「ミレニアル世代と銀座」 銀座花伝MAGAZINE vol.24
#ミレニアル世代と銀座 #手仕事とレトロ #山東京伝というアイコン
ここは、散歩の街。ビルの雑木林の中、青空の高みを目指して伸び上がる樹々。通りごとに個性あふれる街路樹が季節の色を先取りしています。福沢諭吉が日本初の社交倶楽部・交詢社を創立したことに由来して、通り名を交詢社通りと名付けられた道の街路樹は、紅葉が美しい唐楓(トウカエデ)で、秋になるといの一番に銀座の街に彩りを添えます。
季節はいつもと同じように巡っても、人々の心は簡単には元には戻れない、そう呟く老舗珈琲店の店主。宣言解除後、週末は一気に人々の流れは加速したかのように見えましたが、歩行者天国で散策する姿はどこか様子見的なそぞろ歩きです。伸びやかな散歩のできる時を待つ時間が続きます。
銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に人々の力によって生き続けている「美のかけら」を発見していきます。
Ⅰ ミレニアル世代と銀座
銀座という街は、熟年の人々の街である。20歳代から30歳前半の若者に銀座についてその印象を聞いてみると「自分たちには関係のない街」という答えが返ってくる。それはつまり、自分たちが欲しいものがない、ことを意味する。そういう若者の代表がミレニアル世代である。1981年以降に生まれ、2000年以降に成人を迎えた世代のことで、インターネットが当たり前の時代に育った世代(デジタルネイティブ)。学生時代からスマートフォンを使いこなし、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNS利用にも積極的(というより不可欠)で、2014年の世界経済フォーラムでも大きく取り上げられ、現代の消費行動やライフスタイル、価値観が他の世代とは大きく異なる点で注目されている。年代で線引きをしてみると次のようになる。
ミレニアル世代の特徴を簡単にいうと次のようなことだ。
上記の特徴について別の表現をすると次のようになる。
世界中でミレニアル世代の行動調査が盛んに行われているが、その中の一つCone Communications社が行った調査によると、ミレニアル世代のうち10人に9人が、より社会課題の解決に取り組んでいるブランドから商品を購入することを望み、6割以上が、社会的責任を重視する企業で働けるのであれば報酬がカットされてもかまわないと考えていることがわかった。そして、ボランティアに参加している世代は、この世代が最も構成率として高いことが分かっている。
もちろんこれは国や人種、受けた教育によっても異なりすべてを「ミレニアル世代」の傾向と片付けることは危険だ。
だが、一つ言えることは、今後、ミレニアル世代が徐々に消費世代の中心になり購買力を高めていくと、社会的責任を十分に果たせていない企業は淘汰される可能性もあるということだ。それは企業に限らず街にも言えることだろう。
彼らは、「銀座は自分たちには関係ない街」だという。
それは彼らの価値観からずれていて共感ができないから疎遠だ、ということなのだ。企業や街が社会的責任を果たしているかどうかは、彼らが使いこなすSNSの生の声によって、より透明に実態を知ることができるようになったため、「社会貢献度」の判断を実にシビアに把握してその企業を応援するかどうかを自身で決めているのだ。
果たして、銀座には本当に彼らにとって応援に値するものはないのだろうか。
そんな実態を知る中で、ミレニアル世代に銀座1丁目に「生き残っている手仕事」について話をする機会を得た。まず、その時に語った話をご紹介しよう。
レトロが生きている街
銀座一丁目には、不思議な力が宿っている。幸稲荷(さいわいいなり)といって、京都伏見稲荷大社から勧請したといわれる江戸時代から続く銀座1丁目の護り神がある。古くは目抜き通りに鎮座し、定説では当時太刀の市がたったことから太刀売稲荷と呼ばれていたこともあったという。一方で、稲荷の守り人によると、江戸時代にはこの辺りは反物(たんもの/着物の生地)を扱う商人たちが多く、幸稲荷は「染物の神様」が祀られて鎮座しているのだ、という別の謂れも語られる。
◇手仕事の音が聞こえる
