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♦︎「きよしこの夜」の伴奏はパイプオルガンではなくギターであった

 冒頭の写真中央は,ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会(通称:お化け教会,最近では虫歯教会).英国空軍によるベルリン空襲で破壊されたままの旧鐘楼で,広島の原爆ドームと同じように,戦争を警告する記念碑として残されている.旧鐘楼の右に,新しい教会の鐘楼(通称:リップスティック)が建てられている.道路に沿うように教会の広場には小屋が並び,毎年クリスマス市が開かれている.クリスマス市では飾り物(写真のくるみ割り人形など),ホットワインなどが売られ,大変賑わっている.しかし,2016年12月19日20時頃,このクリスマス市に大型トラックが突入するテロ事件が起きた.射殺された容疑者1名を含めて12名がなくなっている.
 クリスマスには,クリスマス・ソング,より宗教的な意味を持つクリスマス・キャロルがつきものである.これらの中で,世界中で愛唱されている曲の一つが「きよしこの夜」である.「きよしこの夜」の原詞 “Stille Nacht” は,ヨゼフ・モールによって,ドイツ語で書かれている.ヨゼフ・モールの詩にフランツ・クサーバー・グルーバーが曲をつけたのが “Stille Nacht, heilige Nacht” である[1]. 
 この曲は1818年12月25日にオーストリアのチロル地方,ザルツブルグ近郊のオーベルンドルフという村の聖ニコラウス教会(聖ニコラ教会)で初演された.歌の伴奏には,教会ではパイプオルガンが使われるのが普通であるが,ギターが使われている.なぜ,パイプオルガンではなくギターが使われたかについてはいろんな話がある.中でも,ネズミがパイプオルガンの送風装置である革でできた「ふいご」をかじって,音が出なくなってしまったからという話がよく知られている.ミサのためにパイプオルガンが使えないので,急遽モールは “Stille Nacht” の詞にギターで曲をつけくれるよう友人のグルーバーに依頼した.グルーバーは学校の先生で教会のオルガン奏者でもあったが,ギター奏者ではない.また「教会堂内でギターを弾くことは,信徒は嫌っており,神父にも怒られると渋った」.しかし,モールの説得とモールの詞が繊細で美しい詩と判り,詞に曲をつける気になった.曲が完成したのは,教会でミサが始まるわずか数時間前のことであったという[2].モールのイタリア製ギターの伴奏にのって,モールがテノール,グルーバーがバスを担当し,二人の女性の歌い手と共に四重唱をした[1, 3].
 この逸話には多くの異論があり,モールとグルーバーの関係が逆になっている話もある.つまり,グルーバーがモールにリュート用に詩を依頼し,それに合わせて作曲したというものである[4].また,作詞が,僅かの時間でできたことも,疑問視されている.モールの署名入りの自筆譜が1995年に発見され,そこに「作詞,副祭司 J・モール,1816年」とあることから,作詞は1818年ではなく既に2年前になされていたと考えられている[1, 5].また,ネズミがかじったのは,空気を送るふいご[2,7]の他に,パイプオルガンのパイプ(管)[6],弦[8]だという記載もある.パイプオルガンの調子が悪かったのは事実のようであるが,ネズミがかじったという話はどうも疑わしい.「きよしこの夜」の研究者ヨゼフ・ガスナーは,オルガンが壊れたので,あわててギター演奏にかえた説は明らかな間違いで,クリスマス・ミサの時には,ちゃんとミサ曲が演奏されます.ミサ曲は,普通のようにオルガンを伴うオーケストラで演奏された筈です.短いクリスマスソングだけが歌われたことはおかしい.「きよしこの夜」はミサ曲の間に歌われた小曲に過ぎなかったのです.確かにオルガンの調子は良くない状態にありましたが,そのことは,必ずしもオルガンが壊れていて演奏が不可能だったということはないのです.また,当時ギター伴奏で讃美歌などを歌うことが流行していました.と述べている[9].「ネズミがかじったという話」は,1943年に米国で出版された「きよしこの夜物語」に,この逸話が紹介されたのがその始まりとされている[5].日本ではポール・ギャリコ著・矢川澄子訳「きよしこの夜」が生まれた日,にも記載されている.1967年に書かれたその原書の物語は,アメリカの作家だったギャリコが,もちまえの想像力をフルに働かせてささやかなドキュメンタリー文学に仕立て上げたものだと,訳者あとがきにある[10].「ネズミがかじったという話」は,どうも創作の様である.パイプオルガンの老朽化や洪水による被害などという理由より,クリスマスのお話としては夢があってよいと思うが.
