山岸凉子『妖精王』
こんにちは、吟遊詩人のみゅうです。
来月、ケルトの英雄クー・フーリンのライブをします。そこで「私のクー・フーリンの原風景に会いに行こう」と思い立って、山岸凉子先生の『妖精王』を再読しました。
かつて、もういつに読んだか思い出せないくらい昔に『妖精王』を読みました。
覚えていることといえば、クーフーリンとクイーン・マブがなんか寝てたな(誤解ですが!伝説というものは、こんなうろ覚えによって、どんどんあらぬ方向に変化していくのでしょうね……)ということをぼんやり覚えているくらい。
再読せねば、内容すらおぼつかぬ!!
というわけで読みました。
そして感想を書きました。1が長いので、2だけでもどうぞ。
1.私の男女への考え方の基礎になってるかもしれない……
……空恐ろしさを感じましたね。
私の人生が山岸先生の影響を受けすぎている!!!
幼い私に強烈な印象を残したのだから当然なのですが、それにしても影響受けすぎだろ私……。
まずは、熱過ぎる友情……つまり激重感情が大好きになり。いいですよね。クーフーリンですよ。あの頼りになってかつ美々しいクーフーリンが絶対の味方なんですよ、最高じゃないですか。
一方、男女の恋愛には激重感情がない……いや支配的な感情の激重はあっても、信頼して命を預ける系の激重がない……種類が違う。ヤダーーーーーーーッ!!つまんないーーーーー!!
友情もBLも好きだけど、男女の恋愛ものはほとんどがつまらないんですよね。だって女性が弱いので。信頼で背中預ける系じゃないじゃん。弱いから「あ、あかん、そっと扱わんと。こいつ死ぬわ」でしょ。それ……イイ、か??
神話がいいのは、ちゃんと女神が強強パワーを発揮してくれるからですよ。強強同士なら男女でも楽しい。
なんで一般的な男女の世界はこんなつまらない感じになっちまってるんだ、女性もムッキムキに強くあってくれ……そもそも人体における女体形成の脆弱さが間違えてるし、教育のあり方も間違えてる……
……と、ややこしい方向に性癖が進みました!!
女性が弱いのは良くない、と思いますね。具体的にいうと「意図的に女性が弱くなるように仕向けてる世界は良くない」です。
女性の身体が脆弱なら、そのリカバリーができる知力は磨きに磨いた方がいいのに、女子に教育を受けさせようとしないのはどういうアホなの??力は強く高くがいいだろうが!!人類を発展させる気概ゼロか!!と思いますね。思いません??
ちょっとアツくなり過ぎました。クールダウンクールダウン……ヨシ。
そういえば、伝承の方のクー・フーリンは激重感情を兄弟子フェルディアに無理に押し付けてる節があります。
でもフェルディアの方の感情はそんなに重くない。ちょっとクー・フーリンが可哀想なんですが。
とはいえ、フェルディア、兄弟子なのにクー・フーリンよりちょっと武力的に弱いので複雑な気持ちがあるのだろうな。そして複雑でやってられんので、都合の悪いこと全部忘れるついでにクー・フーリンへの気持ちも軽くなってるんじゃないかと……
まあ、伝承のクー・フーリンについては、ここで語るより2月12日のライブで語ることにしましょう!!
話を戻しまして、『妖精王』のクーフーリン、美しいですね。彼は中世の騎士や古代ギリシャのような恰好をしているのですが、世界観がケルトも中世も古代ギリシャも日本も幻想世界ならなんでも巻き込んだようなものなので、しっくりきているのがいいですね。
山岸先生といえば『日出処の天子』の厩戸皇子が有名ですが、クー・フーリン、髪型や顔の傾向は似てるものの戦士なので、やっぱり逞しさがあって違うのがいいですね(それでも細身に描かれているとは思いますが)。
それにしてもこの幻想世界が国境線なく全部混ざり合ってるの、いいですね。
もし自分でファンタジーを書くことがあればこれくらい自由な方が楽かもしれないなあ……
そうそう、クー・フーリン、グィン、クイーン・マブの三人が、ランスロット、アーサー王、グウィネヴィアの三人にたとえられているのにギョッとしました。
私、こんなところでアーサー王に会ってたのか……
クー・フーリンもアーサー王も好きなの、このあたり、から、なのか……??
