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貧困者は救えないのか

貧困の救済

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我々は貧困を克服する方法をほとんど知らない
現代の貧困について、どのように考えているだろうか
・金銭面での貧困は
・学力的な貧困や
・コミュニケーション能力の貧困
・経験格差の貧困

いずれにしろ、我々の多くは貧困にあえいでいる
経済格差によって、様々な経験機会が享受されない事態が生じている。
進学を諦めざるを得ない、職種が限られるなど枚挙にいとまがない。

残念なことに経済格差は、世代に引き継がれる性質がある
収入が低い世帯の子供は、同じように貧困になるケースが多い

裕福な家庭は、多くの場合、子供に適切な教育を受けさせる。
適切な教育というのは、
質の高い教育、すなわち個人の個性にあったカリキュラムを施す。
自ら課題を見つけ出し、それに対する解答を模索する、いわゆるリベラル・アーツだ。
同じように裕福な家庭出身の子どもたちと幼少期を過ごし、
海外旅行、留学といった異文化交流などの代えがたい経験をする。

もちろん裕福な家庭とて、はじめから裕福ではないし、
積み重ねの結果、そうなっているにすぎない。

ここで恐ろしいのは、裕福な家庭は更に裕福になるという事実だ。
彼らは生活の向上に余念がないし、今の立場をより良くするためにはどうするかと常日頃から考えている。
長者番付を見れば明らかなように、自社株を大量に保有している個人が一国の国家予算程ほどの資産を保有してしまうようなケースが存在する

そして悲しいことに、裕福なものほど、基本的に富み続けるのである。
現状を良くしようとすればするほど、
彼らはシナジー効果とスケールアップの法則によって正のフィードバックを味方につける。

彼らの指数関数的な驚異の成長スピードは
やがて有限なリソースを食いつぶすだろう。
そこに貧困層である我々の入る隙間はない。

なぜこのようなことが事態になってしまったのか。

貧困であるものが貧困を自覚していないか、
真剣に取り合っていないからである。

貧困に向き合うということ

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あなたは自分が貧困であることを考えたことがあるだろうか。

貧困というと金銭面のことしか浮かばないかもしれない。
ではもっとレベルを落として、あなたが不満に思っていることはなんだろう。

給料が低いこと
異性に相手にされない
話し相手がいない
自分の能力や容姿に自身がない
仕事がない
社会的に自立していない

何でもよい、多くあればあるほど貧困指数は高いだろう
貧困と言っても、幸福と同じように捉えがたい概念であるから
このように感覚的な快楽説に落とし込んで定量的に判断するしかない。

これを政治学的な議論に持っていきたいわけではない。
このような社会的指標を羅列したところであまり相手にされないだろう。
政治家は基本的に貧困と関わりがない人生を送っているので、
彼らの貧困に対する優先順位は低いからだ。

それに金銭面の貧困以外、経済的指標ではなく社会的指標でしか訴えることができないので、なおのこと対応は後手後手になる。

もっと貧困という現実に向き合う必要がある。
わたしは自分が貧困だと自覚した時に、感じたのはただ悔しさだ。

・仕事の内容に応じた給与であると感じない
・友人が少ない
・ろくに話し相手がいない
・性的欲求を十分満たせない
・自由に自身表現できる場が少ない
・センセーショナルな経験が少ない

これらの思い当たることに対しては責任転嫁も、反省も必要ない。
現実に貧困であると感じていることが問題である。
なぜ貧困を感じているのかと考えれば、あらゆるもの不足しているからだ。

教育、経験、金銭

ところで、企業の時価総額なんてのはいい考えだ。
時価総額と同じ調子で、人間の時価総額も評価されてしまうと良い。
そうすれば、問題意識を認識できるだろうに。

上記は冗談だが、
もし、「彼は2.89億円の時価総額だけど、君はせいぜい30万円かな」などと言われたら、
まるで自分の価値が他の人よりも低いように思えてしまうだろう。

福澤先生の言った言葉は、「人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」であるが、形骸化してしまったように思う。
残念ながら人の価値というのは、金銭を指標にした場合算出できてしまう。
貧困と判断された時、1ミリも悔しさを感じない人はいないだろう。

悔しさを感じるからといって、現状を変える力が湧いてくるわけではない
せいぜい地道に、社会的価値を増やすように努力するしかないだろう
恥も晒すだろうし、劣等感から逃げてしまいたくなるかもしれない。

では貧困である我々は、萎縮するしかないのか?
自分自身が貧困であるからと言って、何もかも諦めるしかないのか?
自分の将来、多様な選択肢、言論の自由、生活の向上、社会的地位
すべてが理想の中にしかないのだろうか。

断じていうが、そんな事があるわけではない。

特殊相対性理論

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アインシュタインは素晴らしい発見をした。
特殊相対性理論と呼ばれる E = mc^2 という式である。
驚くべきことに質量とはエネルギーと同一視することができるというのだ。

この度、長者番付でダントツトップに躍り出たのは
テスラの創業者イーロン・マスクだ。
総資産がトヨタの時価総額を超えたとされる、イーロン・マスクが持っている資産、つまるところ会社や自宅の豪邸や、紙幣など、あるいはイーロン・マスク自身でさえも、この法則によるとエネルギーに還元される。
宇宙規模で考えれば、ほんのちっぽけな存在となる。

太陽のような主系列は、中心核で水素の核融合反応を起こし、
Heで満たされれば、やがてHeが核融合反応を起こして、CやOができる。

更に核融合反応が進むことで、太陽ほどの大きさだった星は、
やがて地球ほどの大きさの超高密度な白色矮星となる。
白色矮性は、質量に応じて多様な超新星爆発を引き起こし、
CやOあるいは重金属を宇宙空間に放出する。

つまり我々が生きるこの星は、
そんな超新星爆発の塵が集まってできたものと言える。
誰も彼も塵から生まれたという点で、優劣はなく、どれもただの質量であり、いずれはまた、土に帰る存在だ。さらにいえば、数十億年後に太陽に飲み込まれて何もなくなってしまうだろう。

この遠大な事実を前にすれば、どこに萎縮する理由があるのか。
本来何事も、臆することはない。
ただ自分が悔しさを感じている事実だけあれば良い。

あとは、彼らの領域に近づくための「何か」を行えばよい。
私のような貧困者が何を言っても説得力はないから、
「何か」が何であるかは検証しながら見つけてゆくしかない。

まとめ

誰がこのような稚拙な文章に賛同してくれるかわからないが、
同じように悔しさを抱えた人は多いと思う。

まずはその事実を正しく認識すること。
悔しさを自分のせいにするにせよ、
政治のせいにするにせよ、
また、政治家が経済格差を何とかしてくれると期待するも勝手だが、
それでは何もかわらないので、あまりおすすめしない。

政治家が貧困の辛さを知っているとは思えないので、
貧困者は自分自身で自覚して、克服するしかない。

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