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詩)海豚を喰らう

初めて海豚の刺身を喰った時
「海豚の肉なんか都会のひとは食べたことねえだろ。最近はなかなか新鮮な海豚の刺身喰わせるところも少ねえからなあ!」と義母は自慢げに話した
 
大船渡線・通称スーパードラゴンはくねくねと走り 大船渡湾の内側の下船渡にある彼女の実家は海のすぐそば 塩風の乾涸びた匂いと隣の肥料工場の鼻先にツンとくる匂いが交じり合っていた 義父の大船渡弁はモゾモゾと意味は分からず「まあ飲めまあ飲め」だと勝手に解釈し 酒と焼酎を注がれるままに飲んだ 海豚、マンボウ、カキの雑魚身 出されるままになんでも食べた 
もう35年以上前のことだ 
何故か海豚肉の味の記憶だけが今も鮮明に舌の根元に残っている 
 
岩手の海豚漁は江戸時代から続く伝統ある漁だ 安政四年の記録では実に5790本の海豚の水揚があったという まさに天の恵みというべき海豚は時ならぬ収入をもたらした
明治になり漁の共同組合が作られ男も女も同じ分前を配分され 水揚はいちいち数えることなくお椀で盛り家々に配られた
海豚は氏神として祀られ神社には海豚の魂を慰める恵比寿さんの鎮魂碑が作られた 祭礼の際は海豚の腹を割いて血を取り 恵比寿さんに頭から振り掛け 鎮魂しつつ豊漁を祈る
 
岩手県の海豚の漁獲実績は2005年1万3127頭あったが 震災の翌年には405頭に激減した 海豚の漁獲量はその後も回復することなく今日に至っている

大船渡の実家は2011年3月11日の東日本大震災で流され跡形もなくなり その後肥料工場に買いとられた 
義父は2019年盛岡で亡くなった 
義母は記憶が10分しか持たないが盛岡で暮している 


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げん(高細玄一)文学フリマ東京39 な-20
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