ギト中のはじまり
私は中国人で、このnoteは、私が中華料理に関する思い出やレシピを綴ったものだ。
タイトルの「ギト中」は「ギトギトの中華」の略である。中華は油とスパイスと火力をアイデンティティとして持っている。けれど日本に住んでいる私が作る中華は、どうしてもスパイスの調達や火力のコントロール(中国のレストランは、火炎放射器のようなコンロを使っていたりする)が思うようにできない。そこで「油」を極めてみればある程度味を補完できるのではないか?と思って、何百種類の油を試して日本の家庭用コンロに適しているものを見つけたので、「ギト中」というタイトルで油の存在感を主張した。
(というのはウソで、実際は中華料理を振る舞う際、「ギトギトの中華だよ〜」と言っているのを友人がふざけて「ギト中だな!」と言ったことに由来する。)
私は中国人だと最初に言ったけれど、正確には日本人の祖母を持つクオーターである。20歳までは幸か不幸か、日本と中国の間を何度も行き来してきたのだけど、いままで生きてきた中で一つだけ少し困っていることがある。それは、日本人の友達は私のことを日本語ができる中国人だと思っているし、中国人の友達は私のことを中途半端な日本人だと思っていることだ。このことについてよくよく考えたが、私は自分のことを日本人が思っているよりも少し日本人で、中国人が思っているよりも少し中国人だと認識している。
振り返ってみれば、幼稚園から中学校までは何年かおきに日本にいた。小さい頃はシルバニアファミリーで遊んでたし、七五三も着物を着て写真を撮った。ちゃおの付録を作ったり、毎日の忍たま乱太郎は欠かさず観るほどのテレビっ子だった。クリスマスにはゲームボーイとテトリスのソフトをもらったし、たまごっちも持っていた。放課後に行く駄菓子屋ではヨーグルとさくらんぼ餅ばっか買っていたし、中学のバレンタインには好きだった先生にこっそり本命チョコをあげたりもした。多分だけど、同世代の日本人が思春期までに経験することの7割は経験している気がする。
一方で、私は義務教育の大半を中国で過ごしたし、旧正月に実家に帰らないと母親にすごく詰められる。古文は結構読めるし、綺麗な景色を見たら脳裏に漢詩が浮かぶことだってある。大好きな時代劇(鉄歯銅牙紀暁嵐という時代劇だけど、まあ誰も知らないだろう)はもう100回ぐらい繰り返し観たし、オリンピックの時はだいたい中国チームを応援する。Tiktokだって中国版しか使っていない。中国の政治には思うところはあるけど(安心してください、ギト中では政治については触れないです。)、中国の文化も、生活も、人も大好きだ。
何を言いたいかというと、私たちが普段の生活の中で人に見せる自分の一面はいろいろあって、それらは足したら1になるわけではないのと同じように、複数の文化的なアイデンティティは同時に存在できると思う。もっと簡単に言えば、私の中の日本人らしい部分と中国人らしい部分はそれぞれ存在していて、どっちかが増えるともう片方が減ってしまうということではないのだ。
とは言っても、社会人になってから私はほとんどの時間を日本で過ごしてきた。コロナのせいもあってもう3年以上中国に帰っていないので、たまに自分が住んでいた街のことを思い出して切ない気持ちになったりする。
……私が中国に抱くノスタルジーはとても特別なものである。なぜならここ20年で、中国は天変地異と言えるほどの変化が起こっていて(四字熟語を多用すると中国人らしい気持ちになる)、幼い頃の暮らしは大抵が再現できなくなってしまった。記憶もいつまでも残るわけではないから、いつのまにか、消えかけた部分を少しずつ想像で補うようになっていた。そんなわけで、私が大事に心にしまっている中国に対するノスタルジーは、記憶と想像の間をさまよい始めた。
歳を重ねるにつれ、中華料理を作ったり食べたりする機会が増えた。中国以外の国で中華を作るということは、自分が住んでいる場所にある材料や道具でそこでしか作れない中華を作るということでもある。そうやって昔の味を思い出しながら周りにあるもので再現しようとしているうちに、自分のアイデンティティはギト中と通ずる部分がある気がしてきた。
私の中の中国人らしさはギト中の油のように、他の文化と出会い、それらを包み込んで、様々なマリアージュを起こしているのかもしれない。