第一部 うう...生きる意味ってなんですか? ※全3部になってます
はじめに
SNSでこんな弱音を吐く人を見た事がありませんか。ぼくもこの画像のつぶやきみたいな答えのない事を考えるのが大好きです(´,,・ω・,,`)
というわけで、答えなんか無いけれど一度は考える『自分が生きる意味』や『人が産まれてきた理由』。つまり"人生の意義"と、そこから派生してぼくらができちゃう”人権課題の解決方法”について話したいと思います。
どうぞよろしくお願いします(´,,・ω・,,`)
1.恋、しましょうね
みんなーーーー”恋”してるかーーーー( ‘ᾥ’ )!!!!????
恋っていいですよね。たぶんぼくの初恋はおかあさんだったと思います。
自分を愛してくれる人にもっと笑ってもらいたい、褒めてもらいたい、頼ってもらいたいと心から願いました。
だからあの日、夕焼けがまぶしかった帰り道。困ったような笑顔で振り向く母に、紙パックの牛乳が二本入った買い物袋を持っていても「へーきだよ!」と言えたんです。おかあさんが大好きだから。
そしてきっとあなたにもあったはず。誰かを喜ばせたいとか、力になりたいと思ったり、自分を高めるためにオシャレや勉強を頑張ったり、他人からは無価値だと思われるようなことでもいい。好きになる対象は異性どころか人間じゃなくったっていい。
何かを想って全力になれる、その熱い気持ちがあるのならみんな同じです。
ぼくはその”好き”から生まれる無限のエネルギーこそ、世界を救う唯一の力じゃないかと考えています。
だからみなさん。恋、しましょうね(´^ω ^`)
ちなみにぼく、今まさに恋をしています! 相手は誰だとおもいますか?それはあなたです(´・,,ω,,・`)人類です(´,,・ω・,,`)♡
そんな訳でぼくの生きる意味であり、大好きな人を幸せにする方法。つまり『全人類を幸福にするためにはどうすればいいのか』を考えました……!
俺がみんなを幸せにしてやるぜっ。
【結論】それは無理。
そんなぁ。゚(゚´ω`゚)゜。 うう……ってなってしまうので解説していきます。
2.全人類が幸福にはなれない理由
これはなんでかって、『幸せ』の定義ってマジで人それぞれ過ぎて「これだー!」と決めるのが難しいんですよね。
だからある人は「幸福とは人生の満足度だ」として『幸福度』という尺度を考えたり、『客観的幸福』や『主観的幸福』ってのを作りました。
でも本当に全人類が幸福になれない一番の理由は、不運ってだけで生きる上で必要のない苦痛を受ける人が存在するということです。
「はぁ? んなもん本人の努力次第やろがい笑」という考え方は必ずしも正しいとは言えません。
いじめや差別、ハラスメントなどで人権を犯され自尊感情を失っている人
環境や能力差から社会に適応できず、自殺願望/希死念慮を抱えている人
何となく誕生させられて、路上で生活したり虐待される子ども
これはほんの一例で他にもたくさんあります。こういった”人権課題”に巻き込まれ、どれだけ長生きしようが幸福になるチャンスが無い人もいるんです。
だから『全人類を幸福にする』という理想論をすぐに実現するのは不可能なんです(´;ω;`)
…………なのできっと、反出生主義の人が言うように『人生は苦痛の方が多い。だから基本的に人間は生まれてこない方が良かった』という主張を信じて絶滅すべきなのでしょう。
もしくは「彼らは不運だった。はじめから救いはないし考えるだけ無駄だし、恵まれた側の我々は受け入れるほかない」と言って諦めるのが良いのでしょう。
────そうした『無関心』でいること。これでありとあらゆる問題は解決できます。
でも、それで救われるのは自分だけだ。それがずっとイヤだったんです。人類に恋するぼくが許せるわけがなかった( ˘•ω•˘ )
じゃあどうすればいいのか。不運というだけで不必要な苦痛を強いられる彼らを幸福にできないなら、他に何ができるのか。
「……彼らにも”人生の意義”────つまり、生まれてきた意味があればいい。そうすれば、生まれたことそのものを肯定できる」
それをしなくちゃいけない。そう考えたんです。
でも、どうすれば他者に生まれてきた意味を与えられる?
そんな押し付けに近いおせっかいは必要なものなのか……?
そもそも人は他者に、”人生の意義”を与えられるのか…………?
