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本当の幸せってなんだろうな
低劣な欲望
人間は、幸せになりたい生き物だ。
あなたもきっとそうだと言ってくれるだろう、と勝手に思っている。
動物とは違って、ひねくれ者の我々人類は、
道徳心や社会的責任から自分を律し、
欲望や、悪意を制御しようとする。
タバコや酒を控える
路上でレ○プをしない
といったように。
自分がどうあるべきか、どうありたいかという問を前にすると
このような道徳心や社会的責任が顔を出す。
どうやら「自己陶冶」の意識が働いているようだ。
本来、人間を物理的に制限するものはなにもない。
興味の尽きぬ限り、研究に趣味に没頭するもよし、
時間の許す限り、惰眠を貪るもよし
物欲を満たすために、浪費するもよし
動物のように。
自己陶冶は、これらの「低劣な欲望」をコントロール下に置く概念だ。
定義するのは非常に難しく、自己実現と言えば簡単だが、
それ以上に自分を鍛錬し、低劣な欲望を制御下に置くことを趣旨とする
すなわち、欲望よりも上位の満足感を得るという幸福論である
しかしその内実は、
取るに足らない存在から、そのの身に余るような大望を実現すること
ではないだろうか
スイーツを山のように食べたいとか
好きなだけ寝ていたい、セックスしたい
といった、低劣な欲望は、大望に該当しない
大望の実現は多くの場合、困難が伴う
私が総理大臣になりたいといえば、
誰もが悪い冗談のように感じるかもしれない。
しかし、私は誰よりも真摯に総理大臣という夢を実現したいと願っている。
もしそうだった場合、
私は総理大臣になるためのあらゆる手段を尽くすだろう。
近道と思ったときには、
裏技やオカルト的な手法にまで手を付けるかもしれない。
あわよくばトンネル効果のように、
乗り越えることが困難なエネルギー量を魔法のように軽減して
都合の良い展開が訪れてはくれまいかと思い、
最終的に、運にまでその身を任せるだろう。
自己陶冶の果てに
あらゆる手を尽くした彼は、
耐え難き艱難辛苦の果に、やがて総理大臣になるかもしれない。
が、多くの人の場合、大望は大望のまま終わってしまう
我々の社会では多くの場合、身に余る理想の実現はできないのが実情。
つまるところ議論したいのは、叶うかもわからない理想を求めて、
多くの場合叶わないから、何のために何をしているのかもわからない、
傍目から見れば地を這うような、不毛にも見える努力をする人種である
彼らの生態は謎に包まれている。
なんせ彼らは自己陶冶の鍛錬中でも社会に紛れて、
あたかも平然と淡々と大多数を演じていて
やけを起こすことも正気を失うこともなく、
そこに存在することができている
何者なんだろう彼らは、
自己陶冶による理想はどうしてしまったんだ
どうしてそんなに平然としていられるんだ
いや、知っているさ。
何が正解なのかもわからない中で自己陶冶ゲームを繰り広げる中で
自分の矛盾点を認識しながら、それを正当化する
彼らは何食わぬ顔で、その不文律を犯すんだ
俺たちに足りないもの、低劣な欲望だ
身を委ねてしまうことは、ある意味で死を意味するかもしれない。
しかし一方でこの殺伐とした試練と鍛錬に、
春の微風のような心地よさを運んできてくれるはずだ
そして真摯な彼らはそれをあたかも、
唯一解のように手を伸ばすのだ
なぜなら真摯に取り組み先に残った手段はこれだけなのだ
欲望を満たすという手段しか残されていなかった
大望を抱く彼
国家資格をとって、今の会社をやめて、
もっと働きがいがあって給与の良い会社に就職するんだ!
そしてアメリカ留学して、美人な外国人を嫁に迎える!
そんな大望を抱いたとする
その実現のためには、
泥水を啜ってでも上に行こうとする向上心やしぶとさが必要だし、
円滑なコミュニケーション能力も必要だ。
不信感を抱かせないようなリーダーシップに、
不穏な空気をいち早く断ち切る危機察知能力だって必要だ。
必要なものが多すぎる
そのくせ俺に足りないものが多すぎる
なんということだ、
俺はまだ先へ進むのにふさわしい自分になれていないじゃないか
色々手は尽くしたがどうしたら良い、、
そうだ!低劣な欲望を身を晒してみよう!
なにか、神がかり的な奇跡が起きるかもしれない
神がかり的な奇跡を求めた時の心境は藁にもすがる思いだっただろうか
そのすがった先に彼は、予想もしなかったような神を見るのかもしれない
こんなに素晴らしい世界があったのか!
何という素晴らしいめぐり合わせか!
こんなことを言うのである。
下手をすれば、大望がかなったかのような喜びを味わうかもしれない
驚きと発見の喜びが彼を満たし、
苦痛と疲労を忘れさせてくれるかもしれない。
奇しくも欲を満たすというのはそういうことであった。
かつて抱いた大望はここで鎮火する
その火が再燃するまでは、彼の中で封印されるだろう。
彼の大望実現における落とし穴は、
彼が低劣な欲望を自己実現の手段としたことである。
しかしながら、あえて避けては通れないものではなかったか。
彼の並々ならぬ信念は遠からず、
低劣な欲望という未知のツールに手を伸ばしたことだろう。
すなわち彼にとって、
低劣な欲望というものはなくてはならないものであったと言える。
低劣な欲望が、彼の自己実現に何をもたらすかという議論はここではしない
しかしながら、真摯な取り組みの末にたどり着いたという点から、
欲望に身を委ねた結果がどうであれ、
彼が望んだ結果という結論になる。
彼らは自己陶冶と欲望が満たされた世界で満足し、
マジョリティを形成していく
これが世界が、自己陶冶の末、発狂した人間で満たされない理由である。
まとめ
自己陶冶のようなエリート的な思想が、
最終的には低劣な欲望と地続きであることを議論してみた
具体性のない話で、たたきとしても不十分な点は多いだろう
ミルの自己陶冶の議論からアプローチしてみた
倫理学は研究しがいのある分野だなと思う