょう。事業化の助けになるかもしれません。
前述の通り、慶應義塾大学SFCのような、文理融合的・分野横断的に先端的な学びができる学部からは一定数の起業家が生まれています。確かに、分野横断的に先端的な知識を身に付けつつ、ITや経営の知識も備えられれば事業構想が具体的になるでしょう。その意味では理に適っています。「文理融合」×「アントレプレナーシップ」をキーコンセプトに掲げる学部は、徐々に増えつつあるようです。国立大学では、2022年4月に創設された金沢大学融合学域を最近の事例の1つとして挙げておきます。サンプル調査では第1期生の26%が起業したいと答えたそうです(およそ4人に1人の割合ですから客観的に見て高い数値と思いますが、調査した学生は「少ない」と感じているところもまた凄い)。このようなアントレプレナーシップ教育に力を入れつつ文理融合的な学びをする学部も検討対象に加えてみるのもよいでしょう。
学びたいことが良くわからないという人には、下記の記事が参考になるでしょう。
学部選びのアドバイス:学びたいことが分からない人、学びたいことが多い人、迷っている人、リサーチ不足の人へ|正力綾士 (note.com)