うう、うううううう
3.『記録』~”生まれてきた意味”を与えるその方法~
「他人に”生まれてきた意味”を与えたい。どうすればいいと思う?」
こんなことを言えば周囲から必ず批判があります。
余計なお世話だろ笑
人それぞれだから笑
価値観の押し付け笑
そんなこと考える暇あるなら仕事探して働け笑
ううー。゚(゚´ω`゚)゜。!
まぁ最後の指摘は間違いないんですが(´・,,ω,,・`)
しかしここで考えてみましょう。例えばぼくらは『3歳児が虐待され死亡した』とニュースで聞いても「不運だったね」としか今は言えないんです。
だって『なぜ子どもが虐待されたか分からない』からです。それに『なぜ親が虐待をしたのか』さえ、加害者の本人を含めて世界中の誰一人分かっていないからです。
いくらでも憶測は言う事ができます。テレビやSNSの取材で、親自身も虐待されて育ってきたとか、精神病だったとか、小さい頃から素行の悪い”ひとでなし”だったと分かったとしましょう。または警察に捕まった親が取り調べで「イライラしてやった」と供述したとしましょう。
でも、それらが本当に虐待の原因だったかどうかは分からない。やっぱりただの憶測でしかないんです。
だってイライラしても虐待しない人がいるから。もっと言うと精神病だったり、自分が虐待されてきたからこそ、自分の子どもにはそのツラさを与えまいと努力する人がちゃんといるんです。
「じゃあ彼らと虐待をしちゃう人の違いってなに?」となったとき、それについて人類は本当に誰も知らないんです(˘•̥ω•̥˘) 今も誰かが言っているかもしれない理由は、全部「そう考えられる」程度の予想でしかない。
そのことからぼくらは、虐待死した子どもに対して「そういう酷い人間が時々いるんだよね。だからその家の子どもに生まれちゃったことが一番の原因かな。まぁ、なんだ……運が悪かったってことだな」としか言えないんです。それが現代という最も新しい人間社会なんです。
だからこそ、テレビやSNSでいじめや虐待に関してとびかう有象無象の憶測を見るたびに、思う人もいたんじゃないでしょうか(´・ω・`)
「なぜ虐待が起きたのかギャンブルみたいに『予想』するんじゃなくて、いまできる方法で調べたらいいのに」
そうすれば、不運な人ってのがまた発生するのを防げるかもしれないのに……って。
つまり、人に”生まれてきた意味”を与えるには
────────『記録』すること、それしかないんです。
具体的に言えば、その虐待された子どもはいつ、どこで、どうやって生まれて、どう育ってきてなぜ死んだのか。どんな脳の形をしているのか。
またその親も、どう育ってきて何を思って子を産んだのか。親子の知能指数や能力、収入、家庭環境、認知機能から臓器に至るまで全て。
生育歴という経験だけでなく、脳や身体という物質から取れるデータも全て残すんです。
「それになんの意味があるの??」と思われるかもしれません。
なぜこれをするかって、人権課題を科学的(統計的)に解決したいんです。もっと具体的に言えば、いじめとか虐待っていう”結果”はなぜ生まれるのか、その”原因”を突き止めたいからです。
原因が分かりさえすれば人間は、その問題を解決する方法を考えたり、どうすれば効率的に要因を排除できるかを議論できるから……( ´•̥ω•̥`)
ちなみに世界中の不幸を消す方法は『反出生主義』の人たちが教えてくれています。「誰も生まれなければ、不幸のない世界がやってくる」と。
でもそんなことをしてたら、今を楽しんで生きている『人生 = 幸福(快楽) > 不幸(苦痛)』*という人の存在もなくなっちゃう。
ていうか全人類が↑そうなれば良いだけの話なんですよね(´^ω^`)
だからぼくは『人生 = 苦痛 > 快楽』という不等式になってしまっている人の苦痛について「もしかしてその”原因”ってこれじゃね(´・ω・`)?」という仮説を立ててちゃんと検証までしたいと考えています。
そういった仮説検証を繰り返すことで、なぜ人権課題という不必要な苦痛が生まれるのか、その”原因”が分かるかもしれない。
そしてもしも問題を引き起こす”原因”を、現在で消し去ることが出来れば未来でその”結果”も起きない。つまり問題自体が発生しなくなるということです(`・ω・´)
そういうわけで人権課題を統計学的に解決したいと考えています。その統計を取るためにまずはデータ収集のための『記録』が必要なんです。
「ほーん。で、その統計学って本当に信用できるん?」
という人のために統計学の強さが分かりやすい例として、『医療統計学の母』と呼ばれたイギリス人看護師フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の功績を紹介します。
