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誰かの力になりたい
3年前まで私は東京で飲食店を経営していました。小さな店だったので、あと1人欲しい!と言う繁忙期は、母が高知から上京してスーパーバイト!これが本当に助かりました。
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何年も助けてもらっていたので、改めてお礼がしたくて、店の暇な時間に、
なんか欲しいものない?
と聞いてみたら、ない、ない、と返してきます、もう少し突っ込んでみたところ
豪華客船に乗って、ダンスパーティーとかカクテル飲んだりしたい。
わーお!それは予算オーバー!
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と言うことで流してしまった話題がありました。
2011年3月11日、あの日もたまたま手伝いで上京していた母、一緒に東日本大地震の揺れを体験しました。
テレビでは東北のたくさんの方が避難し、大変な思いをされている様子が連日放映され、一週間が経つ頃にはボランティアの方が瓦礫の撤去や、食料や日用品の運搬する報道も。母はテレビに見入り、ぽつりと言いました。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65205778/picture_pc_c56d532f778bd39653217b9229fbe6a6.jpeg?width=1200)
誰か私をあそこに連れていってくれないかなぁ。
大したことはできないかもしれないけど、お母さん達がお風呂に入っている時に赤ちゃんを抱いていることはできる。
食べ物、着る物が支援されても、お母さんたちは自分の時間が取れない、ちょっとしたことができない、こんなこと母親をやった人でないとわからないから。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65205835/picture_pc_8f080fc30b059812cb7ae16a5d3cb25c.jpeg?width=1200)
いきなり何を言い出すのかと驚きました。心掛けは立派ですが、私が店を急に休むこともできないし、あまりに非現実的だとこの話も流してしまいました。
時は流れて2015年、私が実家に夏休みに帰省時、熊本が大きな台風被害に遭いました。テレビに映る大雨で流される車、半壊した家屋、避難所での不安な顔々。
再び母がつぶやきます。
私があそこに行けたらなあ。あんた、気がついてた?避難所の床が濡れているの。不快だろうし、子供が滑って転ぶかもしれない。私はモップを持って行きたいの。みんな自分の事でいっぱいいっぱいだから、床の濡れなんか誰も気がついていない。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65205868/picture_pc_3984d86a83d6346b609a0f080279250e.jpeg?width=1200)
類友と言うのは、よく言ったもので、私はその翌日に訪れた母の友人宅で、同じようなことを聞かされます。
斉藤さんは元幼稚園の園長。
昨日のテレビで見た避難した子供達の不安な顔が忘れられない。泣いてる赤ちゃんもいた。私があそこにいたら、隅に集めて一緒に歌を歌ったり、お話を聞かせたりできると思った。私はお姫様の仕草も狼の声真似も出来るのよ。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65205930/picture_pc_93aa3881cc83d4433e5887ac02805fd1.jpeg?width=1200)
山田さんは元旅館の女将。
お母さんたちが子供を抱えながらコンビニの冷たいお弁当を片手で食べてるの見て涙が出た。コンロさえあれば私は一度に200人前の豚汁が作れるよ。あんな状況だからこそ温かいものを差し入れてあげたい。
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65205997/picture_pc_a26c2e8c14a0f5d8e404182a7aeea347.jpeg?width=1200)
皆70歳を過ぎてリタイヤした方ばかりですが、健康で気が利いていて、得意分野もありました。1人暮らしの年配の方はテレビが情報源、災害が起こる度に、自分の子や孫ぐらいの人の困難な姿が見ていられないと言います。
帰り道、母とと土手を歩きながら、70歳ってまだまだ元気なんだなあと考えていた時に私の思いを見透かした母が話し出しました。
![画像13](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65251089/picture_pc_577372980caf79c93cd0340179ca6a63.jpeg?width=1200)
70歳ってそんなに年寄りでもないんだよ。動ける人は動ける、そんな人が一番何やりたいか知ってる?
え?(豪華客船?)
仕事でもボランティアでもいいの。
叶うことなら、誰かの力になりたいんだよ。
今ね、年金もらって生活はかろうじて出来てる。もっと余裕が欲しいとか、どこどこ行きたいとか、願えばキリがないけど、本当は自分が誰かの役に立って社会の中にちゃんと組み込まれていると言う実感が欲しいんだよね。
ああ、母が欲しいものはこれだったのか。
母の友人が言っていたのはこれだったのか。
歳を取ると周りが自分が思っているよりも 気を遣ってくれるそうです。電車やバスの中で座席を譲られるようなことはありがたく思うけれど、その一方で譲られた分を返したいと言う気持ちもあると言うのです。
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65206094/picture_pc_ac55cfbc019174b7789b14b763070991.jpeg?width=1200)
しかし現実的には社会との隔たりはどんどん開いていきます。
お問い合わせはWebで!
ホームページに書いてあります。
どちらも母が嫌いな言葉です。一人暮らしの年配者にはそのようなハイテク機器はなかなか使いこなせません(携帯とipadで指で画面を広げるピンチアウトを教えたら、テレビ画面を指で大きくしようとしていました(笑)
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65206129/picture_pc_c69b4645e3b63285ebab75dbb793e64e.jpeg?width=1200)
どれだけ物質的に余裕があろうと人とのつながりには勝てません。誰かに必要とされて、そのタスクをこなし、なんなら出来たことを誇示し、自分の価値を示す場を渇望していました。私たちだってやれることはある!
それがあの発言につながっていたのでしょう。
母世代だっていいね!が欲しいのです。
![画像11](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65206550/picture_pc_227260ce8a8fa76a131366e8729a297f.jpeg?width=1200)
そして私の願いもここで決まりました。
もし叶うならば、
誰かの役に立ちたいと思ってる母達を乗せて、困ってる現場への送り迎えをしたい。
![画像12](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65206900/picture_pc_08f166bbe32adce760f068fdc4e823f0.jpeg?width=1200)
彼女らが社会の一員だと自覚できる手助けが私はしたいです。
![画像13](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65206915/picture_pc_50cd1b4fd9fd12eb41b645ddb12eda14.jpeg?width=1200)
終わり。
#もし叶うなら 、のカテゴライズされている中で書かせていただきました。