見出し画像

月曜日のヒステリー、辛いけど生きてる

 今日も疲れた。ブルーになりたくない人は引き返すことをおすすめするよ。


 最近は、殻にこもりがちで、家から出ない。周りの生き生きとした情報にふれるとアレルギー反応を起こす。コミュニケーションがしたい。会話の練習をしたい。でも期待に答えられないのが辛い。僕はコミュ障なんだと伝えたい。伝えた上で話しかけないでほしいのではないことまで理解してもらいたい。

もう28にもなってこんなことを書いているのが辛い。僕がこんなだから僕は不幸なのだと考えると、なんだか今まさに大きな不幸を呼び込んでいるようで悲しい。

 人に話しかけられると、あるいは話しかけられそうなとき、逃走心が刺激される。もはや反射的に、一刻も早くこの場から離れてしまいたい、会話を切り上げてしまいたいと思う病気なんだ。この年になってこんな事を言いたくないけれど、うまくやれる自信がない。自信が無いと何にもなれない。いいかい、トランプタワーってあるだろう。あれを3段積見上げたことがある人にとっては、このあと3段組むのなんてなんてことがないんだ。でも一回試してみて失敗した人はどうだ?そいつは一生失敗し続ける。一生3段組めないどころか、失敗の記憶を思い出すのが嫌で、トランプを見ることすら嫌になってしまうだろう。周りからもそれがわかってしまうんだ。あいつはトランプタワーを組めない人間なんだって。周りの人はそんなに気にしていないだって?そんなのは僕にとってなんの慰めにもならない。僕はコミュ障だけど、そのせいで周りから歯牙にもかけられないほうが怖いんだ。それでも僕は人生で、トランプタワーから逃げ続ける人生なんて嫌だ。

 仙人のようになりたいわけでは決して無い。あらゆるヒステリーを思う存分かましてやりたい。近世から近代は家父長制だったから、閉鎖的な家庭に押さえつけられた女性がそういう精神を病むようなことがあった。今の時代の人もそれに近いものを感じているのではないだろうか。例えばスターバックスで急に叫びだしたらそれはヒステリーだと思うだろう。もし見かけたらそれはヒステリーだと思うけれど、あいにく僕はスターバックスでヒステリーを起こした人を見たことがない。しかしそんなのは当然だ。昔とは違って、ヒステリーを起こしたら僕らは社会的に死んでしまうのだから。SNSが僕らのヒステリーを押さえつけている。あるいは箍が外れるようなような瞬間、エネルギーが滞りなく溢れ出すであろうその瞬間に、僕らはふと我に返り見えない壁によって阻まれ、絶頂にいたることなくゆるやかに鎮火してしまう。プレートテクトニクスはプレート運動の枠組みであるわけだが、冷えたマントルでは地殻変動が起こらず、故にプレートが沈み込まず、そもそもプレートテクトニクスという概念すら存在しなくなるという。僕はこのまま冷えて固まってしまうのかもしれない。

 ところで元気になるお薬ってどんなんだろう。いい意味でなく沼にハマっているようなとき、ふとそんなことを思う。孤独に生きている僕が、一体どうしたら自力で安定的に元気になるのかとホンキで考えたら、裕福になるしか無い。でもそのための正しい努力をしようとするとノイローゼになって、そういう刹那的なトリップする系の娯楽を考えてしまう。
 一方で僕にとって怖いのは虚無だ。昔から、事あるごとにやってきて僕の構成する世界をズタズタに引き裂いていく。友人関係だったり大学受験だったり、仕事だったりそういうものはもはや修復不可能だ。そいつが現れるのは決まって楽しかったと思えるような出来事の後で、油断した瞬間にやって、そんなのはお前じゃないと言わんばかりに、一歩前の自分の姿をもって精神を病ませるのだ。結局、虚無は自分の姿だと認識せざるを得なくて、僕は緩やかにそれに向かっていく。虚無は自分自身だからこそどうしても付き合いも長くなって、どうにかしようにもどうにもならないのかもしれない。どうにもならないのならば、もう辛いのも寂しいのも勘弁してほしい。そうさ、何もかも仕方ないと言ってもっと慰めあって生きていこうよ、なんて。さて、これからどうやって生きていこうかしら。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集