彼女は1854年に開戦したクリミア戦争に従軍し、野戦病院の衛生環境を改善するよう訴え改革していきます。その結果、1855年2月時点では野戦病院に運ばれた処置患者数に対する死亡率が46.7%に達していた所を、同年6月には2.2%にまで減少させたヤベー人です。
ここから学べることは、問題解決のために必要なのは『仮説を立ててデータを取り、原因を突き止めること』つまり統計学っつー便利なものを使えばいいよってことです。
だって我々には、ナイチンゲールが見つけるまでは戦場の傷という思い込みで亡くなってきた兵士達と同じ状況にいる人がいると分かっています。
それが『人権課題に関係するのは恐らく社会のせい。もしくは不運だった』という思い込みです。
また今の社会では苦痛を受けた人、もしくは知的ハンディを持って生まれてきて、いわゆる『普通にすらなれない人達』を支援・保護することはあっても、そもそも苦痛が生まれてこないよう改善する行動というのは、誰もしていないんです。
もっと言うと支援される人というのは、”助けを求めることができた人”だけです。
親や本人が『普通にすらなれない』ということに気付いて、然るべき機関に助けを求めない限り、支援は一切されません( ´•̥ω•̥`)
そんな不運な人達を記録して、人権課題の原因を突き止める必要があると考えます。そうすることで幸せになるチャンスすら与えられなかった人たちを、未来では減らせるかもしれない。
それにもし別の原因があったとしても、また違う仮説を立てて検証することできっと、この悲しみの連鎖は最終的にゼロにだって出来る。いや、しなくちゃいけないんだ( ˘•ω•˘ )
だってそうすることで、人権課題の”原因”を突き止める手がかりになった人たちには、誰もが無視できないほどの価値が生まれるから。
現代ってのは、そうまでしてやっと彼らの生を、人が生まれてきたことの肯定が出来るんです(´;ω;`)
そしてぼくが考える仮説は、「人権課題に関係する人間は、生育環境や遺伝、または脳(形質・機能)に類似がある」というものです。
この仮説の根拠を分かりやすく言いますと、『人間はスピリチュアルなんかで出来ていない』ということです。
だって今のところ人間ってのは物質のみで出来ていると分かっています。愛とか善悪、魂なんてのはぼくらの身体の中にはなかったよ……(´・ω・`)
つまるところ人間を構成している要素を調べていけば、人間ってどうしてそう考えるのか、なんでそういう行動をするのかって分かるんじゃね? という観点から出た仮説です。
内容を簡単に説明すると、人権課題とか犯罪に関係する人って親族にトラウマを与えるような経験をさせる人がいたり、身体・知的障害、境界知能、認知機能の問題、発達障害、コミュニケーションがうまくいかない方の割合が多いのではないかと考えています。
ただこれの検証についてはぼく一人程度の権力や財力と、今の世の中の価値観ではできないんです。
だからこの文章を書いてみんなに助けてもらおうと考えているのですが……とりあえずそういう仮説があるからこそ『記録』が必要だと至った、と言うところで今はとどめます。世知辛いね(´;ω;`)
ちなみにぼくの言った『不運なために幸福になるチャンスがない人』というのは、人口に対して最低でも約14%いると推定できています。わかりやすく言うと日本人の7人に1人の割合です。
なぜかっていうとそれだけの割合で”境界知能”という人達がいるからです。その数字の根拠と、『記録』の具体的な方法は、第三部でまた解説します(´,,・ω・,,`)
4.『記録』することの問題点
人を記録するという事には様々な問題もあります。それらを書き出してみました。
認知機能の問題
コストの問題(成果が出るまでにラグがある)
倫理の問題
プライバシーの問題
名誉棄損と取られる可能性について
これらのタブーと思われがちな問題について一緒に考えていくことで、記録することの必要性と理解が深まれば嬉しいです(´,,・ω・,,`)
1.認知機能の問題٩( ˘•ω•˘ )و
並べた順から難易度が高く、これが最難関の問題だと思います。なぜかって人の認知機能には個人差と限界があるからです。
この認知機能とは、物事や文章を正しく見たり聞いたり、理解したり、共感する力のことです。この認知機能が弱いとトラブルが起きてしまう原因になります。
これらについては認知機能の弱さからトラブルに発展したと考えられます。
要点を言いますと、人を『記録』するにあたって真に問題なのは、本人が正しく認知できていない事柄について語られてしまった場合は有用なデータにならないということです。
