ソーレ-太陽– 原題:”Sole"(2019)
本年度のイタリア映画際は例年通りのゴールデンウィークから少しずれましたが5月開催、残念ながらオンライン開催となりました。昨年の年末に実施された同映画祭よりも新作が多く、また新進気鋭とされる監督作品が多く出品されました。
当たり前ですが映画を各国へ配給するにはそれだけの準備が要ります。中でも翻訳という作業は、映画の解釈をできるだけ正しく伝えるために、もしくはその地域により適応したものにするために、大変重要なステップです。温めてきた作品が満を辞してでてきたという感じでしょうか。
さて、映画祭に出品されてもその後2度と日本ではお目にかかれない作品などもあります。これを期にみなさんにみてほしいと、ここにおすすめの映画を記録します。
『ソーレ ー太陽ー』という2019年Carlo Sironi監督の作品を今回は紹介したいと思います。今回の映画祭の作品は著名監督が少ない分、有名俳優が出演している映画が多く、40−50年代のイタリア映画業界のようですが、この映画は俳優の知名度も低く、わりと地味な部類の映画かと思われます。Sironi監督初長編作ではありますが、無駄なものを削ぎ落としたミニマルで洗練された作品。社会問題を扱いながらもどこかお伽話のようです。
テーマは監督曰く「親子のこと、親になることとは」。その題材として子供の人身売買、養子縁組制度のことが用いられています。
舞台としては海辺の街。(ローマ弁のようにも聞こえるがどこだろう)エルマンノという無職の青年。たまにちょっとしたバイクの盗難をして、収入があるとギャンブルをする生活をして暮らしている。ただ惰性で生きているような、なんで生きているのか思いつめることもあきらめているような青年。
その青年の目の前に妊娠7ヶ月のポーランド人の若い女性が現れる。彼女は自分のお腹の子を売るためにポーランドから入国してきた。そしてその子を、不妊症で悩むエルマンノの叔父夫婦が買うという裏取引がなされる。
代理母はイタリアでは禁止されているため、こうした違法の商取引が存在するよう。かつ養子縁組にもなかなか難しい状況があるようで、全くの他人の子を引き取るというのはハードルがまだ高いようである。そこでエルマンノがそのお腹の子の父であると偽装し、生まれて無事に叔父夫婦に引き渡せるまで子の母親のガードマンのような役割を担うことになった。(ポーランドの女の子は10,000EUR 、エルマンノはバイト代として4,000EUR叔父より受け取ることで承諾)
このポーランドの女の子はどういう経緯で身篭ったのか、どんな業者に斡旋されたのかなどは本作で触れられていない。とくに娼婦のような仕事をしていたわけでもなさそう。ただまっすぐにドイツに住むことを夢見て、そのためのお金を手に入れる手段としてお腹の子を売ることに決めている。この子の倫理観を疑うものの、本作ではなんとなくこの子を責めるような気持ちにはなれない。無口ではあるが、ずっと怒ったような顔をしている娘。まるで無言で社会全体を責め立てるような。
エルマンノもまた、非常に無口で何を考えているかわからないような青年。しかしもうなんだか投げやりになっているようなときは、実は自分が一番ダメージを受けているような、そんな本来は真面目な青年だと思う。彼は若い時に父が自殺している。僕は飛び降りたりしないよ、という。
とにかく静かな映画。とくに2人は表情がほとんどない。出産場面とか劇的になりがちなシーン等は削ぎ落とされていて、すべての人の感情が何かに押さえつけられているよう。みんな感情をこらえているのが当たり前になってそのままそれが自分の感情と信じ込んでしまっている。この作品は重い社会問題を題材としつつも、社会問題に対して警告をしているような映画ではない。
ずっと暗い海の底で暮らすのが当たり前になってしまった2人だが、エルマンノが勇気を振り絞って口に出した提案によって、その世界に一筋の光が差す。
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