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リタッチした絵は同じ絵だから:「テーセウスの船」と同一性の根拠

「テーセウスの船」というパラドックスがあります。ある時点において、英雄テーセウスが乗っていた船がありましたが、英雄亡き後、長い時間が経って部品が劣化したため、同じ形と数量の部品で、新しく交換していきました。後代の人は、すっかり新しくなっていたその船を、変わらずに「テーセウスの船」と呼び続けました。でも、その船は、「テーセウスの船」という「同じ」船なのでしょうか。

似たような、でももう少し分かりやすい例として、絵画のリタッチ(保存修復)の例があると思います。油絵であっても、長い時間が経つと、経年劣化したり、運送時に傷がついたりして、修復が必要になる場合があります。絵画の保存修復には、専門家がいて、劣化したワックスを打ち直したり、傷ができた場所を正確に描き直したりして、絵をなるべく同じ状態を保つように、修復していきます。

このとき、リタッチに成功すると、「同じ絵」として成り立ちますが、リタッチに失敗すると、「絵は失われた」となります。その、リタッチに成功した場合の、「これは同じ絵だ」とする根拠は、何なのでしょうか。

先の投稿で、知識とは、現実を、可能性上において、特定するものである、としました。可能性上において特定できれば、それに応じて、現実のなかで指示することもでき、それが何なのかも説明できるからです。

この知識の定義に応じて、リタッチの問題も解釈できます。つまり、その絵を、その絵として、可能性上において特定できれば、その絵は、その絵として「知っている」ものでありつづけます。可能性上の特定とは、色の配置や質感、画家のスタイルといった様々な要素のあいだでの、可能性上の特定です。かつて特定された可能性が、もはや特定できないほどに変化してしまうと、その絵は「同じ」ではないと判断され、リタッチは失敗します。

この路線で、もともとの「テーセウスの船」のパラドックスも解釈可能です。テーセウスの船は、部品を正確に再現しつづけたことで、かつてテーセウスが乗っていたときに、その船を彼の船だと特定していたのと、可能性上において同じように特定できるため、「同じ」テーセウスの船だと、考える余地があります。それは、大航海者マゼランが乗っていた船を、正確に再現した船をつくって、「これはマゼランの船だ」と言うことができるのと同様です(実際、そのような船に乗ったことがあります)。その主張ができるのは、「マゼランの船」と可能性上において特定できるものが、人が「マゼランの船」として「知っている」ものにあたるからです。ただそれは、可能性上の特定を、ゆるく考えた場合(つまり、船の構造と設計上においてのみ特定するもの)のことであり、可能性上の特定を、より狭く考えれば(つまり、テーセウスなり、マゼランなりが「実際に」乗っていた船、というように特定すれば)、部品をすっかり入れ替えたその船は、もう「テーセウスの船」でも「マゼランの船」でもありません。

つまり、「同じもの」という意味は、可能性上において特定するものが共通する、ということであり、そのうち、特定するものを一番切り詰めて、可能性上の特定を、一番ゆるく考えた一例が、テーセウスの船、ということになります(テーセウスの船は、オール(水を漕ぐ櫂)の数(30本)だけ、伝説の時代から共通していたらしいからです)。それは、伝説を聞いた人が、まったく関係ない場面で、30本のオールの船を見たときに、「これはテーセウスの船と同じだ」と言う場合がある点にも、確認できます。

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