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There is strong shadow where there is much light.

目が眩むほどの明るい笑顔が溢れる成人の日に少しだけ暗い思い出話をしよう。


私は丁度スマホが普及し始めた時代に中学校生活を送った。スマホを持つことを許されなかった者は遊ぶ権利を剥奪されてしまう時代、そんな時代に私は中学生になってしまった。同級生たちは皆スマホを持ち始めた。集まらなくても遊ぶ計画が立てられるようになった。何時だって友人と話せるようになった。前もって計画を立てる事、それは面倒な事となった。その必要がある私は面倒な人間になった。私は遊びに誘われなくなった。
楽しそうに思い出話に花を咲かせる友人たち。私はその輪の中に入れなくなった。私はいても良いけど、いない方が良い人間になった。私が来ると会話が途切れる。皆が気を遣っているのが分かる。あなたは邪魔だ。そういう雰囲気が伝わってくる。私はそっとその場を離れる。皆がいつかの出来事を楽しそうに話し始める。輪を離れた私を誰も気に留めない。こうして、私は孤独になった。いじめられていたわけではない。けれど、確実に私は孤独だった。

そして、二十歳の冬、成人式に行かないという選択をした。中学校の同級生がどこからか私の連絡先を仕入れたのだろう。いつの間にか入れられていたグループチャット。そこに同級生たちの晴れ姿が次々と送られてくる。行かないという選択を自分でしたはずだった。でもそれは、強がりでしかなかった。写真の中の同級生たちがずっと気付かないふりをしていた事実を突きつけてくる。私は行かなかったのではなく、行けなかったんだ。また私の知らない思い出話で盛り上がっているのを見るのが怖かったんだ。

当事者だった成人の日から数年経った今も、成人式のニュースを見る度に行けなかった悔しさに苛まれることがある。けれど、中学生の時にスマホを持っていなかったことを悔やむ気持ちは全くない。
私は同級生たちが狭い画面を見ていた間に広い世界を見てきた自負がある。ブルーライトよりもはるかに綺麗な光を見てきた自負がある。
スマホを手にした今、自分の目で見ることの大切さに気付けているのは、中学生の時に様々な物事を画面を通さずこの目で直接見てきたからだ。

だからもう、成人式に行けなかったことを悔やむのはやめにする。成人式の暗い思い出はきっと、今の輝きに必要な影だから。

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