 その後,「きよしこの夜」が初演された聖ニコラウス教会は,洪水で消失してしまったが,跡地に新しく建てられた礼拝堂(記念礼拝堂)には,この逸話を題材にしたステンドグラスがはめ込まれている[2,12].一つは,右手に羽ペンを持つ作詞のモール副司祭とオーベルンドルフの教会が描かれている.もう一つは,ギターを手にした人物,その下に6/8拍子2小節の楽譜,グルーバー先生が1818年12月24日ここで作曲した,と書かれている.アルンスドルフの教会の様な校舎が描かれており,「ここ」はアルンスドルフを指す.ギターを手にする人物は,モールでなければならないと思うのだが,なぜかグルーバーである.
 1912年,この名曲を記念して彫刻家と,ヨーゼフ・ミュールバッハー司教が,モールとグルーバーの胸像を記念礼拝堂に作る事になった.しかし1848年に亡くなっているモールの肖像が全く残っておらず,困った関係者はなんと彼の墓を探し当て,彼の頭蓋骨をもとに顔を復元し胸像を作った[2].頭蓋骨は彼の墓に戻されず,聖ニコラウス教会の壁の中に埋め込んで安置された[13].なお,この二人の胸像でもギターを持っているのはモールではなくグルーバーである.おそらく記念礼拝堂のステンドグラスを基に作製されたので,そうなったのだろう.グルーバーの子孫は,教師時代に住んでいたハラインに「きよしこの夜記念館」を建て,彼の遺品である,楽譜,ノート,初演のオリジナルギターを保存・展示している.イブの夜だけこのオリジナルギターが「きよしこの夜記念館」から記念礼拝堂に持ち込まれ,あの時と同じようなギター演奏と聖歌隊でミサが行われている[2, 11,12,14].ハラインの「きよしこの夜記念館」に展示されている初演のオリジナルギターは,ザルツブルグ博物館HPで閲覧できる[15].現代の様なギターではなく,19世紀のバロックギターである.ステンドグラスだけでなく,二人の胸像でも,ギターを持っているのはグルーバーになっている.オリジナルギターを保存・展示しているのはグルーバーの子孫であることから,ギターを弾いたのはグルーバーだとしたいのかとも思う.
 ギターを弾いたのがモールとグルーバーのどちらでもいいじゃないか,と言われる方も多いと思う.ギターをこよなく愛す高齢者(私のこと)には,ギターを弾いたのがモールとグルーバーのどちらかが気になる.ギターで伴奏したのはモールであるというのが一般的な記述であり[1, 3],また,モールは日頃からギターを持ち歩いていたという[13,16].初演のオリジナルのギターはモールのものである[13]とする一方,ポール・ギャリコ著・矢川澄子訳「きよしこの夜」が生まれた日では,グルーバーがギターの名人で,ギターも彼のものとなっている[10].どうして,これほど違っているのだろうか?
 なお,ドイツ語で書かれた原詞は6節からなるが,3・4・5節はなく一般的には3つの節だけが,1節6節2節の順に歌われることが多い[1].この曲の英語曲がSilent Night,Holy Night(ニューヨーク・トリニティー教会の司祭となるジョン・フリーマン・ヤングの訳が一般的)であり,日本語曲が「きよしこの夜」(訳詞・由木康)である.英語,日本語曲にはいくつかのバージョンがあり,カソリックとプロテスタントでも若干使われている言葉に違いがある[17].