例:「差別された」と主張している人を調べると、認知機能の問題で正しく事実を認識できていなかったり、不快だと思った相手にいやがらせをするために被害者を装っていた等。
2.コストの問題(成果が出るまでにラグがある)٩( ˘•ω•˘ )و
『記録』することにお金や時間をかけたとしても、すぐに成果は出ないんです……。
なぜならデータを取ったことで人権課題の原因が分かったとしても、改善をするのは人間だからです。
分かりやすく言えば「いじめはよくないことだ」という認識は誰もが持っているはずなのに、今もいじめは起きているしニュースにならない犯罪だって毎日起こっています。
そもそも人権課題に関わる人は、人に苦痛を与えていることや自分が苦痛を受けていることの自覚がない可能性があるんです。゚(゚´ω`゚)゜。
これも知的ハンディキャップや認知機能の問題があるからです。
また、苦痛を受けている人を『記録』してもその人が救われることはありません。
人が心に受けた苦痛は、時間が経っても決して癒えることはないからです。
忘れようとすることで身体や精神に異変として表れるか、向き合ってコントロールするか、防衛機制により何とか心を守るか。つまり苦痛が消えることはありません。
むしろこのような実態があるからこそ、出来るだけ早く原因を見つけ出して、問題の根本を消し去りたいと考えています。
3.倫理の問題٩( ˘•ω•˘ )و
倫理的な問題というと「なんとなくダメなこと」や「人間らしい方法じゃないもの」と思われがちな言葉です。しかしここでは誤解を恐れずに言います。
倫理的な問題とは、『自分が不快だと思ってしまう受け入れがたい感情』のことです。
ただ、データを取る目的は統計的に分析するためですので、人の経験や命を最終的には数字として扱います。
それは人によっては「いのちを何だと思ってるー(˘•̥ω•̥˘)!」と感情的になってしまうかもしれません。『記録』というのは人間らしい方法ではないかもしれません。
データとして統計に組み込んでしまえば、たった一つの命でも解釈によっては0か1でしか数えられないのですから。
4.プライバシーの問題٩( ˘•ω•˘ )و
人に知られたくないトラウマや不都合なものなど、私生活の全てを言葉にするのは相当な覚悟がいります。
それだけではなく今まで忘れていた辛い過去を思い出す必要もあり、時間だけではなく心身にも負担がかかるものです(´;ω;`)
昔の経験した嫌なことを思い出して一日憂鬱な気分になったりしますよね……。
5.名誉棄損と取られる可能性について٩( ˘•ω•˘ )و
では以上の問題をクリアして、データ収集に協力してくれた人が現れましたとしましょう。
ただその人がもし、障がい者を差別をするような人だったら。そしてその人が検査の結果、自分も障害者だったと分かったら。その人はどう考えるでしょうか。
「ああ、自分はそうだったのか」
こんな風に納得してくれるかもしれません。でも差別をするくらいに思い込みが激しい方であれば、いつまでも納得しない気がしませんか;(´◦ω◦`):
下手をすれば、なぜこんな検査を受けさせたのかと逆上させてしまう可能性もあります。
5.そうだとしても、やるべきだ
というわけで、『記録』をするに当たって以上の1〜5のような問題点が考えられます。
でも、だからってやらないほうが良いのでしょうか。
人権課題に関係する人や苦痛を受けている人のはっきりとした人数はまだ分かってないけれど、間違いなく少数派だからあまり気にしたりしない方が良いのでしょうか。
ただ、やっぱり不運の元に生まれた彼らの人生に「生まれた意味はあった」と全肯定できる方法が『記録』することなんです。なら、それをすべきだと思います。
それにこの考え方は現代と未来だけじゃなくて、過去に生きてきた人さえ肯定できる。
地球誕生からいままで”人類”という種を繋いできてくれた人たちのおかげで、やっとそういうことを考えられるまで豊かになった。人の心に余裕ができたんだと。
そうして会ったこともない500万年前から存在してきた人と、そしてこれから生まれてくる全ての人類に、「生まれてきてくれてありがとう」と言ってやれるのは、この方法を知っているぼくらだけなんです。
つまりぼくら人間が生きる理由、そして産まれてきた意味はきっと
────────人を幸せにするためなんだ…………。
『人は人を幸福にするために生まれてきた』
人生ってのはそうでなくちゃ! と言いたいのです(´^ω^`)
6.なぜそうまでして人に生まれた意味が必要なのか
なぜそうまでして人に生まれた意味が必要なのか。……人に生まれた意味が必要なのか? それは……なぜ…………?
