真偽の定義:なるべくシンプルに
「何か思ったことが、本当だった」というのは、どういう意味なのでしょうか。それは多分、その思ったこと(可能性上に特定したこと)が、現実において確認できた、ということかもしれません。つまり、可能性上に特定したことの、現実における確認(特定として成り立っているかの確認)が、その特定の、真偽を決める、という考えです。現実において確認できれば、その可能性上の特定は正しかった、といえるからです。
でも、物事の真偽には、現実という事実以前のものがあります。分かりやすいのは、可能性の特定が、論理的に、特定として正しいのか、という意味での正しさです。この場合、可能性上の特定が、そもそも可能性上において、特定として成立しているのかを、確認する必要があります。
すると、真偽の概念として残るのは、可能性上の特定が、特定として成立するか、という点のみです。というのも、先ほど、可能性上の特定を、現実において確認することが真偽である、としましたが、その「現実における確認」というのは、何らかの可能性を使用しないと、おこなうことができません。すると、何らかの可能性上の特定を「現実において確認」することは再び、何らかの可能性上の特定を意味し、無限に循環してしまいます。
そのため、「何か思ったことが、本当だった」というのは、現実における確認においてではなく、単に、その思ったこと(可能性上の特定)が、特定として成立した、という意味にとれます。つまり例えば、その「思ったこと」が、「雲は白いか黒いかのいずれかだ」というものであったなら、「雲」という可能性は「青い」こともあるため、「雲」という可能性の特定として成立しません。
同様に、「条件というのは必要条件か十分条件かのいずれかだ」というのも、条件には必要十分条件もあるため、「条件」という可能性の特定として成立せず、偽になります。同じことは、「三角形は四角い」にも言えます。それは、「三角形」という可能性の特定として成立しないためです。
他方で、「あの雲は薄い」という可能性上の特定は、視野という可能性上における特定として、成立する余地があります。ただ、「薄い」という可能性の特定には、人によって感覚の度合いが違う場合があるため、「薄いんじゃなくて、淡いんだと思う」というふうに可能性を選ぶ人もいるかもしれません。ただ、視野に上るものの可能性は、比較的分かりやすいので、「あの雲は薄い」という可能性上の特定は、特定として成立する場合が多いと思います。
そのことは、次を意味します。真とは、可能性上における特定が成立することであり、偽とは、可能性上における特定が、何らかのかたちで成立しないこと。
これだけで真偽が定義できるのか、確認していきたいと思っています。お楽しみに!