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焼き栗とビートルズ

パリに行くなら秋がいいよ。

フランス語の先生が言いました。

秋は食材も充実しているし、ファッションも重ね着が面白くなるし、芸術祭も多いから。

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アテネフランセに三ヶ月通いました。そして挫折・・・・・・・


と言うわけで、私のファースト パリは1991年の11月でした。映画も音楽もファッションも気がついたら好きなものはフランスものばかり。これは行かねばと習い始めたフランス語。上達する前に恋焦がれた気持ちは高まり、とりあえず、ツアーでもいいからと、パリ上陸作戦に臨みました。

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映画、ファッション、音楽、とにかくフランスに夢中。

飛行機とホテル代と2日間の現地ツアーがついた旅行パッケージ。送迎も含まれていたので、重い荷物を持つこともなくすんなりとパリの地を踏むことができました。

ツアーの参加者は全部で8人。私はボーイフレンドと一緒だったのですが、初日から目につくおじさんがいました。常にイライラしていたのです。参加者の名簿を見たら小林さん(仮名)55歳、兵庫県から奥様と参加、とありました。

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ああ。このボーイフレンドは今どこに・・・・・・・

部屋にスリッパがない

レストランの夕食の時間が遅い、

食事時の音楽がなんでアコーデオンなんだ!

文句ばかりの小林さん。終いには奥様とも揉めてるようでした。

それが理由なのか、二日目の名所ツアー、小林奥様は不参加。結果3人並びのバスの私の隣に小林さんと言う配置に。あわわ、その時の私の心境は、面倒だな、がまず一番。けれど、あと1日は一緒なので、とりあえず、口は聞いておこうか、仕方ない、でした。

開口一番、小林さんは

私はパリなんかには来たくなかったんだよ。

あら、そう来ました?

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居眠りという、タヌキ。

この時点で私のボーイフレンドは居眠りを決め込みます。

秋のパリは観光シーズンで私たちが乗った観光バスが道路にひしめいています。どのバスも名所を回るので混み合うのは必至。進まない車中で私は小林さんの話を聞くしか道は残されていませんでした。

兵庫で和菓子屋をやっています。妻の実家に婿養子で入って、30年作ってきました。歴史もそこそこあるので、私の代で潰しちゃまずいと頑張ってきました。今の秋から息子が継ぐことになって、ようやく暇が出来て、あれ(奥さん)がパリに行きたいーパリに行きたいーって言うから、来たんです。

なるほど、パリは奥さんの希望か。

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小林さんの得意は栗饅頭.

私は本当はイギリスに行きたかったんです。大学の時バンド組んでまして、ブリティッシュロックが好きでした。ストーンズやら、キンクスやら、こうズトーンと直球の音楽が好きです。私が作ってきた和菓子も素材重視でトラディショナルなものが多かった。

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挨拶に行った時に、和菓子屋に饅頭持っていってさらに逆鱗に触れた小林さん。

昨夜、夕食の時に文句言って迷惑かけたけど、アコーディオンって言うのは、なんかこう、ふわふわしてるというか、今息子がつくっている菓子みたいに、濾した栗に生クリームと合わせた、ただ見た目だけが洒落た菓子みたいで、、どうもしっくりこない、考えが古いんですかね?私はシンプルな菓子を追求したかった。

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シフォンどら焼き、カスタード三色団子、モンブラン大福。

話を聞いていくうちに、小林さんが、もっと仕事を続けたいと思っているのが透けて見えました。

その後、私達は地下鉄に移動、話の続きが聞きたくて、今度は私が進んで小林さんの隣に腰を下ろします。

次の駅で、前の車両から音楽が聞こえてきました。ギターと管楽器を持った4,5人が私たちの車両に移動して来ました。

ツアーガイドが『ストリートミュージシャンです、チップを要求して来ますが、あげてもあげなくてもそれは自由ですから』と説明します。

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昔ながらのシャンソンをレゲエやスカのアレンジをしていました。

彼らはシャンソンを演奏していましたが、私たち8人の日本人を見て、メジャーな曲に変えてきました。

Hard Day's Night、Help! そして Let It Beとビートルズのナンバーです。

途端に小林さんの目が輝きました。

肩でリズムを取り、足元も刻んでいます。彼らもそれに気付き、小林さんの前まで進んできました。小林さん自身もエアなギターを弾き、応じます。バンドと一体になって声は出さなくても彼は、歌っていました。

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私はこの時、初めてエアギターなるものを見たんだと思います。

あの文句ばっかり言ってた彼が本当に嬉しそうで、ツアーガイドが旗を振って、盛り上げていたほどです。

演奏が終わりバンドが紙コップを持ってチップを求めて来ました。みんな小銭を入れていましたが 小林さんは500フラン札しか持ってなかったので、コップに入れたものの、後からガイドに向って

お釣り、お釣りをくれって言ってくれ! と叫んでいました。

ガイドはフランス語で彼らにお釣りを求めましたが、そんなの応じてくれる訳がありません。

彼らがお釣りの代わりに小林さんに返して来たのは ポケットに持っていたマロン ショー(焼き栗)でした。

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500フランは当時で1万円くらい、慌てるよね、そりゃ。

食べやすいように少し切れ目が入った焼き栗、パリの秋の風物詩。一口食べた小林さんの顔から笑顔が溢れます。

美味いな、これ!素材が生きてる!

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前日のディナーでもフレンチに文句言ってた小林さんが初めて褒めたパリの味。


夕方からのオープンバスツアーには小林奥さんも合流、ご機嫌の小林さんに驚いています。奥さんがいらしたので、私は彼らの後方にボーイフレンドと座ります。

前の席から小さくレット・イット・ビーが聞こえました。

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それから15年ほど経った2000年代初め、私はデパ地下で栗のお菓子に目を止めました。その頃までの甘栗のお菓子は、天津甘栗に代表されるように全体が殻に包まれているか、甘栗むいちゃいました のように剥き出しか、だったのに、その栗は、殻に切れ目が入っていました。

パリのマロンショーのように。

裏面の製造元を見ると、兵庫県 小林製菓と記せられていました。

よくある苗字だ、まさかね、まさか、だよね。

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今では殻が割れてる甘栗はよく見かけますが、このタイプを初めて見たのがこの時でした。

見ているうちに胸が熱くなり、気がついたら5袋、カゴに入れてレジに向かっていました。

会計を済ませ、地下の通路から夜の街に出たら、冷たい秋風に慌てて上着の前を合わせます。が、反対に気分はどんどん上がっていきます。

そうだ、今日は歩いて帰ろう。

レット・イット・ビーでも歌いながら。


葉っぱとバックのトーンが素敵ね。

#秋を奏でる芸術祭 、の企画に参加させていただきました。秋の食材と芸術の組み合わせで思い出した小林さん(仮名)もう30年も前のことなのですが、書いてるうちにいろんなことを思い出して嬉しかったですね!良い企画をありがとうございます。



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