♦︎「きよしこの夜」が第一次世界大戦の塹壕の中で歌われた 
 1914年,第一次大戦中の西部戦線でクリスマスの奇跡が起こった.国境を挟んで英軍とドイツ軍が塹壕の中で対峙していた.突然,ドイツ側がクリスマスツリーに明りを灯し,高々と掲げた.一瞬,英国軍に緊張が走った.次の瞬間,聴こえてきたのはドイツ語による”Stille Nacht! Heilige Nacht!”であった.歌が終わった後,今度は英国側が"Silent Night”を合唱し,戦場から銃声や砲声が消えた[2,15, 17].これが有名な,”The Christmas Truce”(クリスマス停戦・休戦)である.この話を基にして作られた映画が「戦場のアリア」である.
「きよしこの夜」が作られたのは,ナポレオン戦争(1792-1815)直後の厳しい社会情勢下であった.モールが過ごしたオーベルンドルフは,岩塩の船輸送が経済の基盤であったが,ナポレオン戦争中に衰退し不況となり,度重なる洪水も起きている.また,ウィーン会議の結果,新たな国境線が画定し,「きよしこの夜」が初演されたオーベルンドルフはドイツのババリアから分離されてオーストリアのザルツブルグに編入されている.川を挟んで,これまでの共同体としての村が二分されている.将来に不安を抱くような困難な時期に「きよしこの夜」の詞が作られたのである[2,13,16].「きよしこの夜」は,長く続いた戦争が終わり、待ち望んだ平和をたたえた歌だった.と賛美歌研究者の川端純四郎は述べている[9].まさに,クリスマス停戦・休戦に相応しい内容を持った詩であった.

[1]Stille Nacht Gesellschaft  https://www.stillenacht.at/en/text-and-music
[2]「きよしこの夜」(Silent Night)の歌は教会のオルガンが鼠にかじられたことから始まった https://jack8.at.webry.info/201212/article_1.html#comment
[3]「きよしこの夜」誕生物語 https://family.gr.jp/christmas/story/stories/silent_night.html
[4]トマス 浅川.壊れたパイプオルガンの代役 “きよしこの夜”の誕生とその後 Weihnachts und Winterlieder (クリスマスと冬の歌)よリ抄訳
[5]http://servus.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-ba06.html
[6]http://www.luce.aoyama.ac.jp/outline/courier/pdf/courier151.pdf
[7]https://www.family.gr.jp/christmas/story/stories/silent_night.html
[8]https://fivebread.exblog.jp/23461474/
[9]藤井晴雄「きよしこの夜」の歴史 http://www.eu-kogyokai.jp/wp-content/uploads/2016/03/1f35fbfd6db61582c5591a84fc3fb282.pdf#search=%27
[10]「きよしこの夜」が生まれた日,単行本 – 1994/11Paul Gallico (原著), 矢川 澄子 (翻訳),大和書房,1994年.ハイネマン社,1968年(再版)を底本として翻訳.
[11]Silent Night, https://www.stillenacht.com/en/a-global-hit-is-born/scientific-view/
[12]http://www.stillenacht.info/de/stille-nacht/franz-xaver-gruber-joseph-mohr.asp?dat=index&id=216&title=Stille+Nacht+Komponist+und+Texter
[13]「きよしこの夜」物語,ヴェルナー・トゥースヴァルトナー著,大塚仁子訳,アルファーベーター,2005年.
[14]https://www.youtube.com/watch?time_continue=79&v=npaFqpjOpkM&feature=emb_logo
[15] https://www.salzburgmuseum.at/fileadmin/_migrated/content_uploads/StNM_Gitarre_Mohr.jpg
[16]https://themuse.exblog.jp/13157928/
[17]https://xmas-eigo.blog.ss-blog.jp/2015-11-24

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