21世紀の現在の街の様子を見ると、この辺りには「手仕事」にゆかりのある店が多いことから、「染物」の神様の謂れの方がしっくりくる気がする。稲荷から程近い並木通りには、世界中のボタンを集めた博物館の様なボタン専門老舗「ミタケボタン」がある。銀座の老舗仕立て屋の店主たちが客の好みのボタンを求めて足繁く通う姿を見る。上質な生地で体にあった仕立てをして、良いものを長く使う文化は、綻びを直し、ボタンなどの小物でイメージチェンジを図りながら「新しくしながら長く着る」ことを信条とし、しかも楽しむ。
「ミタケボタン」店は、1964年創業のボタン専門店で、イタリアやイギリスなどの優れたボタン文化を持つ国からセレクトするとともに、オリジナルのボタンの企画・製造も手がける。創業時からのストックが豊富でヴィンテージ・ボタンが手に入るという強みも持つ。最近では新しいファッションの提案にボタンで差別化するブランドも増え、東京コレクションなどでも人気が高い。ミレニアル世代は自ら低コストでモノ作りをすることが多いが、例えば500円ほどの木綿キナリ袋を使って、ポップなデザインのボタンを付けたりしたエコバックは実にオリジナリティーに富んでいる。あるいは手持ちの古くなった白いシャツに英国ユニオンジャックのヴィンテージボタンなどを色とりどりにつけて、全く感覚の異なる白シャツに作り直したりして楽しんでいる。その姿には、生きるセンスともいうべきオシャレ感の豊かさを感じてならない。
◇話しかけたくなる
手刷りの印刷屋や昭和民家が今も残る路地には、丁寧な仕事で有名な100年の歴史を持つ歯医者まである。住人が殆どいないこの街でどんな街の変化を眺めてきたのだろうと、話しかけてみたくなる。
またこの路地には、「青汁スタンド」という小さいけれど有名な店がある。1962年(昭和37年)から営んでいる青汁専門店で、店内でその日に製造した絞りたての青汁を飲むことができる。レトロで重厚なドアが閉まっていると少々入るのに気後れするが、いざ入ってみると気さくな女性スタッフが家庭的な雰囲気で手際良く青汁をカウンター越しに出してくれる。 近くで働くOLや会社員が仕事の合間や帰りに通う立ち飲みスタイル。一杯350円(小コップ)の憩いの時間にはファンが多い。
◇運河の中のレトロな輝き
この辺りが昔「川」だったことが語られる建物がある。今から90年くらい前に高級デザイナーアパートとして建てられた一階にモダンな大きな円窓がある「奥野ビル」だ。その当時の住人によると、銀座の周りは運河だったから例えば日本橋から船でこの住まいにたどり着いたのだと語る。ビルの深緑のタイル壁を辿りながら中に入ると、鮮やかな黄色に塗られたジャバラ開閉式のエレベーターが待っていてくれる。建物の中を二重に走る階段は丸みを帯びたデザインが黒光りしていてとても美しい。建物全体に昭和のレトロな輝きが宿っている。
ここには手仕事を愛するクリエーターたちが集まってきていて、アトリエ兼ギャラリー兼ショップになっている。例えば1階の円窓は、世界中のアンティーク雑貨が集まる店、その右には蔦が絡まるレトロな手作り靴屋、1000種類もの世界中の万年筆の品揃えが見事なヴィンテージ万年筆屋、珍しい手作りメガネを扱う店、花屋など、どれも手仕事の職人たちのカッコいい仕事ぶりを発見させてくれる。 手仕事の象徴といえば、かつての美容室もここで営業していて、須田芳子さんという女主人が手一つで切り盛りしていた仕事の名残が、赤い床、白い壁紙や鏡、椅子や電灯の傘にまで残されていて、昭和の懐かしさにちょっとキュンとする。その部屋番号に因んで名付けた「306号プロジェクト」が、100歳まで現役だった「スダ美容室」の昭和の暮らし、仕事などの空気感をそのまま維持し今に伝えている。
◇楽器のように手入れされた、美しい建物
逸話が残っている建物がある。
「バイオリンやチェロという弦楽器は、長い間弾かれることがなければ『鳴らなくなる』。建物もそれと同じで、建物が本来持つ良さを残そうとすること、そして現代の基準に即して快適な空間にすること、有効な資産としての活用法を模索し続けることで、本当の意味でその建物は生き残ることができる」
銀座1丁目にある白亜のヨネイビルディングは、良さを生かしつつ手直ししながら今に生き残る建物の代表である。1930年(昭和5年)に機械・資材の輸出入の銀座・商社米井商店の本社ビルとして建てられた。このビルが金解禁政策の失敗と世界恐慌の影響による未曾有の大不況下に誕生したのは皮肉なことだった。もちろん、不況に抗って建設されたわけではなく、それ以前よりの構想が予定通り形を与えられたに過ぎないのだが、リストラや操業短縮の動きが経済界に広がりつつある中で、ある意味では贅沢とも映る建物が批判の矢面に立たされるという不幸な側面があった。もし、着工が1年遅れていたら、建設計画自体が大きな見直しを迫られていたと言われている。
