![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171865272/rectangle_large_type_2_eaabc769592bd032b9720bf9c190e371.jpeg?width=1200)
黄金時代が始まるアメリカ、停滞し続ける日本
1月20日、ドナルド・トランプが第47代アメリカ合衆国大統領に就任した。就任演説では、自信たっぷりに、今日まさにアメリカの黄金時代が始まる、と力強く宣言した。再び強いアメリカにするために、パナマ運河を取り戻し、メキシコ湾をアメリカ湾と改名し、メキシコからの移民を厳重に取り締まる、等、宣言したほか、バイデン前大統領の大統領命令をことごとく、就任当日に反故にした。こんな大統領がかつて存在したであろうか。トランプは歴代大統領の中で最も輝かしい業績を残す大統領になるかもしれない。
これに対し極東の島国の首相はなんと卑小に見えることか。就任式には、米国から中国マネー疑惑をかけられている岩屋外務大臣だけを出席させた。米国の最重要同盟国の一つであるはずの日本の首相は、力漲るトランプに合わせる顔がないのか、就任式に欠席している。尤もトランプが最も会いたい日本人は、ソフトバンクの孫正義であった。同盟国の政治的リーダーなんて彼には興味が無い。そう、アメリカは、1945年に日本をアメリカの属国とし、飼い犬としたのだから、たまに美味しい餌をぶら下げてご機嫌を取っていればいいのだ。興味があるのは、米国に莫大な投資を約束する実業家だ。孫氏は演説の際に、投資額を大幅に増額してトランプを喜ばせた。
このトランプ大統領の元気さと、石破首相の元気の無さは、1945年終戦時の威厳に満ちたダグラスマッカーサーと当時の鈴木貫太郎首相の元気の無さと似ている。このコントラストは、戦後ずっと続いている。
1945年8月15日、日本は、米国との戦争に敗れた後、GHQのウォーギルトインフォメーションプログラム(War Guilt Information Program)の下で、言論、出版、放送、映画、等の全てについて、厳重な検閲による徹底的な国家改造を受けた。このプログラムは、1989年に江藤淳先生が自著『閉ざされた言語空間』で紹介したのが最初であるが、その目的は「太平洋戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための計画」であった。つまり日本の「軍国主義者」と「国民」を対立させ、この対立を仮構することによって、実際には日本と米国との間の戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替えようとするものであった。
この結果、「日本は悪いことをした」として贖罪意識が日本人の心に深く刻まれることになると共に、軍隊や武器、戦闘、などの戦争のことを考えようとすると思考停止に陥るようになった。挙句の果てに、非武装中立論という理論まで飛び出すことになった。
大戦後、80年が経過し、国連の常任理事国であるロシアが、突然、隣の主権国を侵略するなどの考えられないような事態が発生している。さらに中国の強引な海洋進出が周辺国と争いを起こしている。このように戦後80年で安全保障環境は劇的に変化しているが、日本は80年前のままである。80年弱前に施行された日本国憲法の第九条(戦争の放棄と戦力の保持を禁止)の改正論議をしようとすると、思考停止状態になり、議論が進まない。この背後には、軍事力を持つと、また過去のように他国に戦争を仕掛け、迷惑をかけるのではないかという心理が国民の中にあるのかもしれない。
ロシアのプーチン大統領は、結局、ロシア帝国時代のニコライ皇帝と同様、周辺国の動向にはかまわず独裁者として振舞っているが、やはりロシア人には、皇帝などの独裁者が君臨していないと不安なのであろうか。皇帝の最も大事な仕事は、帝国の領土の拡張と世継ぎを生むことだ、と言われる。プーチンは独裁者としてまさにその仕事をやってのけて、国民の圧倒的支持を取り付けている。軍事力バランスの変化を巧みに読んで、ウクライナに一気に攻め込み、かつての自国領土を取り返そうとしている。世界中の国の猛反対があっても、一向に意に介さない。北朝鮮の金正恩も中国の習近兵も独裁者である。戦後80年経過してみれば、枢軸国の日本とドイツと戦った連合国の一部は、すでに独裁国家となって、日本の領土を虎視眈々と狙っているかもしれない。
このようなかつて無いほどの危険な環境に陥っているにも関わらず、日本は至って平和であり、いまだに戦争なんて起こるはずが無いと考えている。この情況が変化するためには、どこかの国から侵略を受けて痛い目に遭わなければならないのかもしれない。欧州では、昔から平和を望むなら戦争の準備をせよ、という諺があるという。
これは、平和というものは武力の絶妙な均衡の上にしか存在しない、ということを意味しているのかもしれない。このことを日本人は良く考える必要がある。永遠に続く平和など存在しないのである。未来に続く平和を希求するならば、今、戦争の準備を始める必要があろう。そのための第一歩は、言うまでも無く第9条の改正である。そして武器輸出禁止三原則を改めて、武器の開発と輸出を推し進める国になる必要がある。ただし今度こそはシビリアンコントロール(軍事力に対する民主主義的統制)を成功させなければならない。果たしてそれが出来るほど、この80年で日本は成長したであろうか。