「人生に意味なんてないからとにかく楽しめば良くね?」という人もいます。
「考えても答えなんて出ないし、とりあえず自分が生きる意味は自分で決めるよ」という人はめちゃくちゃ多いと思います。
そういう風に考えらる強い意思がある人はそれで良いんです。むしろその強さには尊敬する( ˘•ω•˘ )
ではなぜ自分はこんなにも人に生まれた意味を与えたいのか。
それは人類に恋をしていて、好きだからかもしれません。
じゃあなんで人類に恋をしたのか。なぜ自分は”人生の意義”として、『人は人を幸福にするために生まれてきた』なんて結論を出したのか。
そんなの……………………。
そんなの…………自分が苦しかったからに決まってます……(´;ω;`)
自分にも生きる意味が欲しいからなんです。
端的に言うとぼくには悩みもないのに、ずーっと希死念慮が消えません。なんか突然ふとしたときに消えたいと思っちゃう。
(´・ω・`)
(´・ω:;.:...
(´:;....::;.:. :::;.. .....
それがすっげぇイヤだから、もう幸福になるチャンスがない自分ではなく”人”に、━━━━未来に希望を見出してるんです(´^ω^`)
正直に言えば「自分が受けた苦痛は、せめて他の誰かに味あわせたくないなぁ」っていう自己満足なんです。
言い換えればぼくは、いじめや虐待、ハラスメント、発達障害という生きづらさを感じて生きてきたからこそ『人は人を幸福にするために生まれてきた』という”人生の意義”を持ちたいだけなんすよ。
ぼくの味わった苦しみがせめて、未来に生まれる誰かのためになってほしい。役に立つ何か意味があったって証明したい。せっかくならそれを有効活用して、みんなには幸せになってほしいっていう押し付けです。
だからこそ、『人は人を幸福にするために生まれてきた』という言葉における”人”というのは、自分の事だけじゃなくてあなたもですし、過去や未来の全ての人間が含まれているのです(`・ω・´)!
ためしに”人”の所に【自分】や【他者】、またはその両方を代入してみてください。
そう考えるとなんかかっこいいでしょ(´,,・ω・,,`)?♡
また「幸福は定義が出来ない」と言ったのにその言葉を使うのにも理由があります。それは、生きる意味はうつろで良い、流動性を持たせていいって伝えたかったんです。
つまり自分や誰かを幸せにしているのであれば、具体的な目標はいつでも自由に変えても良いということ。
今日は「お腹を空かせてから美味しいスープカレーを食べた!」という自分の幸せ。
明日は「美味しかったスープカレーを誰かに教えてあげる!」という他者の幸せ。
こんな感じで”生きる意味”ってのはいつでも、どんなにも変わったっていいと思うんです(´^ω^`)
だってぼくは、あなたにも幸せになってくれないとイヤなんですから( ‘ᾥ’ )
以上で第一部を終えます! ここまでの話を見て「いうて人の全部を『記録』するのって、時間的にもお金的にも流石にムリだよなぁ……」という人も大丈夫! 第三部ではその『記録』について具体的な方法と、”個人でも出来る記録”についてお伝えします。
補足~いままでの”人生の意義”についての問題点~
第一部で”人生の意義”について話をしましたが、ここではいままでの人生の意義についておさらいをしてから、その問題点を指摘したいと思います。
ちなみに人生の意義っていう人の根源に関わる哲学的な話ってのは紀元前から誰でも考えてきたものなんです。
それに関してぼくの好きな逸話、奴隷の哲学者エピクテトスさんを紹介します。
まさかの皇帝が奴隷から”人生の意義”を教わるってことが現実であったんです。マジで中世ファンタジーみたいですよね。熱すぎる。
ということで哲学、とりわけ”人生の意義”というのは本当に誰もが考え、身分だって関係なく学ぶものだということが分かるエピソードでした。