しかし、そんな逆風をかいくぐって、地上6階・地下1階の壮麗・瀟洒な建物は生を授けられた。鉄骨鉄筋コンクリート造。デザインは中世ロマネスク風で、直線を強調した帯状の装飾で輪郭を際だたせ、大小のアーチ窓が軽快なリズムを生み出す。重厚な石貼の1階外壁部分に配されたアーチ窓には特徴的な螺旋模様が施され、2階以上の外壁はテラコッタ・タイルで隙間なく覆われていた。また、かつては屋上階にランプ様の装飾もあったそうだ。
上層階は本社のOAビル部分として、流麗な応接室も当時の雰囲気そのままに残る。下階は、1996年ごろまでキリンビールが経営するレストラン『ストラスアイラ』として時限的に展開したことがあり、当時は銀座でも目立ったおしゃれスポットとして人気があった。その後神戸に本拠地を置く洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」と相談しながら改装を繰り返し、現在も手入れされた美しい表情を柳通りに向けて放っている。
筆者にとって、銀座の街にはいくつもの宝物のようなカフェが存在するが、ここ銀座メゾンは三本の指に入る。「スイーツ・バー」の趣のあふれるカウンターは重厚な大理石でスタイリッシュ、そこに座るとスイーツマイスターの肩越しにモダンで華麗な窓枠に縁取られたガラス窓が見える。ガラス窓の先に目に映るのは揺れる柳だ。ゆらり、ゆらり、建物が醸し出す空気感そのままの時間の流れを約束してくれる。まるでお酒に酔うように時間に酔うことができる唯一無二の場所なのだ。
◇誰かと共有したくなる世界観
銀座大通りの銀座1丁目で、江戸時代に煙草入れを商う山東京伝(さんとうきょうでん)という人物がいた。もともと幼少期から絵が上手かった京伝は、最初に浮世絵で名をなした。早熟で粋で洒脱、色男だった彼は、幼少より遊里に出入りして艶っぽい小説を次々に発表し大ヒット、江戸の人気者になるが時の権力者・松平定信に睨まれ、手鎖50日の処分を食らうことになる。たまたま手にした資金を元手に、その後銀座1丁目に紙製煙草入れと煙管を売る店を開業した。ここから彼の商才が爆発的な冴えを見せ始める。煙草入れの包装紙を開くと、そこには自らの手によるイラストが描かれ、商品の成り立ちを物語にして自分で捻り出したキャッチコピーまで付けられていた。更に、中から芝愛宕神社のおみくじが出てくるという仕掛けを凝らしたのだ。縁日を見込んで売り出した煙草入れはバカ売れし大成功する。
その時の繁盛ぶりを親友の喜多川歌麿が浮世絵にしている。
◇山東京伝というアイコン
山東京伝のこの成功は、広告宣伝なるものの威力を見せつける嚆矢となった。銀座がその後、新聞社、広告、出版社が進出し、情報発信やマーケティングの重要な地位を保ち続けている理由はここにある。今日においても、TVのインタビュー取材などの多くが銀座中央通りで行われるのもこの端緒と決して無縁ではない。
現在も、京伝の店跡には、煙草入れや煙管を扱う店がある。明治元年創業という「佐々木商店」。京伝の名残を感じさせるこの老舗の「つやふきん」は植物油で木を磨き上げるエコ感たっぷりの逸品だ。不思議なことにこの老舗は伊勢ビル1階に構える。江戸時代山東京伝の父は「伊勢屋」という質屋を営んでいたことから、佐々木商店の御店主にその系譜を問うたが、山東京伝との繋がりは知らない、ということだった。
山東京伝の名は教科書にも載っているが、 銀座商人についてのプロフィールを知る人は少ない。多才な京伝はいくつもの肩書を持っていたが、中でも浮世絵師としての画力は大変なものだった。
京伝の才能の特筆すべき点は、商才と併せて優れたキャッチコピーを次々と捻り出していく言葉力だった。
【キャッチコピーの神様】
この他にも、黄表紙などの戯作作家、手ぬぐいの発明や歌舞伎衣装のデザイン、連歌師等々、持ち前のユーモアセンスと美意識で江戸文化の立役者となっていった。その才能たるや枚挙にいとまがない。
●さらに京伝について関心のある方は↓
Facebook 「江戸銀座のマルチ・メディア・クリエーター 山東京伝」
https://www.facebook.com/SantouKyouden/?ref=page_internal
