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知識の条件とは?:ひとつの論点

知識は、どのような条件のもとで成立するのでしょうか。これまでの投稿をもとに、少し考えてみたいと思います。先の投稿では、知識を次のように扱いました。

  • 知識とは、現実を、可能性上に、特定するものである。

すでにみたように、ここでの可能性は、必ずしも現実にもとづく必要はなく、例えば数学は、現実にもとづく必要のない可能性上に、現実を特定することで、数学的知識を構成しています。

この定義において、「可能性上における特定」は、知識の必要条件にあたります。知識であれば、その知識は、可能性上において、現実を特定していなければならないからです。ただ、「可能性上における特定」は、知識の十分条件にはあたりません。その点をみてみたいと思います。それはつまり、

ⅰ.知識であるならば ⇒ 可能性上において特定している

は成り立つが、その逆の、

ⅱ.可能性上において特定しているならば ⇒ 知識である

は成り立たない、という意味です。具体例をみてみましょう。「知子(ともこ)さんは恵(めぐみ)さんのお隣に住んでいる」という可能性上の特定は、それ自体では知識を帰結しません。というのも、「お隣に住んでいる」という特定は、恵さんの家の右側を意味するのか、左側を意味するのか、向かいの家を意味するのか、特定していないからです。仮に「知子さんは恵さんの家の向かって右側に住んでいる」と可能性を特定しても、知子さんを探しに行ったところ、もう引っ越していていなかった、という場合がありえます。可能性というのはあくまで可能性なので、現実を十分に特定する可能性というのは、考えることができません。そのため、可能性上における特定は、知識の十分条件にはなりえません。

その一方で、知子さんの住んでいるところを知っている人は、必ず、その住んでいるところを、可能性上において特定しています(そのかぎりで、知識をもっています)。そのため、先の場合とは逆に、知識を有しているならば、その知識は、何らかの可能性を何らかのかたちで特定しています。その意味で、可能性上における特定は、知識に必要な条件をなしています。

そのことは、次を意味しています。知識は、可能性上において現実を特定することで、はじめて成り立ちます。でも、知識を得られる十分な特定というのは、ありえません。現実は常に、可能性では掬い切れない要素をもっているからです。しかし、だからといって、正しい知識というのはありえない、とはなりません。というのも、知識の正しさとは、可能性上の必要な特定をおこなっている、というもので、可能性を十分に特定する、という点にはないからです。その「必要な特定」は、現実との対照のなかで推移していくのが自然で、その点、知識は柔軟に更新されていくことを本質としている、と言えるかもしれません。

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