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詩)あくび  

いかなる苦痛も味わったことがない人のように、彼女は机の前に立っている。
さっきまで泣いていた人でも、今にも泣き出しそうな人でもないみたいに。
打ちのめされたことがない人であるみたいに。
我々は永遠を手に入れることができないという事実だけが慰めだった日など、なかったように。

ハン・ガン「すべての、白いものたちの」「白熱灯」より

あくびが出る今日も。身体は疲れ切って考えることを拒否している。着やすい服とギリギリ出かけられる化粧。黒の汚れにくいニューバランスのスニーカー。仕事は立ち仕事。あくびが出るよ。止まらない。

期待しないで生きる。不明確なものを選ぶ時は周りに合わせる。めんどうなことには関わらない。
主語のない言葉の意味を探っても無駄だし。男はいつまでも女より上だと思いたい生きもの。幹部候補生募集とかそれノルマ押し付けられてるよね。そうやって押し付けられるよりあくびしてた方がいい。

ブーンとモーター音を聞きながら ここはどこでここからどこへ行くんだろうと思うときある。あれ私今どこに行くんだっけ もうここから抜けて飛び降りて 違う世界に行くこと出来ないし アナウンスが降りる駅に近づくと 全身の血が頭に戻ってくる 髪の毛を束ねて 眼鏡を掛け直す。

親指で輪を作り 誰かに会っても笑顔でいられる体制に入る。鼻を鳴らして自分のモードを引き上げ 今日のスケジュールを頭に入れる。まずやること それから交代の時の引き継ぎ 曇り空のホームにゆっくり蛇行して入るのを感じながら 眉を撫でて 開いたドアに向かう
わたしを誰かホラーの世界に連れて行ってくれないかしら。空想でもいい。そんなことがあればいい。何もないよりは。あくびしないでいい世界。
オカルトの世界に連れて行って 目の前の階段を血の海にして。


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げん(高細玄一)文学フリマ東京39 な-20
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