おそろしや。
さて、一般的にはランスロットはアーサー王を裏切っていて可哀想と思われがちです。
が、中世のアーサー王文学を読んでいると「外野はそういうけど、アーサー王は暗にランスロットがグウィネヴィアを通じてるのを許してるのではないか?」という感じ。
ランスロットが大事なのでグウィネヴィアを与えてる、的な。
女性に対して人格を愛するような感覚をアーサー王からあんまり感じないんですよね。女というものについて一個の人間として見てる気がしない。
ランスロットはまるごとグウィネヴィアのすべてを愛していると思いますが……アーサー王は王であることの方を重要にしていて、グウィネヴィアよりもはるかにランスロットの方を愛しているのではないかと。
アーサー王にとっては、恋愛が軽くて友情の方が重いのだろうな、と。
三国志でも、自分の子供を重要視せず、部下の趙雲の方を大事にする発言を劉備玄徳がしています。
軍人としては、戦に勝てる戦力となる人との絆の方が重いのは仕方ないことなのかもしれないな、と思いますね。戦で勝たないとそもそもすべてを失うわけですから。
ともあれ、男女がまともにパートナーシップを築けるようになるのは、双方が仕事の上で対等でないと無理なんじゃないかな……
そんなことを読んでいて思いました。マブの叫びを聞いていると、そういう軽視される女性の恨みつらみの集合体が叫んでいる気がします。
モルガンの叫びであり、グウィネヴィアの叫びであり、数多くの名もなき女性たちの叫び。
2.キャラクターについて
爵(ジャック)
森鷗外のお孫さんにもいらっしゃいましたよね爵と書いてジャックさん……。昔のオシャンティー命名だったのかもしれない。
まあ不思議な世界にいくといえば、ジャックと豆の木のジャックもいることだし、そこらへんなのでしょうか、どうなのでしょうか。
ジャックについては可もなく不可もなくというところですね。見た目はちょっといいけど、まだ、少年だな……という感じ。なんでも受け入れる水みたいな感じで個性を感じないのですよね。クーフーリン的にはそんなジャックが好きなのでしょうけども!!
クーフーリン
妖精王グィンの一の従者。仲良すぎて、イヒカにすごく羨ましがられてる……イヒカさん的には理想の友情を目の前で見せられて、心が落ち着かないことこの上なかったんだろうなぁ……。お姉ちゃんあんな感じで微妙だしなぁ。でもお姉ちゃん見捨てなかったイヒカさん、情に厚い人なんだな、と思います。
クーフーリンの長くてサラン……とした髪、美しいですね。もうね、髪、伸ばそうと思いましたね。やっぱりロングヘア―はいい!!ただし艶やかであってこそなので、なにかに集中すると日常生活のすべてを捨てる私にロングヘア―が務まるのかは心配……極力頑張ります。
今回は山岸凉子スペシャルセレクションで読んだのですが、1巻の表紙のクーフーリンもいいですが、5頁のワルキューレ?のようなクーフーリンがめちゃくちゃいいですね。クーフーリンみたいなワルキューレがいたら戦士になって召されたい。
190ページの、ビアズリーの絵みたいな構図のクーフーリンもいいなあ。
クーフーリンの美々しさってクイーン・マブと同系統なので、グィンさん、美々しいのはクーフーリンだけでお腹一杯だったんじゃないかなあ……うーん、後そもそも性格が全然合わなかったんだろうね。
クイーン・マブみたいなタイプの女性が好きな男性って、もっと悪どさも持ち合わせてる男性でしょ。無菌培養みたいなグィンには荷が重いよ。
話を戻して、クーフーリンですよ。こんな従者ほしすぎる。こういう忠義一徹な人いいですよね。
私、ガウェインも好きなんですけど、もうね、トップに尽くしつくすNo.2はいいですね。土方歳三とか鬼灯の冷徹の鬼灯とかもそんな感じでしょうか。鬼灯さん閻魔大王張り飛ばしてますが、絶対トップになる気がないあたり自分の役割をしっかりわかってるのがね、いいんですよね。
伝承のクーフーリンも、英雄の一番ではあっても王様ではないのがいいんですよね。王様を裏切らない。そういう鉄壁の安心感。まあ、伝承のクーフーリンはそういう鉄壁の忠誠を見せていなかったら、その圧倒的な強さから味方にすらものすごい迫害されたかもしれません。クーフーリンはその忠誠を見せることで、わが身を守ってるのでしょう。強者への恐怖に対する人々の迫害もまた、恐ろしいものがありますからね……
妖精王の方のクーフーリンも、彼の忠誠があったからこそ、うまくいっているので。忠誠って大事ですね。
三国志の曹操も賢い人については疑ってかかる方だったけど、忠義一徹な武人は物凄く大事にしてましたからね。裏切られるのは命取りになるからそれも当然。忠誠、大事。
