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多喜二九十忌に

九十年経ても 築地警察緊張し
人を配して隠そうとする

築地署の隣の公園に集まるは
今を見つめて凝視する眼

多喜二忌は始まりになる今日の日が
小さな鼓はなり続けている

小劇場 そこにあった葛藤を
いまも知りたい学びたいと思う

築地医院へ運ばれた多喜二には脈があり 
心臓麻痺ならあり得ぬ証言

多喜二が生きて 多喜二が生きて
多喜二が生きた時代を思う

いまならば 多喜二が生きていたならば
何を思う 何を発する

残酷なリンチで殺された魂が いつまでも
ここであり続けている

河は流れるだろう 真実は戸惑って
それでも 生きる民がここに

多喜二なら どう思うか考えてみる
美化することなく 多喜二を思う


多喜二没後90年、追悼築地多喜二祭が開催され、11時からのフィールドワークと14時からの記念講演に参加。
築地は多喜二青春の地。港区麻布十番で特高に追われながら作家活動「党生活者」「地区の人々」などを執筆、築地小劇場では作家同盟としてあいさつもしている。
フィールドワークでは多喜二が残忍な拷問を受けて、虐殺された築地警察署をバックに伊藤千代子の伝記を書かれた藤田廣登氏が多喜二の最期を解説。
講演では、荻野富士夫氏が多喜二が当時すでに世界的な評価を受けていたこと、多喜二自身は獄中でバルザックなどの文学に触れて、蟹工船を「まだ綴り方文学だ」と評価していたこと、多喜二没後も、その人気は高く、1941年まで新潮文庫で出版され、日本政府の海外向け「日本文学解題」1939年にも多喜二が登場し、「資本主義的侵略が具現化」と解説されていることなどが明らかにされました。
多喜二の特定の人物を主人公としない群衆劇的な手法は、当時の文壇に衝撃を与えたとも書かれているそうです。

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高細玄一(げん)
2022年に詩集を発行いたしました。サポートいただいた方には贈呈します