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綺麗な言葉で嘘を書くより 汚い言葉で真実を書く それが
 

緊張の夏は来なかった。父、生き延びそう。良かったじゃん、って言う方ウチの事情を知らない方。溜め息しか出ない。生きたいなら生きたい義務を果たして。食事とか、看護師さんに逆らわないとかっ。
 
実妹はよく仕事自慢してくる。また新しい業務任されちゃって てんてこ舞いよー。じゃあ、辞めて父の介護に専念すれば?と思う。私みたいに介護無職になれ。と思う。父の方が介護度は軽い。
 
私は限界が来る最後の最後まで、 「いつかは親とわかり合える」 「いつかは親も変わってくれる」と信じていた。最後の最後まで希望を捨てないで、あらゆる方法で親が変わってくれるように頑張った。 でも、無理だった よくよく考えたらわかり合えるわけがなかった。虐待するような人間 犯罪者なんだから、むしろわかり合えなくて正解だった。自分は正常だったんだ 罪悪感なんて感じなくて良かった 私にとって「親子はわかり合える」というのは単なる幻想だった。
 
今朝、父の夢を見て泣きながら目が覚めた。 母が今よりももっと弱々しくなって、私がそれに対処しきれなくてパニックになっている所に大丈夫かと父が肩をポンとしてくれる夢でした。 酸素吸入器の管もつけておらず、 頬もこけていない、とても元気そうな父。途端に泣きじゃくった私に困った顔をしていた
 
44の私。未婚、乳癌、鬱病、介護無職、兄弟姉妹なし。バカ、デブ、根性なし。存在価値がない気がする。消えられるものなら消えたい。朝起きて逝けたらどんなにいいかと毎日思う。もう44年も生きたから悔いはないのだ。未練なし。好きな事があってもしたいことがあっても無理だと分かってるから。

 
世界をよこせ 際限のない欲望を満たす 生きることの飢えを満たす 世界を

というわけで氷河期世代の非正規雇用な介護無職がただの無職になったんですが何が絶望的かと言うと自分は絶対に親の世代の水準の医療も福祉も受けられないのが確定してる
仕事を辞め遠方に嫁ぎ、頼れる親兄弟親戚知人も無く。転勤族で短期パートしかできずそれも義父の介護で辞めざるを得ず。 子育てと介護、無職無収入…丸腰も丸腰TT 自分に収入がない=自分に自信が持てない…夫にも何に対しても遠慮してしまうという哀しい現実

 
喘ぐ 貧しい存在の 何もない存在の それが生み出す 喘ぎをかげ


2022年に詩集を発行いたしました。サポートいただいた方には贈呈します