ちなみに現代でも宗教や哲学、医療科学、精神医学、心理学なんかの色々な視点から何通りもの『こう生きるべき』という答えが出てたり、今でも議論されています。
ウィキペディアを見ると天才の発想がぎゅぎゅっと要約されてて読みやすいので、時間がある時に読んでみるとめっちゃ面白いですよ(´^ω^`)
そうして世界中の頭の良い人達が「生きる意味とは〇〇だ」とした知識の集積は、民衆を納得させ共感を得ることで一つの”答え”となり、本や演劇、映像のテーマとなって人々から愛され続けています。
そういった価値観に触れたとき、自身の悩みや将来に対するただぼんやりとした不安から救われた人は大勢いますし、これから先もきっと多くの人を絶望から救うでしょう。
しかしそれらの”答え”について、ある単純な問題が無視されているとぼくは考えます。
それは『自分を肯定できる者にしか自分を肯定することができない』ということです。
「ふん? どういうこと?」となると思いますので、次に記載する従来の”人生の意義”についてのすんごい意訳したイメージを見てください。
今までの人生の意義はこんな感じでみんなを元気付けたり、こう生きればいいんだという方向性をくれるものだと思ってください(´,,・ω・,,`)
ただこの話の中に一人、救われていない人がいますよね(´・ ω ・`)
ここで思い出して欲しいのは、世界中にいる人権課題に巻き込まれ『不運にも幸福になるチャンスがない人達』のことです。
つまりこのイメージ話から何が言いたいのかって、今まではそういった確実に存在するけど少数である、不運な人にまで適用できるような人生に対する”答え”はなかったということです。
またそれと同時に分かったことは、ぼくらの世界には自分を肯定する方法はあっても、他者を肯定する方法はどこにもなかったということです……(´;ω;`)
「別に他人なんてどうでもいいし、そんな答えのないこと考えたって仕方ない。生きる理由なんて人それぞれだろ」という人もいます。
本編でも言いましたが、こういった無関心でいるようで他者の意見を聞き入れない姿勢の人それぞれ論者でいることが一番楽です。
でもぼくは、理由も分からず調べもしないまま『運が悪い』というだけで苦しむ人や、次世代を生きる人たちに向かってそんな態度でいたくない。「仕事とか人間関係とか人それぞれだし、人生はみんなそれぞれ辛かったんだよ。でも次は君らの番だから、がんばって^^」という『無関心のバトン』を渡したくはないなぁと思うんです。
だからこそ不運なんかで終わらせないで、何も分からないということを認めて、知りたいと思うんです。
でもってそれはやっぱり自分のためでした。不運ってだけで普通よりもキツめの人生を送る『弱者のための人生の意義』が欲しかったからです。
『記録』するというのはそのための手段だったんです(´^ω^`)
補足の補足~あなたの苦痛が誰かの幸福になるってマジ!?~
なおぼくは自分や弱者だけではなく、これを読んでくれているあなたが生きる上で感じた理不尽な苦痛だって無駄にはしたくないと思っています。
人は誰しも多かれ少なかれ苦痛を受けて生きていますが、それらに意味がなかったとは言いたくないんです。
ここからはあなたの苦痛にどれだけの意味と価値があったかという話をします。まずはイメージしやすいように「科学技術がすっごい発展した未来都市にタイムワープした」という設定で読み進めてみてください( ‘ᾥ’ )
つまりこれを読んでいるあなたの、人生で感じて得た全ての経験が記録されたものを他の誰かが追体験できるのだとして考えてみてください。
伝えたかったのはここからです。もしもあなたの一生を、ぼくや他の人が追体験してみたとしましょう(´,,・ω・,,`)そのとき、ぼくらはあなたと同じ考え方をする人間になれるのでしょうか?
