緩んだ心に喝を入れる言葉3
学校へ行けない・行きたくない子ども達へ
どうしても行けない、行きたくない、一歩踏み出せないというなら、それでも良し。
家で自分や状況を見つめ直す時間は必要。
そのために学校を休むなら良し。
しっかりと自分のこと、これからのことを考えれば良いです。
ですが、ただゲームをしたり、動画を見たりするためだけに学校に行かないというなら話が違います。
あなたたちの仕事は自分の将来のために必要な勉強をして
知識を得て、経験を積んで、
大きくなったら自立した生活を送れるように、
生きる力を身に付けていくことです。
家で好きなことをしたいだけ。
学校ではゲームやSNSができないから、動画が見れないから行きたくない。
学校なんて無駄、と言うならその考えは反省なさい。
甘えであり、わがままです。
いずれ必ず後悔します。
今、楽しいことだけしていて将来仕事に就くことはできません。
それどころか進学できる学校もなくなります。
将来したいことがあっても、それができるだけの条件が自分にない、何もできない、どうしよう……そうなります。
今、楽ばかりを選べばあなたの将来の行き先は見つかりません。
自分が学校を行かない、行きたくない理由を今一度考えなさい。
怠けであるなら、それは今すぐやめなさい。
そうではなく、理由あって学校に行けない子。
学校がつらいなら無理強いはしません。
ですが、その代わりに自分ができることを探しなさい。
できるだけ必死に。
家事のお手伝いなり、
趣味を極めて何かのコンテストに応募したり、
学校以外の所に行けるならボランティア活動をしたり。
学校に行かずとも、あなた達にできることは
探せばいくらでもあります。
何か自分に合うことが見つかったら良いな
と、ぼんやり思って待っているだけではいけません。
自分で率先して探しなさい。
その探究心があなたの将来を豊かなものにするでしょう。
学校に行かずとも、今は勉強がしやすくなった時代です。
塾なり、オンラインの学習など、
学校に行かなくても学べる場と方法はいくらでもあります。
勉強はしておきなさい。
基礎学力と自己表現力さえ身に付いていれば、
受験も進学も何とかなります。
勉強と同時に、自分の思いを日記やメモ書きでも良いから書き記しておきなさい。
それは自分を表現する練習になります。
書いたものを後で読んで振り返ると、
「あの時こんな悩みがあったな」
「あれは悔しかったな」
「大変だったな」
と、いろいろ思うでしょう。
後になって振り返ってみれば、
「あの時こうしておけばうまくいったかも」
「あの時こう言っておけば良かった」
と、思うことがあります。
その気付きが今後に生かされます。
自分を知るきっかけにもなります。
楽しかったことでも、困ったことでも、腹が立ったことでも、何でも良いから文章にして自分の気持ちや考えを整理してみなさい。
そして時間を置いてから読み返してみなさい。
自分のことをよく知ろうと思って、それらを取り組みなさい。
自分を知れば、自分のすべきこと・したいことが見えてきます。
そのための練習をコツコツとしてみなさい。
心がしんどくても、自分にできることを探しなさい。
何もしない方が本当は一番つらいのですから。
自分は何もしていない、何もできていないと思う方が実はつらいでしょう?
何もできていないことの罪悪感で余計にしんどくなって、部屋にこもってしまったり、心閉ざしてしまったりするのです。
学校に行けないだけでなく、行けない自分の残念さと親や周りへの罪悪感がプラスされて日に日にしんどくなっているのです。
だから”何もしない”ということをおやめなさい。
学校に行くこと以上に、自分が好きで頑張れることを探しなさい。
好きなものがない、頑張れるものがないなら
まずは家事を頑張りなさい。
家事は生きるためのスキルと知恵が凝縮されています。
それを身に付けなさい。
家でじっと過ごさず、ゲームやネットで楽しめるものに逃げず、
学校に行く以外の自分の役割を見つけ出しなさい。
その役割を責任もって果たしなさい。
そして、保護者や周りの大人達へ
子どもに何か役割を持たせなさい。
学校に行ってほしい気持ちは重々分かりますが、
学校に行くという行為だけに注目し過ぎていませんか?
よくあるのが、「嫌々ながらも子どもがなんとか学校に行けた」
その「行けた」という事実だけに満足してしまうこと。
親は「登校した」という表面的事実に満足し、
先生は「来れた」という表面的事実に満足する。
子どもからすれば「行った」後が地獄のようにつらいのです。
行くことはできても、その後、
どんな気持ちで彼らが一日学校で耐えているか…
そこまで考えられていない大人が実は多い。
「今日行けたんです」ということに喜び、
登校できたという実績に喜びがちなのが大半の大人です。
子どもからすれば、その登校実績より、
一日地獄を耐えなければならない現実を
もっと大人に考えてほしい、知ってほしいのです。
「今日こそは行きなさい!」
「明日は絶対行きなさい、約束ね!」
「何で行かないの!」
「半日でも良いから行きなさい」
大人はすぐこう言ってしまいますが、
子どもからすれば「地獄に行け!」と言われているのと同じ。
表面的な「行った」という事実を積み重ねることに躍起にならないでください。
大人は「行った」という事実にホッとしますが
子どもは「行った」ことで耐え難い苦痛の時間がスタートします。
大人がホッとして過ごしている時間、子どもは心がえぐられるような気持ちで過ごしています。
だから『登校刺激を与えないで見守ってあげてください』と、
不登校に関する相談の際、医者や専門家達が言うのです。
子どもにとって登校がどれだけ過酷で、
学校で何を体験しているのかを考慮した上で
登校についてもっと考えなければなりません。
かと言って『見守ってあげてください』と言われたから、行けるようになるまでじっと待てば良いということでもありません。
先に述べた通り、子どもに何か役割を持たせなさい。
家事を教えなさい。
学校に行く以外で果たせる仕事を提示しなさい。
子どもに合った勉強スタイルを考えなさい。
ボランティアなど、社会貢献できる場に行かせなさい。
ゲームやらSNSなど、好きなことは多少させてあげたとしても、やるべきことはやらせなさい。
約束を守らせなさい。
お手本となるように大人も約束を守りなさい。
学校に行って勉強すること以上に、
生きる力を身に付けることの方が重要です。
学校に行ったからといって生きる力が身に付くとはかぎりません。
学校に行っても行かなくても、役割を与え、
責任もって行動することは子どものうちから必要なことです。
子どもに”何もしない”ことの罪悪感を持たせないようにするためにも、
”何もしない”子どもに大人がイラつかないためにも、
”責任持って役割を果たす”機会を与えなさい。
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