忠誠に似た信頼というものも現代でも物凄く大事ですかね。たとえばChatGPTめちゃくちゃシレッと嘘つくので……あれは困る……正直で信頼性の高い情報はいつの時代も大切。
クイーン・マブ
髪の毛を冠におさめてるより、解いて流してる方がはるかに美しいですね、マブ様……。
私がルシフェでも一夜お願いするわ。
とにかく美しいですねえ……いい……
性格的にはアレですが、こう、政略による結婚制度による悲劇な感じですね。
結婚は好きな人同士でしないとこういう悲劇が無限に起きるから、現代は極力恋愛結婚なのでしょうね。
結婚なんかしなくても、誇りに傷がつかない価値体系だったらマブさんが傷つくこともなかったんだろうなあ……
影の側に生まれついた不幸を何よりも自分でわかってたからこそ、それをなんとかしようと頑張ってたマブさん、私は嫌いになれないですね。
ルシフェも同じ穴の狢。でも並び立てないから蹴落とされたのでしょう。憐れなルシフェ……
そいそう、マブは古代アイルランドの女王メーヴと同一視されることがある妖精女王なわけですが。
なのてま『妖精王』では昭和日本版のメーヴを見ている心地がします。
令和日本版のメーヴはどうなるでしょうか。来月やってみたいと思います。
ルシフェ
高慢ちきで、でも綺麗な善なるものになりたがってて、美しくなりたがってて、変身までしてでも美しくなろうとしていて、ここまでくるといっそいじらしく思えてしまう……。
美しくなりたいよね……わかるよ……。
最後、ルシフェが投げてくれたヒントのおかげで勝利できたのでルシフェくん大活躍だと思うんだけど、特段報われることがないのが悲しい……。
華やかで画面を楽しくしてくれたキャラクター。好きです。
メリジェーヌ
こちらもルシフェと同じくなんとも悲しい……。
引き際を知っていて、引いてくれるのがなおのことかなしく、いとおしいですね……
本当にね、間違えてはいるけど、でもそういうことはあるよね、というのはね、あるよね。
メリジェーヌの犯してる間違いは二つあって、一つは美醜で物事を決める強者の論理の方。醜いというだけで間違いとされてしまうんですよね。これは情状酌量の余地はある。ひどい存在の否定だもの。
でも弱者の論理の「双方の合意のないのはアウト」というのにも引っかかるんだよね……これがアウトだと庇いようがないし、加害者であるとしかいえない(とはいえ強者は力で双方の合意がなくてもゴリ押ししちゃうんだけどね……なんということだ)
山岸先生はこういう微妙な境界線上の罪の描き方、超一流。
そして『妖精王』の本編以外に、本には短編が収録されているのですが、3巻の最後の「ある夜に」が怖いですね。
最後まで成仏できない子、自分が被害者と信じて疑わず、人から施されていることもいっぱいあることにかたくなに気づこうとしない……
そういう心でしか生きられなかったことは本当に可哀想なんだけど、そこに対して手心なんて加えてもらえない。容赦ない裁きがやってくる。
恐ろしい短編でした。
確かに「被害被害私は可哀想私は可哀想私は可哀想ねしか言わなくなったら、もう恨みの煮凝りの呪物ですからね。
本来は自分の為にすっきり生きるのが正しい生命のあり方(正しいって誰が決めたんでしょうね)。
………それはわかる、わかるけど、そういう「私は可哀想」と思いこんで呪いの塊になる人間を創り出すのって……クーフーリンとジャックの友情のようなキラキラ美しいものだったりする!!!!!!!!
呪物の発生源は光。
……人間界難しい。
呪物には、ならないように気をつけなければならない。
でもそれを作っている引き金になるものこそ、本当は呪いなのでは?
人間自体が、呪いなのでは?
美しいは醜い
醜いは美しい
綺麗は汚い
汚いは綺麗
世界はそうできているのかもしれないですね……
それでも自分にとって自分が「良い」と思うものを、ひたすら追いかけ走り続けるのが人間というもののサガです。
私もサガに忠実に生きることにしましょう。
というわけで、『妖精王』の感想でした。
お読みくださりありがとうございました。
伝承の方のクーフーリンにご興味あります方は、来月は愛知でのライブにお越しくださいませ。1月22日現在、ご予約受付中です!!
2024年2月12日(月祝)
13:30〜16:00
『クー・フーリンとフェルディア』
語りと竪琴 吟遊詩人妙遊
スイーツ 中世ルネサンスブックカフェテューア
公演+スペシャルスイーツ+ワンドリンク
お一人様 3,500円
ご予約はメールにて。
ginyushijin@ymail.ne.jp
件名 2/12フェルディア予約
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