【結論】ぼくらは決して君にはなれない。これは100%絶対です(´^ω^`)
なぜならあなたが歩んできた人生の苦悩を、ぼくや他の人が体験したとき、あなたのように正しい心を持てないかもしれない。人の事を考える余裕がないかもしれない。心を閉じて人を憎んだり、自分を傷つけてしまうようになっていたかもしれない。もしかすると、きみの人生に現れた”敵”をどうしても許せなくて、殺してしまっていたかもしれない。
……それらの苦難に途中で挫折してもう嫌になって、自殺していたかもしれない。
何が言いたいかって、あなたの人生における苦難というものは、あなただから乗り越えられたということです。
もっとはっきり言うと、君以外の人間に君と同じ人生を歩むのは絶対にむり。どこかでイヤになって妥協したり違う判断をして、最終的に君じゃない人間になってる。だから我々は決して君にはなれないんです。
この『絶対』という確率を超えた先には、一つだけ証明できることがあります( ˘•ω•˘ )
それは、誰が何と言おうと、君はきみ自身の人生を”がんばってきた”ということ。
これは周りと比べて努力してないとか、自分の上位互換がいるとかの、人の能力や生産性にしか価値を見出せないが故のちゃちな価値観(思い込み)の話じゃないんです。
”いま生きているあなた”という一つの個がこの世界に存在するのは、あなたが今まで自分の人生をがんばってきたことの証明に他ならないんですよ。
なんでかって、さっき言ったように他の誰だろうが、君の人生を体験したとしても絶対に君にはなれないからだよっ(´^ω^`)
それに、「誰かの苦痛のためにできる事をしませんか?」という趣旨のこの文章を読むほど、普通は人に優しくなんてならない。誰もがそうはなれないんだ。
…………けど、そうは言ってもどうしても、うまく出来ない自分を責めてしまう人もいます。ただそういう人がもし近くにいた時ぼくは、ぼくらは、さっきの証明からこう言ってやることが出来るんです。
もう自分を許してあげようよ。
だって、こんなにがんばってるんだから( ´•̥ω•̥`)
これぼくが生きるのきつかった時に言われたらすぐ信者になってたと思います笑
「〇〇様のためならわたくしの命など……っ!」とか言っちゃうタイプのやつ(´・,,ω,,・`)
話を戻して、自分の人生を”がんばってきた”という証明からは、また一つの仮説が出せます。むしろこっちの方が本題かもしれません笑
それは、あなたが生きてきた中で受けた苦痛ってのは、他の誰かが体験したときにがんばれないかもしれないということです。
そのキツさに耐えられなくて、あなたとは全然違う、間違った方法で解決してしまうかもしれない。……そのことで、ひどく悲しい結果が生まれるかもしれない。
そんな可能性を未来に残さないようにいま行動できるのは、先にその苦痛を経験してきたあなただけなんです。
だからこそあなたの苦痛は誰かの幸福になるんだってぼくは伝えたい。
そしてあまりに当たり前すぎて誰も意識してないけどぼくらは、そういった人生の苦難に逃げて耐えて抗った事で生き延びた自分自身に、めっっっちゃ期待しているんです。
なぜかと言うと、理由もなく生きる人なんていないし、ましてやこの歴史上最も豊かで安全な時代です。そんな時代に生まれながら、この先の人生に苦労しかないと分かっていたら、生きる必要も意味もない。それを君は知っているはず。
それでも生きているってことは、自由に行動できる『人生』という時間の中で、何が起こるのか、自分はどんなことが出来るのかを、君は期待しているんだ。
君はきみ自身の人生に期待しているんです。……だからいつも明るく楽しんで生きようと思えるんですよ。
ただ一つだけ、ぼくらは自覚しなくてはいけないことがあります。
「仕事とか人間関係とか人それぞれだし、人生ってよく分からないけどみんな辛かったんだよ。でも次は君らの番だから、がんばって^^」
この『無関心のバトン』は、いまを生きているぼくら全員のてのひらにあるんです。それを前の世代から受け継がれてきた今までのように、次世代に繋ぐのか、いまここで歴史を変えるのか。
あなたはそれを選ぶことができます。
ぼくはもう捨てました(´,,・ω・,,`)
きみはどうしたいと思う(´^ω^`)?
おわり
ってわけで長くなってしまいましたが、補足での話をまとめます!
今までに打ち出されてきた”人生の意義”ってのは、それぞれの時代のいわゆる『普通の人』という共通認識の内に収まる人間にしか適用できないというものでした。
そういう訳でぼくのような普通にすらなれない人。言い換えれば弱者には関係のない話で、そういう人間を論理的に肯定できる考え方って、マジで今までなかったんです。
だからこそ人の生育歴や脳などのいま分かることを『記録』をして、人が生きる上では不必要な苦痛の”原因”を突き止めたい。そうしてただ原因不明の『不運』ってだけで『普通にすらなれない人達』を減らしていこうよ。
その手がかりにぼくらを使ってほしい。だってそれが生きた証になるから。
それに、いまちょうど騒がれてる人権課題の根本でもあるから、それも解決できそうだし、ついでにしましょうよー!って話でした。
以上で本当に第一部を終わります。
読んでくださってありがとうございました! 第二部でまたお会いしましょう!