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この話をし終えた時、若者の一人からこんな感想をもらった。「江戸、明治、大正、昭和という歴史を活字としてしか知らない私たちはイメージが乏しく、これらを大きく括る『レトロ』としか捉えられないのが現実。モダンを生きている自分たちにとって、レトロは対極なのにとても惹かれる。自分たちデジタル・ネイティブ世代は実はアナログに憧れを持つ。手仕事とか、きっと身近な親たちが潜ってきた時代の香りを感じるからだと思う。振り幅の大きい物語が銀座の街にあることを知って、とても親近感を覚えた。」
その後、最近になって関心を持った人たちが「銀座1丁目を深掘りするHPを作って情報交換を始めた」というニュースを聞いた。銀座に眠る宝の山に少しだけでもフックを感じてくれたことにちょっとワクワクを感じている。
Ⅱ 銀座情報
◆エルメス・ジャポン Le Forum
エルメス財団が運営するアートギャラリー。アーティストと共に創造する空間「フォーラム」では、世界で活躍するアーティストの作品を間近で体験する事ができます。(入場無料)
●現在開催の展覧会
エルメス劇場 ーエルメスのウインドウー
エルメスのウィンドウ・ディスプレイは街に開かれた「エルメス劇場」とも言える精巧な作りで、いつも楽しさを共有できます。年間テーマである「Human Odyssey」に基づいてアーティストやデザイナーが自由な表現を繰り広げています。
◆能のこころ❶ GINZA de petit 能
—能納めに90分能の挑戦—
「コンパクトに能を楽しんでほしい」そんな願いから企画された「GINZA
de petit 能」。Petitとはフランス語で「小さい」を意味しますが、実は《愛される》と云う意味もあります。今回座長を勤めるのは、観世流 能楽師 林宗一郎師です。天武天皇の幼少期の奇跡を描いたおめでたい演能「国栖」でシテを、「二人静」では観世御宗家との共演を勤められます。
能と仕舞を90分に収めての平日の夜公演。仕事帰りにも気軽に能を体験してもらうための新たな能の形として今注目を集めています。
能の「美しい言葉」と無駄を削ぎ落とした「所作・舞」によって繰り広げられる「幽玄」の世界。室町時代、観阿弥世阿弥らにより大成された能は、その世界観と装束・能面に見られる芸術性、人間の内面に深く踏み込む文学性から、歴史的にもこれまで日本文化の多くの芸術の起源とされてきました。
一年の穢れをデトックスして新しい時代に向かう今だからこそ、浴びたい日本文化のシャワーです。1年の納めを「感性を磨く」能鑑賞でお過ごしになるのはいかがでしょうか。
【GINZA de petit能】
【あらすじ】後の天武天皇の幼少期の話。大友皇子に追われ吉野に来た天皇。吉野の老夫婦が国栖(鮎)を天皇に供し、老人がお下がりの鮎を川に戻すと鮎が生き返ります。追ってを気迫で追い返す老夫婦。
天女と蔵王権現の祝福が白頭の舞として披露されます。未来の平安を願い祝ったおめでたい演目です。
【チケット申し込み】KANZE.NET
◆能のこころ❷ 1日限りの特別公演
ファッションデザイナー with 3大能楽師共演 観世清和×野村萬斎×坂口貴信
「花の会」特別公演(能楽伝承プロジェクト)
と き:2021年12月26日(日)13時30分開演(12時50分開場)
チケット申し込み KANZE.NET
Ⅲ 編集後記(editor profile)
2年経ってもまだ感染力が衰えない、今回の新型コロナウイルスがもたらす緊張の日々。孤立感が深まるその中で、自らの仕事や生き方について深く思索した方も多かったことでしょう。
筆者自身がこの時間の中で、思い至ったこと。それは、世の中には本物と偽物があるという事実。うっすら分かっていた事が、研ぎ澄まされた時間によっていよいよ確かなこととして炙り出された感があります。
中国の哲学者・王陽明(おうようめい)が「伝習録」(でんしゅうろく)の中で、「世の中の学を講ずる者には二つある」と人間には2つのタイプがあることを挙げています。
他から聞いた話を受け売りする者が「口耳を以てする者」であり、実践を通して体得したものを説く人が「心身を以てする者」であると述べています。
「大切なことを伝える」には、人間力が不可欠であることを私たちは知っていますが、実践しているかどうか「心身を以てする」がその人が本物かどうかを見極める指標であると気付かされます。
言葉の表層をいくら語っても本質は伝わらない、その人が自分の人生を通じて実践したことが全てなのだ、今回若い世代との対話を通じて改めて発見したことでした。
本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子