関西人の8割はびっくりすると椅子から転げ落ちる(吉本新喜劇についての所感)
昨日は朝一番に犬がわたしを書斎につれていってくれた。そんなファンタジックなことあるかい!と思われるかもしれないが、本当にあった。朝、目が覚めて部屋を出ると、廊下でひなたぼっこしている犬がいた。パタパタパタとしっぽを振って「なでて」とおねだりする犬の、その腹を右手で撫でると、犬は満足気にわたしの左手をなめた。しばらくすると体を起こし、「ねえあけて」と廊下の突き当りの(と書くとやたら広い家のように思うがその実、犬のひなたぼっこスペースからは50センチぐらいしか離れてない)書斎のドアをかいた。わたしは応じてドアを開ける。すると犬は、いつのまにか犬専用になったオットマンにひょいと乗って、「ぼくはここでねるのでおねえちゃんはがんばってかくんだよ」と言いたげにわたしをみつめながらワン!とひとつ吠え、オットマンの表面をガリガリガリと掻いたあと寝始めた。犬はささいなことでもすぐ起きる。起きると「かまえ!」とさわがしい。だからわたしは静かにモノを書くほかない。この可愛い監視人のおかげで、わたしは昨日なんと八時間も机に向かうことができた。これは快挙である!東京で一人で暮らしていた頃の執筆ペースがやっと戻ってきた。いや、関西で執筆をする準備が、ようやく整ったのかもしれない。
このことから分かるように、わたしはすっかり関西の地になじんでしまった。職場もあるし、学校も行ってるし、あたらしい友達もできた。当分ここで生きていこうと思っている。一年前の自分からしたらびっくりしすぎて椅子から転げ落ちるぐらいの変貌だ。
びっくりしすぎて椅子から転げ落ちる、この比喩も非常に関西的だ。正確に言うと、これは比喩ではない。吉本新喜劇、わたしと同世代なら毎週土曜日12時から放送されていたテレビ番組「横町へよ~こちょ」などの新喜劇放送番組を見て、彼らのおりなす架空のナニワの世界観を空気のように吸って育った関西の人間は、びっくりすると本当に椅子から転げ落ちる。びっくり=椅子から転げ落ちる、という身体イメージが脳みそのインプットされているのだ。そういう人間がひとつのコミュニティに60人いたとしたら、仮にテレビを見ていなくてもその60人に影響されて、あとの20人もびっくりすると椅子から転げ落ちるようになる。こうして関西人の8割がびっくりすると椅子から転げ落ちる体質になってしまうのだった。知らんけど。(これをつけとけばどんな冗談も許される、と、関西人は思っている)
吉本新喜劇について語っていたら思いのほか字数がかさんでしまった。ともあれそんな感じで(どんな感じ?)わたしは元気です。今日は朝起きてから犬が書斎につれていってくれなかったので、午前中は荒れ放題の家を片付けるなどしていました。やらなきゃやらなきゃで先延ばしにしていたルームフレグランスの詰め替えもできた。手にその匂いがつくのが嫌で、瓶の中の香水がすっかり揮発してほとんど空になっているのを半目で見ないようにして1か月ほど過ごしてしまった。そのあいだに我が家に5本ほどあるルームフレグランスちゃんたちは、ルームフレグランスちゃんではなくなぜか玄関や机の上においてある空き瓶になってしまっていた。彼らはようやく本来の仕事を取り戻せて、なんだか嬉しそうである。いやこれはわたしが自分の本来の仕事のペースを取り戻せて嬉しく思ってるから、勝手に物言わぬフレグランスたちを擬人化してるにすぎないんだが。ともあれ、今の私はハッピーです。
ということで今日はここらへんで終わる。とりとめのないことしか書いてないのに1600字近くも書いていた。びっくりである。椅子から転げ落ちた。(冗談です)
この後、本日3回目の洗濯物を干して、夕方まで執筆して、あいまあいまに犬と散歩に行ったりしながら今日を過ごしたいと思う。それじゃあまたね。君にとっても良い日でありますように。
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