なぜnoteを初めるのか

AI全盛の時代に突入し、不穏な世界情勢のニュースが溢れ、更には経済的な不安が募るばかり。様々な見えない不安や心配といった空気に包まれ、漠然とした薄暗い霞のようなものが自身を覆っている、行く先に待ち構えていると感じている人も多いと感じる。
こんな時に必要なのは「考える事」だと思う。
SNSという新しい道具も定着する中で、一昔前とは比較にならないくらい情報が溢れた世の中になった。
溢れる情報は基本的に外向きで欲しがりだ。
無数の発信者からの情報が溢れかえる世の中になり選択肢や視野は確かに広がった。情熱やエネルギーもあるし、悲しみも楽しみも発見もあり刺激に満ちている。
でも、それと同時に溢れかえる情報の波を泳ぐ事に疲れ、漂うばかりという人も多いのではないか。
情報を取捨選択して、有意義な時間を過ごすのが大事なのは分かっている。
でも結局は情報の海の上に漂っている。
そして漂いながらも取り残された感覚は確かにある。
でもなんだか何となく面倒くさくて言わば「諦め」ている。
だってその方が楽だから。

やらなければ可能性は無限大だ。それは可能性が残っているという逃げなのだ。

でも時間は過ぎるし歳は取る。そんな現実も分かっているから、漂ってばかりではいられない、という焦りも感じつつ、でも何をしてよいか動きだせない。
そんな時にこそ、バイアスを内向きにして自分の考え、思考を練ることが大事だと思った。
そんなきっかけになれば思いnoteを始めてみようと思う。
普段ふとした瞬間に浮かんでは消えていく文章を残すような気持ちで。
日記を書くには恥ずかしいし、ネットに呟けるほど私の人生はドラマチックじゃないから。
でももしかしたら今よりはもうちょっとだけマシな視界が広がるのかも知れない。
と、ささやかな期待を込めて書いていきたい。

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