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有名になっちゃう方がリスク。

生まれた瞬間に人間には承認欲求というものが搭載されている。

赤ちゃんの頃は親や家族に自分の存在を認めてもらうために泣いたり、ワガママを言ったりする。

それから幼稚園、小学生、中学生、高校生と学生時代は遊びや勉強や部活、そして部活を通じてクラスメイトや家族、周りの人からの承認を求める。

年齢が幼くなれば幼くなるほど、より顕著になる。
なぜなら、幼い子の方が何も知らないため自分の素直な欲や本能のままに行動するからである。

そして年齢を重ねれば重ねるほど、いつの間にかこれはやっちゃダメ、これをやったら恥ずかしいことなんだと思い込まされて、感情や気持ちを素直に吐き出すことを無意識のうちに制限されてくる。

そして、各自それぞれ各カテゴリーで感じたコンプレックスを持っている人ほど次のカテゴリでエネルギーの効力を発揮する。

例えば、小学校でいじめられたり何かに敗北をした経験がある人ほど中学校で挽回しようとするし、中学校で部活や勉強で悔しい思いをした人ほど、高校で何かの分野で勝とうとする。

逆に中学校で何かを達成して認められたりした経験をした人ほど、高校で頑張るエネルギーや活力がなくなる人が増える。

例を挙げると、
甲子園で活躍した名選手や大学になった瞬間に部活を急に辞めたりする。
そして、社会人になっても目標に向かって頑張ることを辞めてしまう人が増える。
他の部活でも中学生で活躍した人が高校で非行の道に走ってしまったり、高校で活躍した人が大学デビューで道を踏み外してしまったりする人もいる。
勉強でも大企業に入ることが幸せだと教えられ、受動的に勉強をしてきた人ほど、大企業に入社することがゴールだったため、入社してから困惑する人も現れる。

この傾向は、目標を達成して人から認められることの嬉しさと同時に虚無感や虚しさを味わったからだろうと筆者は考える。

最初は皆、何者かになりたくて全力で頑張る。
何かを成し遂げたかったり、人から褒められたくて全力で頑張る。

そしてその競争に勝利し、目標を達成したり、何かを成し遂げたりすると勝者としてのアイデンティティが自分の付属品になる。

そうすると友人から「〜って凄いな!」って言われたり、
親戚や先生からも褒められることも増えるだろう。

その時の最初の感情としてはやっと認められたという嬉しさと今までやってきたことが肯定されたという感情になる。

そして時間が経つにつれて、段々と虚無感に襲われてくる。
みんなから凄いって言われはじめたり、認められると勝手に見られ方の基準が上がったり期待され始める。

するといつの間に自分の本音が見えなくなり、期待に応えようとしたり、「リーダー、キャプテン、学級委員長、部長、専務、代表取締役、会長、教師」などの組織の上に立つ人たちは自分のアイデンティティを優先した言葉を発するようになる。

誰かに求められる自分を演じたり、
自分の心より、相手に喜んでもらえる自分を優先しすぎたり。

勿論、社会で生きていく術としては大事なことだが、これをやりすぎると本音が見えなくなる。

それに気付くと芸能人やアーティスト、有名なアスリートは常にカメラを向けられて、日々の行動を監視されたり、ジャッジされたり、周りからの要求が日々高くなる。
そうすると精神のバランスを保つのにかなり大変だろうと思う。
パパラッチに追いかけられたり、文春に載ったり。

よくある有名人が薬物中毒になったり、自殺をしてしまう原因も有名になったりして、精神のバランスが保てなくなることも要因の一つとしてあげられる。
人の人生をコンテンツにしてしまうのは、見物する方は面白いかもしれないが、コンテンツにされる方はいつか耐えられるなくなる時が来る。誹謗中傷を受ける確率が一般の人より高くなったり、不特定多数の感情を浴びる機会がかなり増える。

視点を変えると昔でいう人間動物園のような状況だ。

有名になることや活躍することの代償はある。
それは有名になってからしか気付けないし、活躍してからじゃないと気付けない。

何かの目標を追いかける時や有名になろうとしている人は精神のバランスを崩す前に有名なった後のリスクを考えることも大切なのではないかと思う次第である。




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