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最期の銀幕

 時給850円でビデオショップのアルバイトをしていた頃、その個人経営の小さな店はいわゆる18禁商品を専門としていたのだけれど、ポルノのジャケットが通行人に見える状態だと何かの法令に触れるとかで店頭には一般作品を陳列していて、その整理をするのが僕にはとても楽しかった。

 色褪せた『タイタニック』のVHS、『LOST』第1シーズンのDVDボックス、『ドラゴンボール』『白痴』『冬のソナタ』『砂の器』などまったく脈絡なくひとつの棚にぶち込まれており、突然『ヤン・シュヴァンクマイエル作品集』なんてものが倒れていたりするこの混沌を、どのように関連づけて並べるのが自然か、自分のお気に入りをどう目立たせるか、1日10時間の労働の内で唯一、癒やしの作業。

 たまに1本、売れるかどうか、世界の誰も気にしないひとつの棚を、何度も手直ししていたら、僕は20歳になっていた。人間のことが少し嫌いになっていた。映画のことは何よりも好きになっていた。

 誰かと映画について語り合う際にはだいたい「いちばん好きな映画は?」という問いが出てきます。考えるのは楽しいけれど、無数に観てきた作品から一本だけを選ぶのはとても難しい。では例えば「もし今後の人生でひとつの映画しか観られないとしたら?」という条件付きであればかなり絞られるだろう。もし現在『悪魔の毒々モンスター』がどんなに趣味に合っていてもこの先、家族や友人と一緒に映画を観る際にこれしか選べないのはかなり厳しい。さてこの質問に『永遠の語らい』あるいは『Derek Jarman's Blue』と答えたそこの君よ! ……そんなに眠りたいのか? またはこの質問に『憂国』あるいは『肉弾』と答えたそこの君よ! ……なんでもありません。 

 実質的には人生で最期の一本をもし実際に選ばなければならないとしたら、僕はきっと『モダン・タイムス』を手に取るだろう。鬱々とした高校時代、初めてきちんと観たチャップリンで、全体を流れる幸福な雰囲気に心を救われた気がした。主人公のチャーリーには定職がなく、ヒロインはぼさぼさ頭、けれどひねくれた劣等感なんてまるで持たずに、閉店後のデパートに忍び込んで遊び回る。ラストシーン、ふたりは物質的には何もかもを失っているけれど、他の誰かには決して得られないだろうものを胸に長い一本道を歩いて行く。私にはまるで、奇跡に出遭うようだった。それは折れ枝を嘴に小鳥が眼前を横切るあの豊かな驚き、それは街路樹に転んだ陽だまりのような優しさ。いつかまた生きていくということにほんとうに寂しくなってしまった時、もし一本の映画に頼るなら、あの愉快なチャーリーに居てほしい。

 さて最初の質問に戻って「いちばん好きな映画は?」

 子どもの頃はジャッキー・チェンが大好きだった。ブルース・リーは天才的な強さで敵と闘うけれど、映画の中のジャッキーは闘うのも逃げるのもとても得意で、学校でもその動きをよく真似ていた。校門に続く歩道に角度にして70度ほどのブロック塀があって、これを駆け登るという競技を制定。ジャッキーが逃げる時によくやる動きだ。3段蹴りまでが平均値で、4段まで蹴れるのは調子が良い日。あんまり覚えていないけど感覚的には地面から1m以上の高さに届いていたはずだ。

 ジャッキー遊びはもうひとつある。これはかなり選手が限られていたけれど、【階段落ち選手権】も完成させた。いかに速く階段を転げ落ちることができるか、という単純かつ命懸けの遊びで、もし私に小学生の子どもがいたら全力でやめさせるだろうし、それを思いついたやつをぶん殴るだろう。まぁ思いついたのは僕だけど。……さておき、例え子どもであれ「全力で落ちたら死ぬ」というのはきちんと理解しているので、後頭部に両腕を回して頭部を保護する、という基本ルールが設定された。さらに競技場の選定にも条件があり、階段幅が狭い、あと角度が急すぎるのはやめとこう、という了解も浸透していた。放課後に数人でよくこの遊びをしていたけれど、アザだらけになるし擦り傷も出来るし、これをただ「楽しいから」というだけで遊んでたんだからとんだチキンレースである。理性が飛んでいたとしか思えない、けれどほんとうに、楽しかった。

 ジャッキー・チェンならいちばん思い入れがあるのは『酔拳2』。なのだけれど、僕のいちばん好きな映画は邦画の内にあるのです。『モダン・タイムス』と違って観るタイミングを選びますが、14歳くらいの頃、深夜にテレビ画面を眺めていたら、偶然に出逢ったのでした。

 繁華街の暴力系組織が血塗れの戦争を繰り広げている裏側で、離島の幼稚園では島民を集めて芝居鑑賞の真っ最中。毒針のあるハチさんがぶんぶんと舞台上を駆け巡っているいっぽうで、敵対構成員に滅多刺しにされた下っ端はもう動かなくなるところ。カッパやライオンさん達の愉快な舞台に子ども達もその親もおじいさんもおばあさんも、たくさん、たくさん笑顔を浮かべていて、けれどこの時、弾除けとして突き飛ばされた若い男は鉛玉で穴だらけにされていた。

 カットバックされたこの異様性は、当時の僕の日常では抜群に面白く感じられた。三池崇史監督作『DEAD OR ALIVE 2 逃亡者』。DOA3部作の2作目で、主演は哀川翔と竹内力。たぶんこれがいちばん好きな映画だ。

 哀川翔といえば、散歩してたら前方から哀川翔が歩いてきたことがある。短髪にサングラス、スーツにあの身長。どうしよう、どうしよう。擦れ違いざまに声を掛けようかようか迷ったけれど、よく見たらそういうおばさんだった。哀川翔おばさん……あなたの周りに、いませんか? ギャー!

 似た経験では、池袋を歩いていたら芋洗坂係長そっくりの人が信号待ちをしていた。どうしよう、どうしよう。擦れ違いざまに声を掛けようか迷ったけれど、よく見ても芋洗坂係長だったので、そういえばさほどファンでもないしスルーした。……大西ライオンを目撃した時もそうした。

 なんの話だっけ?

 映画の話は幾らでもしたいけれど、今のテンションだと実写版『空母いぶき』への悪口が止まらなくなりそうなのでこのへんにしておきます。そもそも中国と沖縄の位置関係が必要条件の物語なのにその設定を捨てて謎の国を作り出した時点でもう原作の…ゴニョゴニョ…ゴニョ……プッ…ツーツーツー……

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