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先輩教員との考え方の違い
久しぶりに先輩にかみついてしまった。
問題は、生徒のレポートを紙で集めるか、データで集めるか。
そんな些細なことなんだけど、これが実は大きな問題で。
私たちは日々想像を絶するほどのタスクを抱えて仕事をしている。
自分の所属する分掌の仕事、教科、部活、委員会、面談…。
数えるとキリがないが、1日10個以上のタスクを平均的にこなしている。
これが教員の1番のすごさだと私は思っている。
おそらく転職すると、特出すべき点がなく、有利に働かないかもしれないが、全てを広範囲で80点を出せる。
というのが教員なのかもしれない。
前置きはさておき、
こんなタスク過多の状況だからこそ、ひとつ一つの判断が命取りになる場合もあるのだ。
今回の紙VSデータ問題もそう。
こんな些細なことが自分に重くのしかかる。
紙で集めるとどうなるか。
※基本的に大学のレポート提出システムなので、職員室前のポストにレポートを投函するシステム。
まず紙の場合。
①提出された生徒のレポートを担当している教員ごとに仕分ける。
②今回は2種類のレポートのため、それをさらに種類で分ける。
③番号順に並び替える。(うちの学校は名前の順ではないのが尚ややこしい)
④未提出がいないか確認する。
⑤ホチキスが正しく留まっているか確認する。
※ちなみにこのホチキスはスキャンするときに全部とる。
これでは評価の前に力尽きてしまう…。
データの場合。
上記の手間は全てなし。
ただし、評価する際に、PC上で評価する必要がある。(ちょっと目が痛い)
この2つを比較したときに、どうしても紙を選ぶ選択が私には理解できなかった。
納得できるだけの理由がほしかった。
私は異動1年目だし、
相手は大先輩。(30歳以上年上)
今まで我慢していたことが溢れてしまった。
年上でも言いたいことを言えるのが私の良いところでもあるが、デメリットの方が圧倒的に大きい。
こんなとき、さらっと流して従えたらどんなに楽か。
対立はエネルギーを消費する。
意見するのは楽なことじゃない。
でも、結局誰かが戦わなきゃいけない。
教員の働き方は本当にブラックだ。
結局毎年この繰り返しだから何も変わらない。
土日、長期休みを捧げるのは当たり前。
残業も1日3時間以上が当たり前。
これのどこが持続可能なのか。
総合でSDGsの授業を生徒にする前に、
我々自身が一度考えるべきなのだ。
こんな皮肉な授業があってはいけないんだ。
今回は本当に些細なことかもしれないが、結局この積み重ねなんだよ。
何かを変えることは、本当にエネルギーが必要なこと。
でも、誰かがやらないと。
この現場は変わっていかない。
メディアがいくら教員の仕事・働き方が劣悪かを取り上げてくれたって、変えるのは我々しかいないだろう。
むしろ、自分たちの首を自分自身で絞めているんだ。
本来、課題を出すのも、授業をするのも我々なんだから、自分たちで働き方を調整できるはずなんだ。
なぜ、だれも改革しようと思わないんだ?
なぜ、だれも変えようとしない?
自分たちの環境を変えるのは、
自分たちしかいないはずなのに。
でも、結局従っちゃうのが楽なんだよな。
そしたら何も考えなくていい。
ただ淡々と心を殺して仕事をこなす。
そうすれば一時的には楽になれる。
ただでさえ忙しいのに、ここで従来のルールを変えようと思ったら、
またエネルギーを消費しなきゃいけない。
そして来年、また同様の忙しさに追われる。
結局この繰り返しなんだよな。仕事って。
本当にこのままで良いのか?
良いわけがない。
でも、心の中のサボり魔が言う。
職場で対立せず、うまくやるためには、黙って従った方がいいって。そう言うんだ。
そう考えてしまう日もいっぱいある。
でもどうか、心の灯火が消える前に、自分たちを変えていかないと。
そうしないときっと、このエネルギーはどこかへ消えてなくなって、数年後も、数十年後も、同じ状況が繰り返されるだろう。
教員の質の低下、倍率の低下、働き方…。
色々言われてるけど、やっぱ現場のおれらに問題があるんだよ。
誰かが変えないと。
変えるのは自分だ。
誰かに任せちゃいけないんだよ。
自分がやるしかないんだ。